第44話「可愛い野ウサギちゃんの修道院風」

 セラが食材の準備や下ごしらえをしている間に、俺は熟成させた野ウサギの調理にとりかかった。


 野ウサギといってもすぐにはピンとこないかもしれないが、海外では普通に食用とされるジビエだ。

 特にフランス料理ではド定番で、専門のコンクールがあったりするほどだ。


 数あるレシピの中でも最高峰は『野ウサギの王家風リエーブル・ア・ラ・ロワイヤル』。

 これは同時にジビエ料理の中でも最高峰と呼ばれている。

 目の玉の飛び出るような高級食材と卓越した調理技術、さらには超絶長い仕込みまで要求される、とにかくすさまじいレシピだ。

 野ウサギのフルパワーを味わせるためには最適なのだが、食材そして時間の観点から、ここは簡易版で……。


 まずはメインとなる背肉を骨から丁寧に切り離す。

 なぜ背肉かというと、クセがなくてたんぱくで、ここがたぶんウサギで一番美味い部分だからだ。そして、詰め物をするのにちょうどいい大きさだからという理由もある。


「ジロージロー、こっちの肉は使わないの?」


 放置された胸肉と首肉を指差し、不思議そうに聞いてくるセラ。


「そっちは次回だな……おいやめろ、物欲しそうな目で見るな。つうかマジで生肉食うとか考えるなよ? ものすごいことになるからな?」

「でも、狼さんは生で食べてるよ?」

「あいつらは体が丈夫なの。そしておまえは狼じゃありません」

「くうううーん」


 寂しそうな鳴き声を上げるセラがマジでつまみ喰いとかしそうだったので、肉の生食いの恐ろしさを滔々とうとうと語りつつ作業を進める。


 次の作業は詰め物及びメインとなる背肉の焼きだ。


 前足と後ろ足の肉をミンチにして、マッシュルームとエシャロットのみじん切りにしたものを混ぜ合わせ、溶き卵で練る。

 それらをバター炒めにしたのもを塩、胡椒で味つけしたら、背肉とスライスしたチーズで包みんで片栗粉をまぶして糸で縛る。

 フライパンで表面全体に焼き色をつけたら、180度に予熱したオーブンで8分間火を通す。


「おおー、さるもねらきんがっ、だいちょうきんが燃えていくっ。うぎゃあああーっ。熱い熱い熱い、死ぬうううううーっ。やめて出してええええーっ」

「うんうん、さっそく生肉食いのリスクを覚えたのは偉いが、食材に感情移入する必要はないからなー」

  

 小学校の先生ってこんな気持ちなのかなと思いつつ、次はソース作りだ。


 鍋で骨とくず肉を炒め、ほどよく色づいたらエシャロット、ニンジン、セロリ、にんにくをみじん切りにしたものを投入、さらに炒める。

 全体的に褐色がかってきたらザルにあけて余分な油を落とす。

 

 赤ワインで鍋についたうまみ成分を溶かし、トマトペーストと作り置きの鳥の出し汁フォン・ド・ヴォライユ、先ほど炒めたものを加えて強火で煮る。

 アクや脂を取り除きつつ40分煮込み、目の細かい濾し器シノワして完成……でもいいのだが、せっかく新鮮なジビエなのだから、付け合わせも作っとこう。

 といっても、難しいものじゃない。

 解体作業の段階で切り離しておいた肝臓、腎臓、心臓を適当な大きさに切って塩胡椒とバターで炒め、赤ワインでフランベして風味付け。あとはパセリのみじん切りを添えるだけ。

 

 ちょうどのタイミングで焼き上がった背肉の詰め物を斜めにカットし、付け合わせを添え、ソースをかけて完成!


「名付けて『可愛い野ウサギちゃんモン・プチ・リエーヴルの修道院風・ア・ラ・アベイー』だ。さあ、召し上がれ!」

『…………』


 いつもの黒パンにスープを添えて差し出されたメインディッシュを、年少組の皆はじっと見つめた。


『これが……あの……?』


 解体した時の記憶が生々しく残っているのだろう。

 なんとも言えない気まずい表情をしているが……。


「わああああっ! おいしーっ。おいしーようっ!」


 天使じみた笑みを浮かべるセラの感想に、皆はゴクリと喉を鳴らした。


「野ウサギなのにお肉が硬くないしパサパサもしてないっ。トロトロ柔らかくて、噛むと汁がじゅわっと出てきてっ。味がすんごく濃厚で、香りが頭の奥にガツンときてっ。なんかこう神様の鳥肉みたいな感じで、とってもとってもおいしーようっ!」

