第8話「知らぬは本人ばかりなり」
フレデリカを中心とした3人組が食堂に入って来ると、明らかに空気が変わった。
それまでにこやかに食事していたシスターたちが、一斉に体を強ばらせた。
「フレデリカ様、こちらですわよ」
「ほら、ここが開いてますわ」
あらかじめ用意されていたかのような不自然な空席に3人は悠然と座ると、声高にお喋りを始めた。
話の内容は愚にもつかないようなものだ。
王都の最新の流行がどうだとか、あの詩人の最新作が素晴らしかっただとか。
触らぬ神に祟りなしといったところか、周りの者は手早く食事を済ませてしまおうと口元を
「……なるほどな」
一方俺は、食堂の隅にいた。
同じく隅の席に座っているカーラさんと一緒に、3人の様子を観察してみたのだが……。
「こうして見ると異質ですね。あの3人」
「……ええ」
「食事前にみんな一緒にお祈りするのが決まりなのに堂々と遅れて来て、かつあのふてぶてしい態度。年上のシスターたちが腫れ物でも触るように扱っている」
「あの3人の、特にフレデリカの持参金は他とは一桁違うんですよ。修道院の経営において、無視できないほどのものなんです」
「多少のおイタには目をつむらなきゃいけないと? シスター長でも難しいんですか?」
「わたしは言いますよ。……でも、あまり強いものではないと思います。情けない話ですけど」
きゅっと唇を噛みながら、カーラさんはかぶりを振った。
「ほら配膳係、早く持って来なさいよ」
「何をもたもたしてんの。フレデリカ様がお待ちよ」
マリオン、ルイーズが催促を始め、フレデリカが不敵な笑みを浮かべた。
その3人のところへ、セラが料理の乗ったトレイを運んでいく。
「さ、さあーっ、朝食だよーっ。ジローの料理は美味しいよーっ」
恐れているのだろう。
陽気な口調の割に、セラの表情には硬さがある。
「ほら、早くしなさいよ」
「なんでそんな遠くにいるのよ。わたしたちに取りに来いとでも言うつもり?」
3人の直前まで来たところで、セラの足はピタリと止まった。
足を引っかけられることを恐れているのは、すぐにわかった。
──断食前の最後のご飯も、意地悪されて転ばされて床に……うう、うわあああーんっ。
あの夜セラが言っていたのはこれだったのだ。
「ほうー……そういうことか」
状況を理解した瞬間、セラが盛大にすっ転んだ。
トレイはあらぬ方向へと飛び、料理がそこら中にぶちまけられた。
犯人はマリオンだった。
セラが手を伸ばしてトレイを置こうとしたところへ、わざと椅子を引いてぶつけたのだ。
「あら、あなた何してるのよ」
「せっかくの美味しい朝食をこぼしちゃって。最っ低ー」
顔を真っ青にして放心状態になっているセラに、マリオンとルイーズが口々に言った。
「ねえセラ。どうしてくれるのよ。どう責任とるつもり?」
最後のダメ押しはフレデリカだ。
セラの心の弱い部分をチクチクと突いていくあたりが実に手慣れていて、今までの積み重ねを感じた。
「もちろんこのままってわけにはいかないわよね。人の食事を台無しにして、自分だけのうのうといただきますってわけにはいかないわよね?」
「う、うう……」
「うーうー言ってるんじゃないわよ。ねえ、簡単なことでしょ? あなたの分をくれたらいいのよ。そしたら丸く納まるわ。それぐらい、その足りない頭でも想像つくでしょう?」
「うううう~……?」
半泣きになったセラを、3人が一斉に責めたてるが……。
「ちょっとあなたたち、いいかげんに……」
「黙れ」
仲裁に入ろうとしたカーラさんを押しのけて、俺が前に立った。
立場を考えるなら本当は任せるべきところだが、さすがに頭にきていた。
「何よあなた、たかだか料理番のくせにわたしに口答えをするつもり?」
「黙れよ、豚」
上から見下ろすようにして言うと、フレデリカの表情がピシリと固まった。
「ぶ……豚? 豚ってあの……? あ、あ、あ……あなたいったい誰に向かってモノを言ってるかわかって……」
