第63話「エピローグ」
見送りの儀と言ったって、そんなにおおげさものじゃない。
感覚的には送別会とかお別れ会に近いだろうか。
こちらの世界の彼ら/彼女らが信じる宗教なりの、
まずは聖歌の斉唱。
次に聖書の朗読。
代表たるハインケスの説教。
そして……。
「最後に今一度、冒頭の言葉を伝えたい。これはセラ・アミ、及びジロー・フルタ。今回の冬ごもりに関して特別な功のあった両名の見送りである。これから後、両名は王都の東、聖験あらたかなる聖マウグストゥス神学院にて1年間の研修を行う。無事帰参した暁には、どうか暖かい
言葉
セラの頭をぽんと叩き、俺の肩を強めに叩くと、すれ違うように後方へ下がった。
「……ま、おまえらにしてはよく頑張ったんじゃねえか?」
なんて、今まで聞いたことのない
『…………っ!!!?』
あまりのことに驚いて見つめ合う俺たちの耳元で、カーラさんがくすくすと笑いながら囁いた。
「ここだけの話、あの方が一番、今回の件に関して熱心だったんですよ。セラとジローが離れ離れにならないように、あーだこーだと理屈をこねくり回して、方々へ頭を下げてね」
「あのハインケスが?」
「ほへー……」
なんとか学院で研修、というのは本来ならば正
だが、そのままだと俺とセラが引き離されるということで、ハインケスが色々な筋へ働き掛けてくれたらしい。
異世界から来てすぐに
「案外あの方が一番、あなたたちふたりのことを認めているのかもしれませんよ?」
「いやあ、それはないでしょう」
俺はふるふると首を横に振った。
「顔を合わせりゃいつも嫌味ばかりだし、さっきのだって仕方なくこれぐらいのことはしてやるか、ぐらいの言い方だったし。それにそもそもですよ? この俺に厨房から離れて1年間神学を勉強しろとか、とんでもない嫌がらせのようにしか感じられませんよ」
「まあ、厨房から離れること自体はそうかもですけど……」
そんなことを話していると……。
「先生! ご教授ありがとうございました!」
「先生の教えは忘れません! 毎日皆さんの満足いくような食事を提供してみせます!」
「お? おお、おまえらか」
横合いから俺に話しかけてきたのはジェコとミスティだ。
ジェコは男、ミスティは女。
いずれも十代後半の若者で、エマさん配下の将来有望な料理人だ。
俺が修道院を離れるにあたり、その間の代理として送って来てくれたのだ。
「そんなにありがたがられるようなことをした覚えはねえよ。そもそもおまえらは基礎が出来てるし、教えること自体あまり無かった。強いて言うなら経験だが、それだって年月が解決してくれる問題だろう。特にここは特殊な環境だからな、経験を積むにはもってこいなんじゃないか?」
「はい! ありがとうございます!」
「肝に銘じます!」
「お、おうそうか……元気が良くて何より。ええとだな、毎食の分量やら食材の購入やら、色々と小うるさいシスター連中の好みやら、細かいことは全部この前のメモに書いてある。それでもわからないことがあったら即座に郵便。特に気を付けるべきは冬ごもりの準備だが……」
指示を受け止めると、ふたりは顔をつき合わせて話を始めた。
漏れ聞こえてきた言葉から察するに、今晩そして今月以降のメニューの相談だろうか。熱心なもんだ。
「ふう……疲れた。キラキラお
肩こりをほぐしながら言う俺に、カーラさんは楽しそうに話しかけてきた。
「ほら、嫌なことばかりでもないじゃないですか」
「はあー?」
「将来有望な若者を育て上げて、慕われて。まんざらでもないんじゃないですか?」
「いやいやいや、ご冗談。こんなのめんどくさいだけですよ」
俺はひらひらと手を振った。
「人に物を教えるような柄じゃないんですよ、俺は」
