第45話「ペミカンのシチュー」

 翌日から、食料加工班を総動員しての保存食作りが始まった。


 保存食を作る上での最大の敵は、食材の持つ水分だ。

 なぜなら水分は食材から鮮度を奪い、微生物の生育に絶好の環境を提供してしまうからだ。

 人類は経験によってそれを知り、遥か古代から気が遠くなるほどの試行錯誤を繰り返してきた。


 天日てんぴに干す、風にさらす、乾煎からいりする、燻煙くんえんする、塩漬けにする、砂糖漬けにする、油漬けにする、酢漬けにする、辛子漬けにする……それら無数とも言える方法の中からひとつ、俺が最も効率的だと思うものを挙げるとするならば……。





「ねえねえ、ジロー? わざわざ保存食にしなくても、毎回ジローが普通に料理するんじゃダメなの?」


 作業台に並べた無数の皮袋の中のひとつを摘まみ上げながら、心底疑問というようにセラが言った。


「この辺はごっかんの地だから、物が腐りにくくていいなって、前に言ってたでしょ?」 

「そうだな。最近の積雪のおかげで氷室が使えるようになって、普通の食料の保存状態も格段に良くなってる。だがな、それにしたって限度はあるんだ。何せ向こう半年間を見据えなきゃいけないわけだからな。一番最初の保存戦略が大事なんだ」


 ほへえー、と感心したようにうなずくセラ。


「ねえ、ちょっとこれ……何よ? あなた何するつもりなの?」 


 セラの隣でフレデリカが、青い顔をしながら作業台の上に載せたストッカーを指さした。


「白くてぶよっとしたのがたくさん入ってるんだけど……ちょっと変な臭いもするんだけど……」

「ああ、それ? 獣脂」

「……じゅうし?」

「脂だよ。豚に牛に羊に鳥に……ともかく料理の際に出た獣の脂から不純物を取り除いてな、冷やして固めておいたんだ」

「そ、その脂を……いったいどうするつもりなのよ……?」


 たぶん、答えはわかっているが認めたくないのだろう。

 フレデリカは頬を引きつらせながら聞いてくる。

 その後ろではマリオンとルイーズが、抱き合いながら身を震わせている。


「料理に入れる」

『ひっ…………?』

「ドカンと、まるごと」

『いやああああああーっ!?』


 年少組だけはない、話を聞いていたシスターたちが一斉に頭を抱え悲鳴を上げた。

 女子の本能が、脂をドカンなんて方法で作られる料理に恐怖を覚えているのだ。


「まあそう言うなって。見た目に反して意外と美味いんだから」


 説明もほどほどに、俺は料理にとりかかった。

 といっても行程は少なく、死ぬほど簡単。たぶんセラでも出来るレベル。

  

 肉、にんにく、エシャロット、ニンジン、キノコ類を切る。

 油を引いたフライパンで、最初は強火、徐々に弱くしながら、塩胡椒で味をつける。

 水分が飛んだところに、脂をドカン(ここでシスターたちの間から悲鳴が上がった)。


 脂が溶け、食材をコーティングしたところで火を止め、粗熱あらねつがとれたところで皮袋に投入、硬く口を縛って完成!

 

「料理名は『ペミカン』な。俺の世界じゃ一部地方の民族の伝統的な保存食だ。これを冷暗所で保管するだけで、なんと驚き、1年2年は普通につという……あれ?」

『……』

「えっと、俺のいた国じゃ愛好家が多くて、特に山登り好きな連中がそれぞれのアレンジを加えたのを山に持って行ったりするのが風物詩みたいになっていて……あれれ?」

『………………』


 説明すればするほどに、シスターたちは引いていく。


「『それが料理だセ・ラ・キュイジーヌ』!」


 俺の腕を信じているのだろう、セラだけがいつもの調子で盛り上がっているが……。





「というわけで今回も、すでに用意してあるのを食べてもらいます」

「……何これ、このパターン毎回続くわけ?」

  

 いかにも嫌そうな顔をするフレデリカはともかく、その日の夕飯はペミカンのシチューに黒パンというメニューになった。


 ちなみにペミカンの戻し方だが、固まっているのを温めて溶かすだけ。

 なんせ周りを固めているのは脂だから、新たに油を使う必要はない。

 黒パンにひたして食べるなり、そのままシチューとしてすするなりすればいいのでものすごい楽だ。 


「んー……ジロー? これってなんだか、量が少ないよーな……?」


 まず最初に異変に気づいたのはセラだ。

 ひとつのペミカンを4分割にして配ったのを不満に思っているようで、むうと唇を尖らせている。


「黒パンもいつもの半分の大きさだしっ。セラはちゃんと頑張ったのにーっ。なんでなのーっ?」

「まあそう言わず、騙されたと思って食ってみなって」


 この先の展開を思って笑いをかみ殺しながら、俺は他の皆にも食べるように促した。

  