「おっと、人間だったか。すまない、あまりに似てるもんだから見間違えた」
「……っ!?」
何かはわからないが何か恐ろしいことが起こっているのを察し、マリオンとルイーズがガタガタと震え出した。
フレデリカは衝撃のあまり思考停止状態に陥り、口を意味なくパクパクさせている。
「怖かったのに頑張ったな、セラ。だけどもう大丈夫だからな。ここから先は俺に任せろ」
涙で視界がぐじゅぐじゅになっているセラを守るように抱き上げると、俺は改めてフレデリカに対した。
「俺はな、この世で許せないものがふたつあるんだ。それは意味なく他者を貶める人間と、食い物を粗末にする人間だ。一部始終をこの目で見ていたが、配膳するセラを脅していたのはおまえら全員だ。そのせいでセラのバランスが崩れ、マリオンが椅子をわざと引いたのがとどめとなった。セラに落ち度はまるでない。全面的におまえらが悪い」
「そ……そんなの言いがかりよっ。誰か他に見ていた人でもいるって言うの? 証人は……っ」
「証人ならいる」
俺はカーラさんの方に顎をしゃくった。
さすがに他のシスターたちの目前でフレデリカたちの肩を持つわけにはいかなかったのだろう──もしくはシスター長としての矜持か?──ともあれカーラさんは、顔を青ざめさせながらもうなずいてくれた。
「ええ、見ていましたよ。今のはマリオンが……いえ、あなたたちが悪い」
「そういうことだ」
証人を得た俺は、改めて3人に罰を告げた。
「食い物を粗末にする者に食わせる飯は無い。よっておまえら3人、飯抜きだ」
「ふざけないでよっ! たかが料理番になんの権限が……っ!」
「おまえは知らないだろうがなあ。こと辺境の、こういった食材の限られた状況に置いて、最も権限が強いのは料理番なんだ。おまえらに食わせるも食わせないも、俺の一存で決められるんだよ」
まるっきりの嘘では無い。
高度文化圏や大都市でしか生活したことのない人間にはわからないことだろうが、僻地や極地、船上や戦場などの極限状況での料理人の権限は恐ろしく強い。
大げさでなく、食は生命の根幹、生殺与奪の権利を握ったような状態なのだ。
「そんなバカな話あるわけが……っ」
「嘘だと思うなら試してみるか? そうだな。期間としては今日明日、明後日ぐらいまででどうだ? ちょうどいいダイエットになるんじゃないか?」
「あなた、わたしのこと知ってるの? レーブ公爵家の……」
「あいにくと俺は、王様に嫌われて飛ばされてきた人間なんでなあー。公爵如きがどうとかなんぞ興味ないんだよ。それでもやりたきゃやってみな。お嬢ちゃん」
「くうぅぅぅ……っ?」
どれだけにらみ付けても、公爵家の威光をチラつかせても動じない。
あまつさえ、命など知るかとばかりにすごまれてしまっては、蝶よ花よと育てられたお嬢様には何も出来まい。
想像した通り、フレデリカはそこで退いた。
マリオン、ルイーズのふたりを急かすようにしてその場を立ち去った。
「お、覚えてなさいよっ? お父様にお願いして、あなたなんて死刑にしてやるんだからっ」
最後にそんな捨て台詞を残していったが……。
「……大丈夫? ジロー?」
「ジロー。あのコ、本気でやりかねませんよ?」
セラとカーラさんが口々に心配してきたが、俺はまったく恐れていなかった。
「……ま、大丈夫でしょ。俺の生きてたとこでもね、修道院ってのはあったしシスターもいましたよ。時代を遡れば遡るほどにそのくくりは曖昧なものになっていってね……。こう言ってはなんだけど、信仰のためだけじゃあないんですね。職業の一種として選択する者もいるし、行儀見習いの一環として選択する者もいる。そしてけっこうな割合でいたのが……親に見放された者なんですよ」
最後の言葉は、なるべくカーラさんにだけ聞こえるような声で言った。
「だって、ねえ。考えてくださいよ。本当に大事に思っている娘を、誰が好き好んでこんな僻地に追いやったりしますか」
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