「あら、そうですか? わたしは適任だと思いますけど……」
カーラさんがおかしな感想を述べる一方で、セラはどどっと押し寄せたシスターたちに囲まれていた。
「セラ! 向こうに着いたら手紙を出すんだよ!?」
「お腹出して寝ちゃダメだからね!?」
「ガントリー先生って人がまだいたら、とんでもないうるさ方だから気をつけなさいよ!? あんたなんか一番に目ぇつけられちゃうんだから!」
「お、おおー……」
ベラさん始め、大柄なシスター連中にもみくちゃにされ──
「もおおおーっ! なんであなたのほうが先なのよー!」
「フレデリカ……」
「でもね!? これで終わりじゃないから! わたしも、もう少しでここを出ることになるからねっ! そうしたら王都に戻るから、王都から聖マウグストゥス神学院までなんかすぐだから、遊びに行くからね!?」
「フレデリカぁぁぁ~……」
涙で顔をぐしょぐしょにしたフレデリカに抱きしめられ、つられて涙目になっている。
その後も、セラへのシスターたちの挨拶は終わらない。
あとからあとからやって来ては、別れの言葉や
「ほら、ね? 慕ってくれる後輩が出来て、さらにセラとも離れずに済む。それに比べたら、苦手な勉強なんてどうってことないじゃないですか」
「さあーて、それは差し引きでプラスなのかマイナスなのか……」
いたずらっぽく聞いてくるカーラさんに、俺は肩を
そこへ……。
「ジロおぉぉぉ~……お願い、これ持ってえぇ~……」
「っとと、なんだなんだ、何系の妖怪だっ?」
餞別の品──手紙や手袋、マフラーに飴玉の入ったビンなど、絶妙にかさばるものを両手いっぱいに持たされたセラが、ふらふらしながらやって来た。
「ってセラか。いやしかし、こりゃすげえな……」
「ふうー……やあぁっと前が見えるようになったあぁ~……」
荷物を受け取り、脇にあった祭壇に置いてやると(ハインケスが何やら騒いでいるが、めんどうなので無視した)、セラはハッとしたような顔になった。
「ジロー……と、シスター長っ!? こ、これはもしや……『どろどろのみっかい現場』!? 『ゆがんだあいの行きつくはて』!?」
「何がドロドロの密会現場で何が歪んだ愛の行き着く涯か。週刊誌の見出しみたいなことを言うな……っていうかおまえのおかーさんってマジで異世界転生者なんじゃなかろうな……」
面倒なことになる前にとチョップすると、セラは「いてっ」と頭を押さえて呻いた。
「ううぅ~……ひどいぃぃ~……」
「ったく……変な言葉ばかり覚えやがって」
俺がため息をついていると……。
「別にいいけどねー。何せセラはもう11歳なのでー。立派な大人になりましたのでー。つまりこれは『せいさいのよゆー』なのでー。シスター長はしょせん『おめかけさんポジ』なのでー」
チョップの痛みから立ち直ったセラが、おかしなことをまくし立ててきた。
「わ、わたしがジローの……お、お妾さん?」
「はいシスター長、セラのペースに乗せられないー」
俺はすかさずツッコむと、これ以上おかしなことになる前にと話を変えた。
「んーで? 別れの挨拶は済ませて来たのか?」
「うんっ、終わったよっ」
するとセラは、にぱっと笑顔になった。
「みんな色々くれてねっ、教えてもくれたのっ。聖マングース神学院は厳しいけど季候のいいところだからとか、周りには大きな湖があるとか山があるとかお魚が美味しいとかっ」
「おう、そうか」
はて、そんな名前の学院だったかなと思いつつも、自信が無いので否定はしない。
「お土産屋さんもたくさんあるから、帰りにはきちんとお土産買って来るのよとかっ。ほら、リストとお金も渡されたしっ」
「ほとんどお使いじゃねえか……」
呆れる俺に、セラはなおも続けた。
