第58話「誇りに賭けて」
「おおー……ホントにチョコだわ」
当たり前の話だが、包まれていたのはチョコだった。
別にハート型だったり特別な手紙が付いていたりするわけじゃない。
ワイン漬けの木苺を載せた、美味そうなマンディアンだが。
「うーんしかし……これは義理……? ギリギリ義理……?」
洒落てる場合でないのはわかっているが、そうせざるを得ないほどに俺は焦っていた。
だってまさか、カーラさんからチョコをもらえるとは思ってなかったから。
しかもこれは……まさかの本命……?
「うーん……いやあまさか……さすがにそれは……」
まったくないとは言い切れない。
カーラさんは結婚適齢期を迎えた女性だし、この修道院に男は俺含めてふたりしかいないし。
最初のイメージは互いに最悪で、セラとの接し方の件ではバチバチにやり合って……でも、最近では仲良くなれてたしな。
さっきのしぐさも、やたらと可愛いかったし。
「ううーん……いやあでもなあー……それはまずいだろうー……」
何がまずいのかはわからないが、まずい気がした。
相手がシスターだから? いや、教義的に結婚はありらしいから、そこは問題ない。
じゃあ人格的な問題か? いや、カーラさんはいつだって教義優先で、他人にも自分にも厳しく真面な人だ。人間的に尊敬できるし信頼できるし、もし結婚までいけば、いかにも良妻賢母になりそうな雰囲気がある。
だが……。
だがなぜだろう、不思議な罪悪感みたいなものが胸にある。
「うううーん……いや、待てよ? はたしてこれは本当に本命チョコなのか? 考えてもみろ、さっきの状況を」
そうそう、たしか──
『神様やみんなと同じようにあなたを見ている』と、カーラさんは言ったんだ。
男性として見ていますではなく、ひとりの人間としてあなたの頑張りを知っていますよということだ。
「そ、そうだよな。やっぱ俺の取り越し苦労だ。うっわ危ねえ。義理チョコを本命チョコと勘違いする危ない奴になってたわー……」
たらり流れた冷や汗を拭っていると……。
「何を何と勘違いしてたって?」
突如声をかけられ、俺は心臓を跳ねさせた。
驚いて声のほうに振り返ると、厨房の入り口に立っていたのは……。
「な、なんだフレデリカかよ。びっくりさせんなよ。俺はてっきり……あれ?
もう消灯時間だろうに、なんだってこいつは規則を破ってまでこんなところにいるんだ?
「ねえ、何を何と勘違いしたの?」
ふと気が付くと、厨房の入り口にいたはずのフレデリカがすぐ近くまで寄って来ていた。
「ねえ、ジロー?」
しかもちょっと真顔で、妙に圧が強い。
「いや、別になんでもねえよ……」
俺は口の中でごにょごにょとつぶやきながら、手に持っていたカーラさんのチョコを包みの中に戻すと義理チョコの山の上に置いた。
「ふうーん……
変なイントネーションのかけ方をしながら、じっとカーラさんのチョコを眺め続けるフレデリカ。
なんだろう、今夜のこいつはやけに迫力があるな……。
「ま、いいけどね。ジローってもともとそういう奴だし」
肩を竦めるフレデリカ。
非常に失礼なことを言われてるような気がするので反論したいのだが、下手に藪を突つくと蛇が出て来そうな気がするのでやめておいた。
「もう夜も遅いし、とっとと用事を済ませるとするわ」
そう言うと、フレデリカは体の後ろに隠すように持っていたものを、すっと俺に差し出してきた。
「はい、チョコ。わたしが作ったの」
わずかに横を向きながらフレデリカが差し出して来たのは、いかにも高級そうな赤い包み。
中に入っていたのはナッツの載った丸型やラズベリーソースのかけられた俵型、星型の表面でキラキラ輝いてるのは……マジか、これ金粉じゃねえか。
さすがは公爵令嬢、金かけてくるなあ。
しかもこれは……。
「へえ~、こりゃキレイに出来てるな」
俺が思わず感心の声を上げると、フレデリカはゴホンと咳払いした。
「夜空の月や星をイメージしたの。金粉は本当に光ってるみたいにしたかったからまぶしてみて……その……どうかしら。気に入った?」
期待と不安が入り交じったような目で俺を見るフレデリカ。
「ああ、気に入った気に入った。今日見た中じゃ、おまえのが一番キレイじゃねえか?」
お世辞ではなく、素直な感想だった。
向こうの世界で流行りだった宝石チョコとまではいかないが、食感やサイズ感、見た目にもこだわったこのチョコは、普通に店で売られていてもおかしくない出来映えだ。
「わたしが一番? そう……ふふ、良かった」
フレデリカはわずかに頬を染めると、嬉しそうに口元を緩めた。
「しかしなんだっておまえが俺に……あ、そうか、あれだな?」
「な、なによ……っ?」
俺の言葉に、フレデリカはさっと身構えた。
「おまえ、お世話になった人にあげるとか言ってたもんな。そうかそうか、なんやかや言いつつも、俺への恩を感じてたってわけだ。普段は憎まれ口を叩いてばっかりなのになあ。こういう時に素直になるなんて、おまえはあれだな、典型的なツンデレだな」
