第24話「ハムとチーズ入りバゲットと、イワナの串焼き」

「ふうー、やれやれ。けっこう時間くっちまったな……」


 薪を集め終わった俺がやれやれとばかりに肩を鳴らしていると。


「……ジローは泳がないんですか?」


 大きな石に腰掛けて子供たちを監視していたカーラさんが、不思議そうに首を傾げた。

 

「薪を拾って焚き火をして食事の用意をして、それじゃ修道院にいる時とまるで変らないと思うのですが」

「まあ一応用意はして来ましたけどね、それほど泳ぎたいわけでもないですし……。カーラさんこそ泳がないんですか?」


 いつも通りかっちりきっかりシスター服を着込んでいるカーラさんは、汗ばむような陽気の下でもベールを脱がない。


「……」

「え、なんですかその目」

「い、今あなたの目が獣みたいな光を放ったような気がしたので……っ」

「濡れ衣にもほどがあるんですが!?」


 この人の俺への信頼度の低さはホントにどうしたものだろう。


「そりゃあ俺だって男ですけどね。同僚に欲情するほど腐っちゃいないつもりですよ」


 と言っても全然警戒を強める様子のないカーラさんは、ぎゅっと自らを抱きしめるような格好をしている。


「んー……しゃあねえなあ」


 このままふたりでいるのも微妙な雰囲気なので、俺はしかたなく泳ぐことにした。

 上着を脱いでズボンを脱ぐと、カーラさんが「きゃあっ?」と悲鳴を上げた。

 もちろん下には男物の水泳用の短パンを履いているのだが、男の裸に免疫がないのだろうカーラさんは顔を真っ赤にしてうろたえている。


「な、な、な……っ。なにもこんなところで脱がなくたって……っ」


 と言いつつも、興味自体はあるのだろう。

 顔を両手で覆ってはいるが、指の隙間から目が覗いている。


「男がわざわざ物陰で着替えるのも変でしょう」

「で、ですがしかし……っ」

「さ、俺は泳いで来るんで、火の番は頼みますよ。もしあれだったら途中で交代してもいいですからね」

「ちょ、ちょっとジローっ」


 カーラさんの制止の声を振り切ると、俺は川へ向かって駆け出した。

 勢いをつけて飛び込むと、盛大な水しぶきが上がり……。


「わああーっ!? ジローだ! ジローが飛んで来た! バッシャーンって来た! あっははは!」


 俺と一緒に水遊び出来ることが嬉しかったのか、セラはテンションマックス。


「ちょっと、そんな勢いで飛び込んだら危ないじゃない! ぶつかったらどうするのよ!」

 

 不満を言うフレデリカの表情には、怒りと笑いと恥じらいとが入り混じったようなものがある。

 マリオンとルイーズはやはり男性の裸に免疫がないのだろう、照れたような顔をしている。


「細けえことはいいんだよ! そらセラ! 高い高い高いぃぃぃぃ飛んでけぇぇぇぇー!」

「ひゃあああああああーっ!?」


 セラの体を抱え上げるとぶん投げた。

 怪我させたりするとまずいのでもちろん本気では無いが、水上を飛ぶという体験は初めてだったのだろう。セラは驚きながらも大喜びだった。


「あっははは! すごいすごい! 今セラびゅーんって飛んだ! びゅーんって! これ面白いねえー! もう一回やってジロー!」


 もう一回もう一回とせがむセラの頼みを何度となく聞いてやっていると、やがてうらやましくなったのだろう。フレデリカたちが自分も投げて欲しいと言い出した。


「よっしゃいくらでも来い! そぉぉぉらフレデリカ! 高い高い高いぃぃぃぃ飛んでけぇぇぇぇー!」

「きゃあああああああーっ!?」


 子供たち4人を何十回も投げまくった結果、俺は疲労でボロボロになってしまった。

 