『…………っ』


 神様の鳥肉ってなんだよとかいう疑問はともかく、そこまで言われては堪らない。

 皆が皆、先を争うようにかぶりついた。

 そして──

 

『………………っ!!!?』


 次の瞬間、目を見開いて驚いた。

 セラが口にしたような食感を、香りを、味わいを実感したのだろ。頬をピンク色に染め、口元をぐにゃりと歪ませた。


「何よこれ……何よこれ……」


 一番最初につぶやいたのはフレデリカだ。


「あんなに可愛いのに……こんなにどうして……っ」


 それがさも恐れ多いことであるかのように、両手で顔を覆っている。


 その両隣で、マリオンとルイーズもつぶやいた。


「悪魔よ……あの男が悪魔の技でウサギちゃんを……ああっ、なんてことっ。こんなの……こんなの太っちゃうぅぅっ」


 体重増を気にしていたはずのふっくらマリオンが、罪悪感に耐えながらも力強く右前足を噛みちぎり。


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいっ。で、でもね? 悪いのはあなたなのよっ? だってこんなに美味しいから……っ」


 狐目のルイーズが、聞きようによってはサイコパス風にもとれる発言をしながら聖印を切った。




「おう、どうだ。可愛い野ウサギちゃんは美味かっただろう?」


 食後、呆然とたたずむ3人に声をかけた。


「悪魔だのなんだのとさんざん言ってくれたが……なあ、今はどんな気持ちだ? 俺への評価は変ったか?」 

「ぐっ……」


 綺麗に平らげられた皿を恥ずかしそうに隠すと、フレデリカがキッと強い目でにらみつけてきた。


「今も変わらないわよっ。あなたは悪魔よっ。冷酷で残忍な悪魔っ」

「でも、悪魔の料理は美味かっただろ?」

「う……ううううう……っ?」

「ほら、どうだった? 美味かったのかそうでもなかったのか? なあ、正直なところを言ってみろよ」


 耳に手を当て煽るように言うと、フレデリカはむぐぐと言葉を詰まらせた。

 が、やがて観念したのだろう、ぼそぼそとつぶやくように言った。


「お、美味しかったわよ……黒パンと……スープと……」

「……と?」

「…………ウサギちゃんも」

「そうかそうか、ウサギちゃんは美味かったかあー! そいつは良かったなあー! あーっはっはっは!」

「ああああああーっ! この男はああああーっ!」


 耐久限界を超えたのだろう、フレデリカは髪を振り乱して怒り出した。


『………………』


 気が付くと、俺を見つめる皆の視線が冷たいものになっている。


 だが、構うものか。

 これはあれだ、必要悪みたいなものなのだ。


「さて、ジビエの美味さを理解してしただけたところで……だ」


 ゴホンと咳払いをしてから、俺は年少組の顔を均等に眺め渡した。


「今後もおまえたちには、俺の解体作業を手伝ってもらう。地味で汚い、だが下ごしらえの根幹の、最も大事な部分をやってもらう。おっと、それだけじゃないぞ? 塩漬けに酢漬けに麹漬けに油漬け、燻製を作るのもけっこう大変な作業なんだが、そいつもすべてやってもらう」

「な、なんでわたしたちだけにそんなキツくて汚い仕事を……横暴よっ」

「そ、そーよそーよ、横暴よっ」

「子供への強制労働反対っ」

「はんたーいっ」


 フレデリカに続いて、マリオンとルイーズが順番にシュプレヒコールを上げた。

 最後のはセラだが、ニコニコしながら手を挙げているので、おそらくはノリで真似しているだけだろう。


「しかたねえんだよ。年長組のシスターたちにはそれぞれの役割があるんだから。おまえらには現状、専門で出来る仕事はねえだろ?」


 実際のところ、俺だって子供を無理に働かせたくはない。

 だけど今は状況が状況だ。

 生き残るためには手段を選んでいられない。


 食料の加工については裁縫担当のマリーさん他数人に手伝ってもらっているが、厳寒期が本格的になれば、もう頼めなくなる。

 彼女らには彼女らにしか出来ない役割があるからだ。


「……その代わりと言っちゃあなんだが、おまえらには時々ご褒美をやるからさ」


 他のシスターたちには聞かれないようにボソッと囁いて──とにもかくにも俺は、年少組の手綱を握ることに成功した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る