 すると──


「お……おいしいーっ! おいしーようっ」


 真っ先に喝采を上げたのはセラだった。 

 

「すごいすごいすごいっ。お肉は柔らかいし、お野菜やキノコは甘いしっ。香りは香ばしくてっ、スープも濃厚っ。保存食なのに、すんごいおいしいシチューになってるうーっ。しかもほらほらっ」


 皿から顔を上げたセラの唇は、脂でテカテカに光っている。


「すんごいぷるぷるなのっ。あははははっ、おっかしいねえーっ」


 あっという間に機嫌を直したセラと同じような感想を皆も思ったのだろう、あちこちから「あら美味しい」とか「これは意外と……っ」などという好意的なつぶやきが次々に上がってくる。


「ふっふっふっ……そうでしょうそうでしょう。製法はシンプル、戻しも単純。おまけに携帯性は良く、エネルギー源としても優れたスーパー保存食なんですよ。ペミカンは」

『…………エネルギ・ ・ ・ ・ー源として ・ ・ ・ ・ ・優れた ・ ・ ・?』 


 俺の言葉に、シスターたちの耳がピクリと動いた。


「ああ、それはですね。そもそもこいつの材料が……」


 説明をしようとした矢先のことだった。


「あれれえ~……? これは……これはけっこう……?」


 一気に食べ終えたセラが、お腹をおさえながらおやというような顔をした。


「見た目の割にガッツリ目の……?」

「あ? そりゃそうだろう。こいつの半分は脂で出来てるんだから」

半分脂・ ・ ・……?』 

 

 俺の言葉に、シスターたちがザワついた。


「脂ってのは脂質の塊だ。そんで脂質ってのはな、なんと驚き1グラムあたり9キロカロリーのエネルギーを宿してるんだ。これは同じく三大栄養素である糖質やたんぱく質の2倍の数字であり、つまりは非常に効率的なエネルギー源だということを表してるんだ。だから保存食はもちろん、さっき言ったような携行食にも適しているというわけで……」

「ちょ……ちょっと待ってくれるかしら……?」


 おそるおそるといった様子で、フレデリカが手を挙げた。


「それってつまり要するに……これを食べ続けると……なんというかその……」

「これだけをか? そりゃまあ、いつもの摂取カロリーの倍以上はあるからな。続けりゃあてきめんに太るわな」

『…………っ!?』


 あ、やべ。

 一斉に席を立ち始めたシスターたちを引き止めようと、俺は懸命に言葉を並べた。


「待った待った、一食ぐらい大丈夫ですって。実際のとこ、ここみたいな極寒の地で生きる人間にはこれぐらいでちょうどいいんです。寒さ対策に一番有効なのは体に蓄えた脂なんだから……ってそうじゃなくっ。ねえ、考えてもみてくださいよっ。これから積雪はさらに深く、寒さはさらに厳しくなるわけで、そしたらその分消費も多くなるわけで……おい待てって、スプーンを置くなって」


 必死の制止もむなしく、皆はゾロゾロと食堂を出て行き……。


「残りは明日食べるわ」

「……わたし、明日は朝食抜く」

「聞いた? 脂を蓄えなさいですって」

「これだから男ってのは……」

「運動しなきゃ……運動しなきゃ……」


 そしてとうとう、誰もいなくなった。


「バカな……この俺が、出した料理を残されるなんて……」


 呆然としながら突っ立っている俺のコックコートの裾を、ひとりだけ残っていたセラがぐいと引っ張った。


「ほら、言ったでしょ? ジローは絶対結婚できないって。だからセラが結婚してあげるんだって」

「いやいやいや、なんでおまえそんな上から目線なんだよ。今回のこれはそういうのじゃないだろ?俺は皆に食べ慣れてもらうためにあえてペミカンを出したのであって……いずれ厳寒期も押し詰まってくれば、きっとわかってもらえるはずで……」

「ほら、そーゆーとこだよ? ジロー」


 ハアとムカつく顔でため息をつくと、セラは皆が残していった料理を片付け始めた。


「いやいやいや、おかしいだろ……って聞けよ、俺の話をよおぉぉーっ」

「はいはい、そこどいてー。お片付けの邪魔だからねー」


 せっせと働くセラに軽くいなされながら、俺はひとり理不尽な敗北感を味わっていた。

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