「ああー……炎症起こしてる筋肉に水の冷たさが心地いいー……」

「ほらドーン!」


 グロッキーになった俺がぷかぷか水に浮いているところへ、セラが嬉しそうに飛びついて来た。


「うお、やめろセラ。沈む沈む……っ」

「あははははは! あははははもごむごぶは……っ」


 投げられても沈んでも、とにかく楽しそうなセラ。


「……ホントに楽しそうね、あなた」

「うん! だって楽しいもん!」


 あきれ顔のフレデリカに、セラは満面の笑みで答えた。


「ジローがいてー! カーラさんもいてー! フレデリカたちと川遊びが出来てー! この後おいしいものが食べられてー! 今日はもう最っ高!」

「そ、そう……よかったわね」


 セラの楽しいことの中に自分が入れられていることが嬉しく、そして恥ずかしくもあったのだろう。

 フレデリカは顔を赤らめ、口元をもにょらせた。


「よかったな、セラ。フレデリカも」

「うん!」

「ま、まあまあね。その……悪くはないんじゃない?」

  

 うーん、このツンデレさんめと肩を竦めていると、不意に脛を何かがくすぐった。


「……ん?」

「ひゃっ!? なんだこれなんだこれなんだこれ!?」


 隣にいたセラも感じたらしい、たしかにそれは魚の感触だった。


「セラよ、今のわかるか?」

「うん! 魚! 魚がいた!」

「新鮮な魚がいる、そしてここに腕利きの料理人がいる、あとは……わかるな?」

「魚捕りだー! うおおおおおおおー!」


 両手を突き上げて吼えたセラは、フレデリカたちを引き連れて魚捕りを始めた。

 しかもただ闇雲に追い回すのではない。

 さすがは猟師の娘というべきだろう、魚を岩の下に追い込んで大きめの石を岩にぶつけて衝撃波で気絶させるという頭脳プレーだ。


「捕ったどおおおー!」


 たぶんおかーさん語録なのだろう、どこかで聞いたフレーズとともに掴み上げたのは、20センチ強はあるだろうなかなかのサイズのイワナ。

 

「ようううーっし、よくやった! あとは任せろ!」


 人数分をきっちり確保したあとは俺の出番だ。

 水から上がった俺は、さっそく調理にとりかかった。


「とはいえ、新鮮なイワナの最高の食い方なんてひとつしかないんだけどな」


 複雑な技法は必要ない。

 ペティナイフでエラをとり、ハラワタをとって綺麗に洗い、頭から串を刺す。

 身に多めに塩を振り、尻尾にはとくに念入りに振ることで焦げ付きを防ぐ。 

 あとは弱火でじっくり焼くだけ。焼く位置は焚き火からじゃっかん遠目。


「ふわあああー……いい匂いだああああー」


 皆と一緒に水から上がって来たセラは、頬を押さえるなり陶然とした表情を浮かべた。

 あれだ、メシ堕ちした表情ってやつ。

 

「ね、もう食べられる? もう食べられる?」


 だらだらとよだれを垂らして、もう我慢できないといった様子。


「まあ待て待て。浮き出た水分が飛んで、カリカリになったら焼き上がりだ。それまではこれでも喰って待ってな」


 焚き火の周りの石に腰掛けた皆に、俺は弁当を配った。

 弁当はサンドイッチ。

 だが、日本のいわゆる食パンサンドではない。

 フランスでサンドイッチとえばバゲットスタイル。

 バターをたっぷりと塗ったバゲットにハムとチーズをこぼれんばかりに詰め込んで挟んだ、その名もハムとチーズバゲット・オ・ジャン入りのバゲットボン・エ・オ・フロマージュ


「うおおおー!? 美味しそうーっ!?」


 改めて手を洗って、神様への祈りを捧げて、バゲットにかぶりついた瞬間、セラの瞳の中に星が瞬いた。

  

