第46話「結婚できない男」

 ある昼下がり、食堂の隅で書き物をしている俺をカーラさんが訪ねて来た。

 今日が休養日のセラはフレデリカたちとソリ遊びに出かけている──つまりはやかましいのがいないちょうどよいタイミングで、作業進捗の連絡はスムーズに行われた。


 作業進捗ならばシスター長のカーラさんから修道院長のハインケスへと行われるのが常識的な筋道だが、今回は俺が現場での実戦指揮を執るにあたってこういう形にしてもらっていた。

 迅速にそして柔軟に修道院の舵をきるには、それがベストだと考えたからだ。


「──各班からの連絡は以上となります」


 カーラさんによるならば、こうだ。 

 ベラさんをリーダーとする食料調達班。

 レイさんをリーダーとする燃料調達班。

 最近作った、マリーさんをリーダーとする冬装備制作班。

 いずれも上々の成果を挙げていると、そして──


「特に燃料調達班の進行は顕著ですね。雪がまだ少ないうちから始めたのが良かったのでしょう。すでに貯蔵倉庫に入りきらないほどの木材が確保できています」

「ああ、いいですね。なら、枯れ木を屋内に、生木なまきを屋外に桟積さんづみにさせてください。その後に班を解体。他の2班に割り振ってください。──といっても、これで燃料問題がまるっきり解決したわけじゃありません。何せ向こう半年分ですからね。食料調達班には今後も継続して、帰る途中で適当な木材や火口ほくちの材料を拾って来るよう徹底させてください。火を効率的に点けるため、そして継続的に燃やすためには、そのどちらも欠かせません。合わせて残量のチェックも怠らないようにお願いします」


 あたりまえだが、燃料としての木材の調達は急務だ。

 暖房、食事に使う他にも、なんらかの事故が起こって井戸水が使えなくなってしまった場合には、雪を溶かして生活用水を作るというとんでもない作業が発生することだってあり得る。


「生木の保管は屋内でなくてもいいのですか?」

「時間効率は悪いですが、通気性さえ確保してやれば屋外でも木の内側が乾燥します。それを続けていけば、十分に使える燃料になるんです。もっともすぐに使う分ではなく、数か月後に使う分というイメージですがね」


 残留水分そして燃焼効率のことを考えれば、本当は半年一年ぐらいは置きたいところだが、現状ではそうも言っていられないだろう。


「わかりました。他に何か伝えるべきことはありますか?」

「冬ごもりに失敗した野性の獣は危ないんで、なるべく無茶はしないこと、常に集団で行動すること。喉が渇いたからといって、雪をそのまま口に含まないこと。これは体温が下がることによって逆にカロリーが奪われるからです。あとはそうですね……。木の実の他にも一部の木の内側の樹皮は食用になるんで、余裕があれば剥いで来ること。以前にも言ったことがあるんで覚えてるとは思いますが、中には毒性のもあるので、俺が教えた木以外からは取らないことを徹底させてください」

「木の樹皮を……食べる……?」


 カーラさんの頬がひくりと引きつった。


「さすがに外側は無理ですけどね。内側なら煮てすり潰せば食べられるんですよ。なんと驚き、餅の材料にだってなるんですから。なんなら今度、ご馳走しましょうか?」

「はあ……い、いえ……」


 思い切り青ざめているカーラさんには言えないが、実際には他にも色々と裏技はある。

 木の苔やら革靴やら、明らかに食えそうにないものだってやり方次第で食うことは出来るのだ。

 まあさすがに、まだそこまで追い詰められてはいないのでやらないが。


「冬装備制作班にはとにかく薄手のハンカチをたくさん作るように言ってください。防寒着の各所にポケットを増設するようにとも。他のは一切作らなくていいんで」

「ちなみにそれはどういった理由で……?」

「トウガラシを仕込むんです。トウガラシの成分であるカプサイシンが皮膚を刺激して血行をよくして、温めてくれるんですよ。これは主に霜焼けや凍傷の対策ですね」

「はああ~……」


 カーラさんは呆れと感心がない交ぜになったような顔をした。


「あなたは本当になんでも知ってるというか……大変な経験をしてきたんですねえ……。その、それもすべて恩師の方の方針で……?」

「ええ、もっともここより遥かに小規模な集団において、ですけどね。これだけの集団を、しかも半年というのはさすがに未経験ですけど……でもまあ、根っこの部分は変らないはずです」


 常に先々の変化を窺うこと。

 取捨選択を間違えず、断固として行うこと。

 強いリーダーシップと、空間を広く見渡す俯瞰ふかんの視点。


 普通の料理学校ならば教室で学ぶだろうそれらを、俺は極限の自然の中で教わった。

 

「ははあ……なるほど」


 連絡が終わった後も、カーラさんはなかなか立ち去ろうとしなかった。

 といって何かを喋るわけでもなく、立ったままそわそわしている。


「……何か、気になることでもあるんですか?」


 書き物をする手を止めて問いかけると、カーラさんはハッと驚いたような顔をした。


「だってそうでしょう。いつもなら普通にすっと入って来るのに、今日にかぎっては変にきょろきょろして、セラがいないのを見計らっているようだった。連絡以外にも、セラがいては言い辛い用件があったんじゃないですか?」

「その……なんというか……」

「双子のことですか?」

「…………はい」


 完全に見抜かれたのを悟ったのだろう、カーラさんはうなだれた。

 対面の席にちょこんと座ると、ポツリポツリと話し出した。


「ふたりが旅立ってから、もう2か月以上になります。積雪のせいとはいえ、当初は2週間の予定だったじゃないですか。なのに未だに帰って来ないどころか、一切連絡が無いというのは……」


