第47話「フラッシュバック」
俺は走った。
深い雪の中を全力で。
──ロー……! ジロー……!
俺のすぐ後ろを、カーラさんがついて来る。
電気も車も無い中世レベルの文明、かつ雪国生まれの彼女は
だけど俺は、それすらも振り切って走った。
火事場の馬鹿力とでもいうのだろうか、今まで出したことのないぐらいの、人生最大ぐらいの全速力が出ている。
「……セラ!」
途中何度も、その名を呼んだ。
どうか無事でいてくれと願いながら。
「……セラ!」
重い後悔があった。
だって俺は、打てる手をすべて打っていなかったから。
打てる手ってのはこの場合、弱層テストのことだ。
これは雪山における雪崩事故を防ぐための手法で、知識さえあれば専門の道具が無くてもお手軽に雪質の脆い層を探ることが出来る。イコール、警告を発することが出来る。
それを俺は行わなかった。
たかが子供のソリ遊びと甘く見て、笑って送り出してしまった。
「……何がサバイバルの経験があるだっ! だったらそれを徹底しろ!」
たかがたかがが重大な事故に結びつくこともあると知っていたのに。
わずかな予兆の見落としが、絶望的な結果に繋がることもあると知っていたのに。
「くそバカ野郎が! 別の世界に来てまでなにやってんだ……っ!」
自責しながら、俺は走った。
走って、走って、そして……唐突にそれは来た。
──ドクン。
異様に強く、心臓が脈打った。
何者かに殴られたかのように、目の前にパッと赤い光が走った。
──ドクン。
それがフラッシュバックだと気づいたのは、見覚えのある映像が脳内で炸裂したからだ。
関係の冷めきった両親──仲良しだった妹──小さな掌──泣き顔でバイバイ──
断片的な記憶が、奔流のように荒れ狂った。
帰って来ない父──ひとりきりの食卓──鳴らない電話──返事の来ない手紙──
音は無かった。
映像は水が滲んだように、ひたすらぼやけている。
雨の日──鯨幕──喪服を着た大人たち──サイズの小さな棺──
「……ジロー!?」
足取りを乱した俺に、カーラさんが追いついて来た。
「いったいどうし……」
「──う・る・せええええええええっ!」
ドガンと思い切り足を踏み込むと、俺は叫んだ。
「ご大層にフラッシュバックなんぞしてんじゃねえええええ! 被害者面して苦しんで、自己満足に浸ってるだけだろうが! 誰かに慰めてほしくて必死か!? ふざけんな!」
「じ、じろぉ……?」
「大声出してすいません! ただ勢いつけただけなんで! 心配しないでください!」
自分で自分の頬を思い切り殴ると、俺は再び走り出した。
フラッシュバックはいつの間にか収まっていた。
修道院から麓の村へと伸びる長い長い参道。そこには驚くべき光景が広がっていた。
「やっぱりか……」
見慣れた下り坂の高さが、普段より1メートル以上も上がっている。
理由は……考えるまでもない、切り立った断崖のような斜面から、雪が崩れてきたのだ。
この異常事態に対し、シスターたちの反応は様々だった。
呆然と立ち尽くす者。
とりあえずスコップを持って来たはいいが、どうしていいかわからない者。
誰かの指示を仰ごうとキョロキョロする者。
そして──
そして──
主を失った誰かのソリが、逆さになって転がっていた。
「セラっ……!」
ギリリと奥歯を噛みしめると、俺は叫んだ。
「セラ! セラ! 無事か!? 聞こえてるなら返事しろ! これから探しに行くから、力のある限り声を上げ続けろ!」
「ジロー! ジロー! ここだよ! セラはここにいるよ!?」
その声は、横合いからかけられた。
あまりにも不意打ちだったので、俺は堪らずすっ転んだ。
「は? え? なんで? どこから……ってかおまえぇぇぇっ!?」
頭にかぶった雪を払いのけながら俺は、声のした方向を見た。
そこには紛れもないセラがいた。
一緒に遊んでいたフレデリカたちと共に、呆然と座り込んでいた。
「ジロおぉぉぉぉー!」
大声を上げると、セラは真っ正面から全力で抱き着いてきた。
「うおおおおいっ!? おまえおまえおまえっ!? 大丈夫なのか生きてるのかそのついてる足は本物かっ!?」
「ホントだよ! ホントのホントにセラだよ! っていうかジロー! それどころじゃないんだよおおおっ!」
顔を真っ赤にして興奮したセラが、至近距離から危機を叫んだ。
「ランカとレオナが、馬ごと雪に呑まれたのっ。ついそこまで来てたのにっ、声だって聞こえてたのにっ、いきなり坂がドドドドドーッって崩れて来てっ、それで……っ、それで……っ、それで……っ」
ぐず、とセラは鼻を鳴らした。
表面張力いっぱいに涙を溜めた瞳で、まっすぐに俺を見た。
「お願い、ふたりを助けてあげてっ!? そしたらあとは、セラが治すからっ! だから……お願いっ!」
「……はっ……はっ……はっ」
俺は思わず笑ってしまった。
こんな状況で不謹慎だとは思うけれど、嬉しかった。
セラが生きていたことが。
そしてセラが、これほどの大自然の驚異を目の前にして、なおも恐れず他人の身を案じられる人間であることが。
身を震わすほどに、嬉しかった。
「……じ、ジロー?」
「大丈夫だ、安心しろ。俺が救ってやる」
不安そうにしているセラの頭をかき抱くと、その柔らかな髪の毛に頬をくっつけた。
「俺はな、決めたんだ。絶対、誰ひとり、死なせやしねえって」
もう二度と、失うもんかって。
そう付け加えると、俺は立ちあがった。
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