「バゲットがバリッとしてて、酸味のきいたバターがたっぷりで美味しいぃぃぃ~!」


 濃い目の味付けが好きなセラにはピッタリの弁当で、バクバクと貪るように食べている。

 他の面子にもおおむね好評で、皆が嬉しそうな声を上げている。

   

「さぁぁぁて、本命のご登場だ」


 焼き上がったイワナを、俺は皆に差し出した。


イワナのブロシェット・ドゥ串焼き・オンブル・シュヴァリエ。骨はもちろん頭まで食えるからな」 

「「「「あ、頭まで……っ?」」」」


 ちょっとグロテスクな見た目に動揺する、子供たちとカーラさん。


 そんな中、怖いもの知らずのセラが先陣を切った。

 綺麗な焦げ目のついた腹のど真ん中に、がぶりとひと口。


「う……う……う……、美ん味あああああああいっ!」


 バゲットの時に比べて倍はあるだろう大きさの星が、セラの瞳の中で爆発するように瞬いた。

 

「塩味とっ……イワナのっ……ΘΨЭσΣでっ、臭みもっ……苦味もなくてっ……◇&£¢≦でっ」


 興奮しすぎて半分がた何を言っているのかわからないが、美味しく感じているのはたしからしい。

 そんなセラの食べっぷりを見て興味を持ったのだろう、皆も恐る恐る口をつけ始めた。


「美味しい……すごい……っ。魚を焼いただけなのになんでこんな……っ?」


 フレデリカが驚きに目を丸め。


「……すごいですね。なんとも野趣あふれる味で、バゲットを食べたばかりなのにどんどん入る……」


 俺の人格はともかく技術は認めているカーラさんも、手放しの大絶賛。

 食いしん坊のマリオンはあっという間に頭まで平らげ、小食なルイーズも休まず食べ続けている。


「すごいねー! これ、みんなにも食べさせたいなー!」


 頭から尻尾まで食べ終えて、なお感心しきりといった様子のセラが、無茶なことを言い始めた。


「30匹ぐらい捕って持ってくとか! どう!?」

「いやいや、さすがにそんなに捕れないでしょ。というかどうやって持って帰るのよ……」


 冷静にツッコむフレデリカと、次々に無茶な案を出すセラ(脱いだベールの中に入れて運ぶとか、シスター服の裾を縛って魚を入れるとか)。 


 当初の狙い通り、ふたりの間にあった壁はなくなり、はすっかり打ち解けている。

 そんなふたりに感化されたマリオンとルイーズも遠慮なく話を始め、陽気なお喋りには終わる気配がない。

 

「……」


 そんな様子を眺めながら、俺はしばし達成感に浸っていた。

 腕によりかけたバゲットよりも塩を振って焼くだけのイワナのほうが人気があったのは悔しいが、まあしかたないだろう。捕れたてぴちぴちの食材には、どんな料理人だって勝てやしないのだ。


「……ま、『それが料理だセ・ラ・キュイジーヌ』ってことだな」

「それにしても、ジロー」

「え、うん? なんです?」


 つぶやく俺に、カーラさんが不思議そうに聞いて来た。


「あなたは本当に子供の扱いが上手ですね。ふたりの仲を取り持つのもそうですけど、遊ぶのだって、ずいぶん手慣れているみたい」

「恩師のドニの教育の賜物です。孤児院で腹を空かしたガキどもに料理を食わせたりとかしてたんですよ。もちろんその場合、料理だけじゃ済まないわけで……。あいつら見たことない大人に興味津々なもんだから、さんざん振り回されましたよ。あとはそう……」


 しかし俺は、そこで言葉を切った。

 亡くした人間の話なんて、こんなに突然するもんじゃない。


「……あとは?」

「ああいえ、まあそんな感じです。ドニのおかげで、ドニのせいですよ」


 そう言うと、俺は適当にはぐらかした。

 ケラケラと陽気に笑う、セラの横顔を眺めながら。

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