第9話「エマの来訪」

 修道院と外界との手紙のやり取りは、指定の商隊を経由するか、麓の村に定期的にやって来る郵便馬車を利用するかのふたつの方法がある。

 ジローの態度が腹に据えかねたわたしは、いつ来るかわからない商隊を待つことなく麓の村まで駆け下り、ちょうどよく居合わせた郵便馬車に手渡した。

 チップを弾むから、とにかく全速力で届けてくれとお願いしたのだが……。


「どうしてよ……どうして返事が来ないのよぉ……」


 王都へは、馬で片道10日間。

 急ぎであれば1週間といったところだろう。

 にも関わらず、3週間経っても4週間経っても返事は無かった。


 マリオンとルイーズはもちろん、他のシスターたちもこの件を気にしているようで、わたしに聞こえないところでひそひそと話をしている。


 内容については、言うまでもないだろう。 

 もしこのまま何も返事が無かったら、それはすなわちお父様があいつの言い分を認めたということになるのだ。あいつに従って過ごしなさいと言われたことになる。

 それはつまり、わたしの完全敗北を意味している。

 築き上げてきた地位の喪失。立場の崩壊。

 もしそんなことになってしまえば……。


「もう……とにかく返事を頂戴よぉ……」


 ひと月が経過する頃には、わたしは憔悴しきっていた。





 ある日、中庭の椅子で頭を抱えているところに、来客が来たとの連絡が届いた。

 慌てて玄関に出てみると、わたしを訪ねて来たのはひとりの女性だった。


 歳の頃なら20半ば。

 栗色の髪の毛を無造作に後ろでひっ詰めている。

 化粧っ気はほとんどないが、切れ長の瞳の湛える静かな輝きや、スラリとした立ち姿が王都の女性たちに人気のある、レーブ公爵家の料理長──エマ・アルベールだ。

 

「エマ!」


 わたしは大声を上げて駆け寄った。

 エマはわたしの姿を認めると、「どうも、お嬢様」と小さく会釈をして寄越した。

 寡黙で素っ気ないところは相変わらずだ。


「おひさしぶりね! こんなところまで来てくれてありがとう!」


 乗馬ズボンに外套、重そうな袋を背負っているところを見ると、馬車ではなく馬を飛ばして来てくれたのだろう。

 お気に入りのエマをわざわざ送ってくれたということは、お父様がきちんとわたしのことを考えてくれていたということであり……それってつまり……。


「ああ、嬉しいわ! これってあれよね、さすがに死刑は無いとしても、あなたがあいつを追い出して、その代わりに修道院ここの料理番になってくれるってことでしょっ? きっとそうよねっ? ねっ?」


 こみ上げる嬉しさのあまり、わたしはエマの手を取ると、上下に大きく振った。

 

「あの……何か勘違いしておられるようですが……」


 わたしの興奮に水を差すように、エマは静かな瞳でこう告げた。


「わたくしはただ、旦那様の命により、お嬢様へお料理を作りに来ただけでございます」

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