第59話「愛情は最高のスパイスです?」

「ううーん……しかしどうすっかなこれ。義理チョコも積み重なると大変だな。さすがにひとりじゃ食いきれんぞ? かといって溶かして料理に使ったら……そういうのは女は怒るんだっけ……?」


 自室への道すがら、俺はぼやきながら頭をかいた。

 ハアと何度もため息をついた。


 シスターたちを指揮してのチョコ作りに、カーラさんからの怪しい義理チョコに。

 フレデリカもなんだかすごい剣幕だったし……。

 正直自分のキャパシティには余ることの連続で、俺は心底疲れていた。


「女って生き物は……ホントにめんどくせえ……」  


 自室に入り、カンテラを脇に置き、さあコックコートを脱いでベッドに横になろうかと思っていると、毛布が不自然な膨らみ方をしているのに俺は気づいた。

 こんもりとしたその膨らみは、例えて言うなら女児ひとり分。


「おい、セラ」

「…………はっ!? 朝っ!? もう朝なの!?」


 俺が声をかけると、セラは慌てて毛布をはねのけた。

 口元についたよだれを拭って、キョロキョロ、キョロキョロ。

 

「あ、ジロー!? ……はっ、しまった! おどかそうと思って待ってる間に寝ちゃったっ!?」


 実にわかりやすい自白に、俺は心底ため息をついた。

 

「世の中の女がみんなおまえみたいにわかりやすかったらなと思うわ」

「なんか今ものすごいバカにされたよーなっ!?」


 心外だよ心外、とばかりにセラ。

 ぷんぷんと怒りで顔を赤くしているが。


「いや、褒めてるのさ。おまえはいつだってシンプルで偉いなって」

「そ、そう? セラは偉い? えっへへへへー」


 ちょっと褒めるとにすぐに機嫌を直す、最高にチョロいセラ氏。

 ホントに将来が不安になるレベル。


「んーで? おまえはいったいなんだって俺を待ってたんだ?」


 傍らの椅子に腰かけると、俺は聞いた。


「そんなの当たり前でしょ、せっかくのヴァレンタインなんだから、お嫁さんは自分にリボンを巻いて待ってなきゃっ」

「……それはまあ、聞くまでもなく、おまえのおかーさんの入れ知恵なんだな?」

「うんっ、おかーさんはいつも言ってたからっ、狙った相手の心の隙を突くのよってっ。どんな男だって、人には見せぬ意外な弱点を持ってるんだからってっ。そこを突けばイチコロよってっ。おとーさんがそうだったみたいにってっ」


 うん……なるほど。

 おまえのおとーさんには正直同情するわ。 


「でもねっ? でもねっ? まっすぐ行ってもダメなときは攻め方を変えなさいとも言ってたのっ」

「ほう、そんで」

「いぶくろをぎゅううーって掴むのがいいんだってっ。好きそうなもの作って食べさせるのがいいんだってっ……てあっ、言っちゃった!?」


 しまった、とばかりに口を押えるセラ。

 