「みんなちょっと泣いたりしてねっ。ね、変だよねっ?」
「……おい、セラ?」
どうも様子がおかしいなと思っていると……。
「たった1年だけなのにねっ。ねえ……変……だよねっ?」
唇を噛み、ぐずり鼻をすすったなと思った瞬間、セラは俺の腰にしがみついて来た。
「ああもう、泣くんじゃねえよ」
「だってだってえ~……」
撫でても、あやしても、セラはなかなか泣き止んでくれない。
セラに影響されたのか、カーラさん始め周りのシスターたちまでもが涙を流し始めた。
「……」
ああやっぱりなと、俺は今さらながらに痛感した。
いつの間にかセラが修道院の中心になっていたことに。
その天真爛漫さが、厳しい環境で生きる皆の希望の光になっていたことに。
カーラさんは俺がセラと一緒に行けてよかったねと言う。
それはセラにとってもだが、皆にとってもそうなのだと思う。
小さいセラがひとりではなく、頼れる誰かが傍にいる。
そう信じられることが安心に繋がるから。
たとえしばらく顔を見られなくても、きっと幸せなのだろうと想像できる。
それはきっと救いになるから。
「……ちぇ、なかなか重い荷物を背負わせてくれるぜ」
文句を言いつつも、投げ出すつもりはなかった。
俺はこの時、ひとつの誓いを立てていた。
セラを育てる。
聖女として恥ずかしくない、立派な人間にする。
それでもし、セラが聖女になりたくないと言い出したら──
なったはいいがお役目の辛さに泣き、辞めたいと言い出したら──
その時は、俺が手を引いて逃げてやる。
追われるならば地の果てまでも。
なんて。
もちろんそんなことは、おくびにも出さないが……。
「さぁてと……っ」
よっとばかりに体を抱え上げてやると、セラは「わあーっ?」と驚いたような声を出した。
まだわずかに目を潤ませているが、俺に抱え上げられた喜びのほうが勝ったようで、すぐにきゃっきゃと騒ぎ始めた。
「そんじゃ行くか、セラ」
「うんっ、馬車は表に停まってるってさっ。さっきフレデリカが言ってたっ」
「おう、そいつに荷物を積んで」
「ふたりで乗ってっ」
「向かうは遥か王都の東」
「……はっ? これってほとんどシンコンリョコーなのではっ?」
「言うなら修学旅行だな」
「もおぉぉーっ、ジロー、ノリ悪ぅぅぅーいっ」
「へえへえ、悪うござんしたね」
肩を竦める俺に、セラはしかし怒るよりも先に強く抱き着いて来た。
頬ずりすると、感極まったように叫んだ。
「んんんーっ、でも好きっ! ジロー、大好き!」
「へえへえ、そうかい。そいつぁありがとよ」
「もっとちゃんと言ってっ、心をこめてっ!」
「光栄の極みにございます」
「言い方だけじゃなくだよっ、んもおおおーっ!」
もおもおと牛みたいに繰り返すセラの様子に、皆が笑った。
たくさんの笑顔と拍手に送り出されるようにして、俺は歩いた。
セラを抱えたまま、信徒席の間の中央通路を、外へ向かって。
外からは春の光が差しこんで来る、暖かな風が吹きこんで来る。
その先に広がるのは麓へと続く参道、そして遥か王都へと伸びる長い街道。
なんとか神学院なんてところに俺は言ったことなど無く、だからなんの想像も出来ない。
でも、不安は無かった。
悔しいことに、それはたぶんセラがいるから。
こいつを育て、立派な大人にする。
動かぬ目標のあることが、俺にたしかな活力を与えてくれるから。
「……はっ? もしかすると、これが父性?」
「違うよジロー! それは愛だよ!」
「なんだおまえエスパーか?」
いつもみたいにぎゃあぎゃあと騒ぎながら、俺たちは礼拝堂を、愛すべきザント修道院を後にした。
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