第60話「手紙」

 フレデリカにわけて貰った便箋に書いた手紙を手作りチョコと共に故郷へ送ってから2週間。

 セラは返事が届くのを今や遅しと待っていた。

 麓の村から修道院へと続く長い長い参道の上で、郵便馬車の到着を、毎日、毎日。

 もちろん俺の補助やシスターの仕事はしながらだが、合間を見つけては眺めに行っていた。


「……ちくしょう、ふざけやがって。手紙ぐらいすぐ出しやがれってんだ」

 

 いつもの厨房。

 研ぎ棒で包丁を研ぎながら、俺はぶつぶつとつぶやいた。


「それともあれか? 家から出した子供にかけてやる言葉なんかないってか?」

「ジロー、そんなに焦らないで」

「そうよ、まだたった2週間じゃない」

 

 気が立っている俺に、カーラさんとフレデリカが口々に言ってくる。


「向こうにだって色々と事情はあるのでしょう。他の子供たちの手前だってあるでしょうし」

「そうそう、ちょっとの間ぐらい許してあげなさいよ」

「……ちっ」


 俺が舌打ちすると、ふたりは顔を見合わせ、処置なしとでもいうかのように肩を竦めた。


 聞けば、ここからセラの故郷へは馬で3日の距離らしい。

 すぐに郵便馬車に手紙を託せば、7日目には届くはずだ。

 にも関わらず、もう2週間が経過している。


「ああーっ、ムカつくなあーっ」


 作業に集中出来なくなって来たので、俺はその場に包丁と研ぎ棒を置いた。


「ちょっとあいつ呼んで来ますっ。いつまでもいじましく待ってるんじゃねえってっ。忠犬ハチ公かおまえはってっ」

「ちょっと、ジロー?」

「何者よ、そのハチ公っていうのは……」


 ふたりをその場に残すと、俺は参道まで歩いて行った。





 セラは参道を見下ろせる岩に腰掛け、所在なげに足をぶらぶらさせていた。


「あ、ジロー。どうしたの?」

「どうしたもこうしたもあるかよ。おまえなあ……あ?」


 こんなとこでいつまでも待ってんじゃねえ。

 そう言おうとした瞬間に、一台の馬車が参道を登って来るのが見えた。

 黒塗りの車体に赤い車輪の──あれは紛れもない郵便馬車だ。


「来た! 来た! 来たよジロー!」


 よいしょよいしょと岩から降りると、セラはもの凄い勢いで参道を駆け下りて行った。

 これには御者も面食らったのだろう、セラを轢かないよう慌てて馬車を止めた。


「ちょっと君、危ないぞ……」

「セラの! セラ・アミ宛のお手紙はありますか!?」


 小さな体全体から振り絞るような大声で、セラは聞いた。

 御者は戸惑いながらもごそごそ荷物を探ると、紐で縛られた束の中から一枚の手紙を抜き出した。


「………………!!!!」


 声にならない叫びを上げると、セラはその手紙を受け取った。

 修道院に戻るまで待ちきれないとでもいうかのように、その場で開けて読み始めた。


「おい、大丈夫か? なんて書いてあるんだ?」


 異世界転移してからしばらくの間は王宮にいたから、俺はこっちの言葉も文字もきちんと扱える。

 だが、他人の手紙を覗き見るのはさすがにご法度はっとだろうから、覗き込みたい気持ちを抑えながらたずねた。


「うんとね……えっとね……」


 食い入るように手紙を読み終えると、セラはぱっと顔を上げた。


「おかーさんもおとーさんも、マルコもラナもロッカも元気でやってるって」

「おう、よかったな」

「今回の冬は長かったから、村のほうに避難させてもらったんだって。狩の得物を安くするからって、お世話してもらえたんだって」

「そうか」

「その間、マルコとラナとロッカは学校に通ってたんだって。みんな、勉強したくないってごねて大変だったんだって」

「……うん」

「セラはね、こっちで勉強頑張ってるって書いたの。文字も読めるし、書けるし、計算だって出来るよって。授業中もあんまり寝てないよって」

「……」

「そしたら、セラは偉いねって。正シスターになったことも、褒めてくれたの。チョコ、も、美味しかったって。あんた、なんでも、出来るように、なったのねって、びっくり、してた」

「……」

「ねえ、すご、い、でしょ? セ……ラ、いっぱ、い、褒め、ら、れ……てっ……」


 突然、セラの瞳にぶわりと涙が盛り上がった。

 それはすぐに決壊し、そのままぼたぼたと流れ落ちた。

 

「ぐ……う……う……っ」


 セラはぎゅっと唇を噛んだ。

 力を入れすぎたせいだろう、手に持っていた手紙はもうグシグシャだ。


「あ……ぐ……う……うううー……っ」 


 セラはもう、言葉が喋れなくなっていた。

 身を震わせ、歯を食い縛り、顔を真っ赤にして、その場に立ち尽くしていた。


 ──知ってた。

 セラがいつも、孤独に耐えていることを。

 明るい瞳で語りながら、それでもふっと寂しげな顔をする瞬間があるのを。


 ──当たり前だ。

 こいつはまだ11歳なんだ。

 5歳にして親元を離れ、この修道院につれて来られて。

 それからいったい、いくつの辛い夜を過ごして来たのだろう。


 ──そうだ。

 どれだけ褒められても、その存在を近しく感じられても、こいつはもう戻れないんだ。

 暖かい家族の輪に戻ることは、もう出来ないんだ。


「……セラっ」


 自分の中で、何かが・ ・ ・揺れた ・ ・ ・

 その正体不明の何かにつき動かされるように、俺はセラの体を抱き寄せた。


「……セラっ」


 だけど、その揺れ・ ・は納まらなかった。

 どれだけ体を密着させてもなお足りないと感じた。

 もどかしさだけが募っていった。 


「うう……う……う……ぐうううー……っ」

 

 俺の首っ玉にかじりつくようにしたセラは、声を殺して泣き続けた。

 大声を上げることが何かの罪だとでも思っているかのように、歯を食い縛って耐え続けた。


「セラ、よくやった。おまえはよくやった、偉いぞ。偉い、よく頑張ったっ」 


 俺はセラのことを褒め続けた。 

 いつものように機嫌を直してくれと、明るい顔で笑ってくれと。


「ホントに色々出来るようになったもんな。料理も、勉強も。俺は知ってるからな。俺は知ってるから。おまえが頑張ってること。だから、なあ、セラ──」


 頼むよ、泣き止んでくれよと。

 俺はそう、願い続けた。

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