「本人には言っちゃダメだって言われてたのに……効果半減だって……」


 うぐう、とばかりに涙目になって唇を噛みしめるセラ。


「これじゃジローのかんしんは買えない……?」

「はっ……はっ……はっ……」


 セラの素直さに、他に変えようのない純真さに、俺は思わず笑ってしまった。

 気が付いた時にはセラの頭に手を置き、ぐしゃぐしゃとかき回していた。


「いや、いいんじゃねえの、それで。美味いものを作ってくれる女には、いつだって男はグラッとくるもんさ。ただ問題は、その相手がこの俺だってことだがな」

「……あっ、そーかっ。ジローのほうがセラより料理が上手いから……っ」


 絶望的な差に今さら気がついたセラ。


「ええと……ええと……セラはあと何年でジローを超えられる?」


 両手の指を曲げたり伸ばしたり、何を計算してるのかはわからんが。


「あと百年たったって、抜かせる気はねえよ」

「ひゃ……っ!?」


 思わず硬直するセラ。


「百年たったら、セラはしわしわのおばーちゃんになっちゃうよ?」

「そうだな。そんで俺は、とっくに墓の下だ」

「うううー……」


 うーうーともどかしそうに唸るセラ。


「ど、どうすればいいかな?」

「そりゃおまえ、修業だろ修業。頑張って頑張って、料理が出来るようになるんだ。そうすりゃもっと、時間は縮まるかもしれない」

「わ、わかったっ。セラはがんばるっ。百年を一年ぐらいにするっ」

「はっはっ、そうだな。その意気だ」


 俺が笑うと、セラはハッと思い出したようにぐしゃぐしゃの包み紙を取り出した。


「そうだこれ、ええと、はっぴーばれんたいーん!」


 満面の笑みで差し出したのを開けてみると、中に入っていたのはチョコレート。

 巨大なハート型で、中央には俺の顔……だと思われる何かがストロベリーソースで描かれている。


「ほうー、これがおまえの初めての料理か」

「うんっ、そうなのっ。がんばって作ったのっ」


 今すぐ食べろ光線があまりにも強烈なので、俺はしかたなくその場でチョコにかじりついた。

 正直今日はカカオ分を摂りすぎてて、もう食べたくなかったんだが……。


「……ん? こいつは……」

「どうっ? どうっ? 美味しいっ?」

「んーと、ええー……?」

「ええっ? まずいっ? まずいのっ?」

「いや、そうじゃなく、こいつは……」


 カカオ豆から美味いチョコを手作りするのは難しい。

 それはどうしても攪拌コンチングの行程に難があるからだ。

 攪拌すればするほどにカカオの液化が促され、雑味や余計な水分が飛ぶ。

 チョコメーカーは高性能なコンチングマシンをまるまる一日動かしているから、口どけのよいなめらかな味わいのチョコを作ることができるのだ。

 手作りでそれを再現するには、それこそ気の遠くなるような時間がかかるわけで……。


「……美味い」


 俺は思わずつぶやいた。

 もちろん一流メーカーのそれには遠く及ばない。

 及ばないけれど、相当な出来であることはたしかだ。

 

「ホントっ? ホントにっ? わあーっ! やったあーっ!」


 やったやったとセラが飛び跳ねる中、俺は呆然とチョコを見ていた。


 手作り特有のザラつきがない。

 白い紋様ブルームもなく、つやと光沢がある。


「そうか……テンパリングかっ」


 テンパリングというのは、チョコの融点をコントロールしてチョコの油脂を理想的な状態に保つ技術のことだ。

 熱して、冷やして、絶妙な温度調整のされたチョコは構造レベルで変化を起こし、口どけのよくなめらかな、素敵なお菓子になる。

 シスターたちにも教えはしたが、難しすぎるということでほとんどの者がその行程を無視していた。

 挑戦してみた者も、ほとんどがその難儀さに悲鳴を上げていた。


 しかしセラは……。

 そうか、こいつだけが……。

 

「……なるほどな」


 美味い料理を作るのに、特別器用である必要はない。

 やるべきことをやり、手を抜かない。

 それが最も大切なことだ。


 普段から俺の料理を見ているから、セラにはそれがわかっていたのだろう。

 門前の小僧ならぬ小娘として、学習していたのだ。

 

「なあ、セラ」

「ん? なあに?」


 喜びの舞いを舞っていたセラは、くるりターンを終えると俺に正対した。


「俺の世界ではさ、『愛情』こそが最高に美味い料理のスパイスだって言ったりするんだ。作った者の愛情が乗り移り、料理に宿るんだって、だから美味くなるんだって。でも俺は、それをうさんくさい話だって思ってた。精神論すぎるだろって。でも違った。それが今、わかったよ」


 セラ、おまえに教えられたんだ。


「シュミゼにアロゼ、ブレにアキュメ、デネルヴェにフィスレ。料理にはいくつもの行程や技術があるんだ。今日使ったコンチングやテンパリングもその一種。もちろんそれらを行わなくても料理自体は作れるんだ。だけど行った場合ほど美味くはならない。なあ、チョコ作りはけっこうめんどくさかったろ?」

「うん……手が疲れたし、目もびきびきーってなったし……。でも、ジローが言うことだから、たぶんちゃんとやったほうがいいんだろうって思って……そのほうが美味しくなるかなって」

「それだよ、セラ。おまえは俺が言ったことを忠実に守った。適切に温度を管理し、丁寧に攪拌した。だからこんなに美味くなった。純粋に食べる人のことを考えたからそうなった。イコール『愛情』だよ。このチョコには、おまえの『愛情』が詰まってる。あの言葉は正しかったんだ」

「…………っ」


 束の間、セラは呆然としていた。

 目を丸くして、口をあんぐりと開けて。

 やがて我に返ると……。


「……あ、ああー……うん」

 

 わちゃわちゃ手を動かし、意味不明に前髪をいじり出した。

 耳まで真っ赤になり、セラはしばらくもじもじしていた。


「その、ね? うんと……ね?」


 何かを言いかけてはやめ、何かを言いかけてはやめ。

 謎の緊張感に耐えかねたかのだろう、セラはぱっと部屋から飛び出した。


「せ、セラはもう寝るねっ? 明日も早いからねっ? おしごとだからっ」


 早く戻らないと、とつぶやきながらパタパタと廊下を駆け……再びパタパタと戻って来た。

 薄くドアを開けると、顔だけを覗かた。


「あのねっ? あのねっ? セラはねっ?」


 思い切り息を吸い込むと、こう叫んだ。


「ジローが大好きっ」 

 

 きゃーっと騒ぐと、セラはパタパタと廊下を駆けて行った。そして今度こそ、戻っては来なかった。


「……やれやれ」


 セラの足音が完全に消えてから、俺はしみじみとつぶやいた。


「おまえはホント、シンプルでいいよな」


 俺が将来結婚することがあったとしたら、相手は案外ああいう奴なのかもな。

 なんて、くだらないことを考えた。

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