 どこかで辛い目に遭っているのじゃないか。

 あるいは不慮の事故に遭っているのじゃないか。


 冷酷なように見えて、実は人一倍情の深いカーラさんのことだ。

 きっと、日々胸を痛めているのだろう。


「……まあ、たしかに」


 俺は窓から外の様子を眺めた。

 ひと月前まではまだ見えていた地面が、今は深々と積もった雪で隠されている。

 屋根からは大きな氷柱が垂れていて、長い所などは先端が雪面に突き刺さりそうだ。


「俺もね、郵便があるなら使うようにとは言っておきましたよ。ですがこの雪です。郵便がそもそも機能しているかもわからず、足としての馬を手に入れられたかもわからない」

「ええ……わたしもそれが不安で……。今日は日差しもあって、比較的暖かですけど、昨日まではビュウビュウと風が吹いて寒かったですし……」


 この中をあのふたりがさ迷っているかもしれないと考えると、ゾッとする。

 そんな風に、カーラさんは身を震わせた。


「便りが無いのは元気な証拠、なんて言い方もありますけど……。それもなんだか落ち着かなくて……」

「……」


 さてどうしたものだろうと、俺は悩んだ。

 セラをして、絶対結婚なんか出来ないと断言された身だ。

 女心なんかわかるはずもなく、気の利いた言葉なんて出てくるわけもない。


「……」 


 じゃあ合理的な意見を述べればいいのかというと、たぶんそうではないだろう。

 これこれこうなる確率が何%あるけど、ならない確率のほうが何%もあるからほぼほぼ平気なんじゃないですかとか言ったって、きっと納得はしてくれない。


「……」


 待てよ?

 女性ってのは相談する前に自分の中で結論を出してるって話を聞いたことがあるな。

 ということは単純に同意すればいいのか?

 わかりますよとか心配ですねとか適当に相槌を打つのが正解?

 ああ……なるほどな……。


「こりゃあ俺……結婚出来ないわ……」


 額に手を当てると、俺は思わずつぶやいた。


「え? ケッコン?」

「あ、いや、なんでもないです。突然セラの話を思い出しただけでっ。こんな時にすいません、失礼しましたっ」


 真剣な相談の最中におかしなことを言ってしまった。

 俺は慌て、平謝りに謝った。

 

「……ふ、ふっふっふっ……」


 俺の慌てぶりを見てだろう、カーラさんは口元に手を当てて笑い出した。

 

「あなたでも一応、そういうのを気にしたりするんですね」

「俺でもというか……まあ、一応男ですし?」

「ふっ……くっくっくっ……」


 完全にツボに入ったようで、カーラさんはテーブルに突っ伏して身悶えし出した。 


「いいじゃないですか別に……結婚願望があったって……」

「くうっ……あっ……」

「今すぐとかそういうんじゃなくても、ぼんやり将来のことを考えたりはするんですよ。その……たまには……」

「やめ、やめて……っ、死んじゃう……っ」


 もうやめてというように、カーラさんは俺に向かって手を突き出した。





「……ちぇ」


 カーラさんの笑いが納まる頃には、俺はすっかり気分を害していた。


「ごめんなさいね。あんまりにも意外なものだったから……」


 ふて腐れてそっぽを向いていると、逆にカーラさんのほうが謝ってきた。


「……いいですけどね。別に」

「本当に、こちらが話を聞いてもらっていたのに……」

「いいですってば、大事な相談の最中におかしなことを考えた俺が悪いんです」

「大丈夫ですよ、ジロー。あなたはね、自分が考えているよりもずっといい男ですから」

「この状況でそのフォローされて喜ぶ奴いないですからねっ?」


 全力でツッコんだ拍子に、表でドサリと大きな音がした。

 なんてことはない、屋根の雪が剥がれて落ちた音だろう、今日は暖かいからな………………ん?

  

「……あら、どうかしたんですか? ジロー」


 なぜだろう、ものすごく嫌な予感がする。


「あの……シスター長……。さっき、なんて言ってましたっけ」

「え? ええーと……『自分が考えているよりもずっといい男ですから』?」

「そこじゃないですよっ。もっとずっと前の話ですっ。たしかほら、天気のことを言ってたじゃないですかっ」


 テーブルをバンバン叩いて答えを促すと、カーラさんは首を傾げた。


「ええ? えーと……えーと……『今日は日差しもあって、比較的暖かですけど、昨日まではビュウビュウと風が吹いて寒かったですし』?」

「それ、それですっ。その前はどうでした? 天気っ」

 

 マメなカーラさんは、毎日日記をつけていると聞いたことがある。

 天候の移り変わりや、日々の思いをつづっていると。


「たしかしばらく寒い日が続いて、ドカ雪が降って……」

「──!」


 俺は思わず立ち上がった。

 そうだ。

 嫌な予感の正体はそれだ。

 ドカ雪──急激な気温の変化──急斜面──雪崩の起きやすい三大条件。

 

「ど、どこへ行くつもりなんですかっ?」


 とるものもとりあえず外へと飛び出した俺に、カーラさんは慌ててついて来た。


「今セラたちは、参道の斜面にソリ遊びに行ってるんですっ。だけど今日は日が悪くて……」


 説明しようとした瞬間、遠くでドオオオーンと凄まじい音がした。

 次いで足元を震わすような大震動……。


 ──雪崩だあああああーっ!

 

 誰かが悲鳴じみた声を上げ、俺は慌てて走り出した。 

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