「な、なによそのツンデレって……っ? 変な呼び方しないでよっ」
心外、とばかりにぷんぷんするフレデリカ。
「ま、まあでも、お世話になってるのはホントよね。それは認めてあげる。形はどうあれ、わたしが期限通りに王都に戻れるのはあなたのおかげみたいだし。あなたわたしのこと、エマにいいように言ってくれたんでしょ?」
フレデリカの素行を調査に来たエマさんは、『希望的観測込みで前向きに成長なさっています。詳しくお知りになりたいのでしたら、一度お会いになられてはいかがですか』とギュスターヴ公爵に進言したはずだ。
回りくどい言い方だが、それはひねくれ者の彼女にとっては最高の評価であり、ギュスターヴ公爵もそれを信じたからフレデリカの行儀見習いの期限を延長しなかったのだろう。
「違うよ、俺は別に何もしてない」
俺はゆっくりとかぶりを振った。
あの日、あの夜。
セラによって命を救われたフレデリカは、同時にセラを待つ運命の過酷さを知り──急速な成長を遂げた。
でもそれは、俺がどうこうしたからじゃない。
フレデリカを助けたのはセラだし、成長したのはフレデリカだ。
「おまえが自分で成長して、それを見たエマさんが決めたんだ。おまえはおまえ自身の力で王都に帰るんだ」
「そっ……それ以外にもっ」
否定されると思っていなかったのだろ、フレデリカは慌てたように続けた。
「厳寒期でも助けてもらったしっ」
「別におまえひとりを助けたわけじゃない」
「ど、動物の捌き方とかも教えてもらったしっ」
「でもおまえ、半泣きになって叫んでたじゃねえか。『ああああああーっ! この男はああああーっ!』って」
「いいのっ! とにかく世話になったの! ああもうさっきからなんなのよあんた! 大人しく世話したって認めなさいよ!」
「なんだよ、おまえはどうしてそこまでして……」
「そ、それはその……っ」
俺が訊ねると、フレデリカは唇をぎゅっと噛んで押し黙った。
顔を真っ赤にして、ものすごい動揺している。
何度も言いかけてはやめ、言いかけてはやめ、そうして選んだ言葉は……。
「それ以外の意味なんて……ないんだからってことを……言いたかったの。あとはその……」
もじもじと、指をからみ合わせるようにしながらフレデリカは続けた。
「もし……もしね? あんたがこの先なんかヘマをやらかして、この修道院を追い出されて路頭に迷ったとしたらね?」
「いやな想像するなおまえ……」
しかも俺の場合、やらかさないとは限らないからな。
元々この修道院に飛ばされることになったきっかけが、クソ王子を蹴っ飛ばしたからだし。
「そんな時が来たとしたら、わたしの家へ来なさいって言おうと思ったの」
「おまえの家って、王都の、公爵家? ああ、料理人としてか。でも俺、王都に入らないよう命令されてるんだが」
「だ、だったら別荘のほうでもいいしっ。聖マウグストゥス神学院の近くにあるからっ」
「ああー……今度俺とセラが行くことになったあの学校の」
なるほど、こいつはこいつなりに、今後の俺のことを心配してくれてるわけだ。
だから色々理由をつけて、拾ってくれようとしてるわけだ。
「レーブ公爵家の人間は、一度受けた恩を忘れないの。それはもちろんわたしだって同じ。フレデリカ・ジル・レーブが誇りにかけて誓うわ。ジロー、あなたを絶対に困窮させたりしない。だから、もしもの時はわたしを頼りなさい」
胸に手を当て、神に宣誓するようにフレデリカは言った。
まだ13歳の子供が、これ以上ない真面目な顔で、誇りに賭けてもと。
「ふっ……はっはっ……」
笑っちゃいけないと思いつつも、俺は笑ってしまった。
フレデリカの優しさと、意外なほどの真面目さが嬉しかった。
よかったなエマさん、こいつは将来立派なレディになるわ。
「ちょっと、なんで笑うのよっ! 言っとくけど、わたしは本気だからねっ!?」
「わかってるわかってる、ありがとよフレデリカ。もしもの時は行かせてもらうわ」
「その顔はわかってないっ! 絶対あんたはわかってないわっ! もうっ! バカ! バカジローッ!」
地団駄踏んで悔しがると、フレデリカはパタパタと走り去って行った。
「……ん?」
俺はふと気が付いた。
立ち去ったフレデリカが、いつもとは違う服を着ていたことに、今さらながら。
シスターたちが普段着てる修道服じゃない。
寝る時に着る夜着でもない。
淡い水色の、あきらかによそ行きだろうワンピースを着てた。
「……んん?」
それにはどういう意味があるのだろう。
ただの気まぐれ? 今の今まで着せ替え遊びをしていたから?
「まさかの本命……? いや、さすがにそれは飛躍しすぎか」
チョコの食い過ぎでおかしくなったのかもしれない。
俺は自分の頭をゴンゴン叩いた。
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