第5話「ライ麦のクレープ、クラッシュアーモンドと木苺を添えて」

 頑張ってお手伝いをすれば、美味しいお菓子が食べられる。

 そう悟ったセラは、それはもう機敏に働いた。

 ぶかぶかの修道服をたすき掛けにし、ポンプから勢いよく水を吐き出してタライに溜めると。


「おっ菓子っ、おっ菓子っ♪ じゃぶじゃぶじゃーっ、じゃぶじゃぶじゃーっ♪」


 調子外れな歌を歌いながら食器を洗い出した。


 6人家族の末っ子という立場が、こちらの世界でどんなものなのかはわからない。

 いずれにしてもその手際は、思ったよりも良いもののように見えた。


「おうおう、しっかり洗えよー。その分お菓子が美味いものになるからなー」

「はあーーーーーいっ♪」


 ニッコリ笑うと、セラはさらに作業に集中した。


「………………ふん」


 無邪気な期待感を背負いながら、俺は作業台に向かった。


 初めて与えるセラへのご褒美だ。

 出来次第では今後の作業の士気も違ってくるだろうし、そういう意味でも気は抜けない。

 さて、何を作るか……。


「ねえー、ねえーっ。お菓子ってあれでしょ? サクッとしてっ、折り畳んであってっ、真ん中でリンゴとお砂糖がなんかこうぐにゅわーってなってるやつでしょっ? 去年のお祭りの時に初めて食べたんだけど、あれってすんごくすんごくすんごおおおおっく、美味しいんだよねえええーっ」


 勢いに任せて喋ったせいだろう、セラの皿を洗う手がピタリと止まった。


「こーら、手が止まってんぞー」

「じゃぶじゃぶじゃーっ、じゃぶじゃぶじゃーっ♪」


 セラの発言から推測するならば、去年食べたお菓子というのはガレットのようだ。

 ガレットはフランス北西部ブルターニュ地方の痩せた冷涼な土地で産まれた料理であり、食事としてもお菓子としても楽しめる超定番だ。

 生地は主にそば粉で作られているが、ライ麦粉でも問題なくいける。

 

「んーしかし、そのままというのも芸が無いな。いっそクレープにするか……。となると材料は卵に牛乳に塩に砂糖……ああ~、砂糖かああ~……」


 俺はため息をついた。


 極寒の地であるここザントでは、多くの食料を南から来る商隊との交易に頼っている。

 こちらが提供するのは酒や薬草、聖水に手作りの日用品等。

 代わりに受け取るのはまず主食となる穀物や豆類、芋類。次いで野菜や肉類、油に調味料となる。

 砂糖や一部の香辛料は産地が遠く高価値なため、後回しにされがちだ。

 

 つまり砂糖は希少であり、ひと月先に予定されている収穫祭用にとっておきたいのでほいほいとは使えない。

 砂糖が使えないというのはお菓子作りにとってはものすごいハードルの高い話で……。 


「ま、無いもんはしかたねえ。『それが料理だセ・ラ・キュイジーヌ』」

「今、セラのこと呼んだ?」

「だから呼んでねえっつってんだろ。恩師に言われたんだよ。調理器具も食材も、無いなら無いなりに作るんだってよ。その知識とパターンの多さこそが、料理人の腕なんだってな」


 チラチラとこちらを見やるセラにしっしっと手を振ると、俺は料理に移った。


 まずは生地作りだ。

 水、塩、牛乳、卵をボウルに入れて泡だて器でよく混ぜる。

 ライ麦粉を振るって入れ、ダマが無くなるまでひたすら混ぜる。


「おおーっ、ジローがぐるぐるしてるっ」


 何が面白いのだろう、セラが俺を真似して空中で泡だて器を回すようなしぐさをしているが、ツッコむと面倒なことになりそうなのでツッコまない。


「ほい、ここに置いとくけど触るなよ」

「おおー……なんで、ここに?」


 混ぜ終えたボウルに溶かしたバターを入れて、濡らした布巾でボウルを包んで勝手口の風通しの良いところに置いたのを、セラが興味津々といったように見つめている。


「触るとどうなるの?」

「爆発する」

「ひゃっ!?」


 驚いてのけぞり、尻もちをつくセラ。

 ちょっと脅しが過ぎたかと反省した俺は、きちんと答えを教えてやることにした。


「冗談だよ。これは生地を休ませてるんだ。生地の中の水分が均等に行き渡らせることで、焼き上がりにムラがなくなる。ライ麦にはセカリンっつー名前のグルテンに似た成分があるんだがな、休ませることでセカリンに粘りを生じさせることが出来るんだ」

「………………なるほど、わかった」

「絶対わかってない顔なんだよなあー……」


 思い切り目が泳いでいるセラはさておき、俺は厨房に戻った。


 フライパンで生アーモンドを炒め、木槌で叩き潰していると……。


「……おい、おまえはなんでそこでずっと見てるんだ? 皿荒いは?」

「休んでる。セラとセラリンって似てるから、セラも休めばきっと粘りが出る」

「セラリンじゃなくセカリンな。あとおまえがおまえが休んでも粘りは出ねえよ」


 とは言え、実際のところセラはよく働いた。

 山のように積みあがっていた洗い物のほとんどが終わっている。

 そろそろ休ませてやってもいい頃合いだろう。


「……ま、しゃあねえか」


 ため息をつきつつ、俺は仕上げに入った。


「休ませといた生地を両面しっかりと焼き、炒めたアーモンドを乗せてメープルシロップをだばーっとかける。さらに木苺をたっぷり乗せて、丸めて完成。名付けて『ライ麦のクレープクレープ・ド・セイグルクラッシュアーモンドオ・アマンド・コンカッセと木苺を添えて・ア・ラ・フランボワーズ』だ」


 皿に乗せたそいつを出した瞬間、セラは「きゃーっ」と悲鳴じみた声を上げた。


「こいつのポイントはな、冷蔵庫が無いので生地を冷やすのに気化熱を利用すること。あとは砂糖やバニラエッセンス代わりのメープルシロップとクラッシュアーモンド。これは主に甘味と香り付けだな。ちなみに冷蔵庫とかバニラエッセンスってのは……あ、そもそもメープルシロップがわからんのか。ええとだな……」


 口の端からよだれをだばだば垂らしているセラは、たぶん俺の話なんか聞いちゃいない。


「……はいはいっと。我慢しなくていいからすぐ食べな」

「いっただっきまあああーっす!」


 よしの合図と同時に、セラはクレープにかじりついた。

 そして──


「ふ……わあああ……っ?」

 

 セラの大きな瞳に、キラキラと星が瞬いた。

 

「おいしーっ! おいしーようっ! なぁにこれえええぇぇぇ!?」

 

 よほど感激したのだろう、頬を赤く染め、バクバクと猛烈な勢いでかぶりついていく。


「前に食べたのと全然違うっ! ふかっと柔らかくてっ、アーモンドがかりかり香ばしくてっ、この甘いのと木苺の酸味と一緒に口の中でむるむるっと混ざり合って……なんか……なんかこう天国みたいなっ?」

「おう、そうかそうか。そいつは良かった。ちなみにその甘いのがメープルシロップな。サトウカエデの樹液を煮詰めたもので、ミネラル他栄養バランスに優れた天然甘味料だ。この辺の人らはそいつの有用性に気づいてないみたいだから、いずれは主要な交易品に……って全然聞いてねえな」


 言葉通り昇天したのだろう。

 セラは両手を組んで目を閉じ、ぷるぷると身を震わせている。


「……ま、いいか。あんまり期待持たせるのもあれだしな」


 俺は肩を竦めた。


 サトウカエデは夏の間に蓄えたでんぷんを糖分に変えて寒い冬を乗り切る。

 雪解けの季節に、目覚めるようにメープルウォーターとして放出するわけだが、この期間がわずかに10~20日程度。

 俺が採取に取り掛かったのは放出の終わりの時期で、だからそんなに大量の蓄えは無い。


「どこかで砂糖を手に入れる方法を考えねえと、いずれ頭打ちになるな……」


 昇天したまま戻って来ないセラを眺めながら、俺はこの先のことを考えていた。

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