第29話 特効薬

 次の日は、珍しく朝から予定が何もない日だった。

「花園へ行こう」

 アウロラはそう呟いた。

 養母の薬となるハンティラを育てるための土壌づくりをしておきたかった。

 ハンティラがいつ届くかは分からない。そもそも本当に届くかも分からない。

 それでも出来ることはやっておきたかった。


「おはようございます」

 イルザを連れて花園に向かい、老年の庭師に声をかけた。庭師は無言でうなずいた。

「あの、今度、新しい植物を植えるかも知れなくて……空いている場所はありますか」

 庭師は無言でアウロラに背を向け、ずんずんと歩き出した。庭師とは長い付き合いだが、彼が話しているところをアウロラはほとんど見たことがなかった。イルザがその無愛想さに少し困った顔をしているのに、アウロラは無言で微笑みかけた。いつものことだから、と。

 庭師は花園の奥にアウロラを連れてきた。

 そこは土は整備されているが、まだ何も植わっていないところだった。

「うん、ここなら日当たりも良いし、ハンティラもよく育ちそう」

「ハンティラ?」

 渋い声が庭師から聞こえた。

「は、はい」

 アウロラは庭師がしゃべったことに驚きながらも言葉を続けた。

「マーデア病の特効薬なのです。リンデン先生とレオナルト文官長が取り組んで輸入をしてくれるように取り計らってくださろうとしています」

「マーデア病!」

 庭師の大声は、初めて聞いた。

「は、はい。ご存じですか、マーデア病」

「……儂の孫娘が、それなんだ。もう長く伏せっている。まだ九つなのに」

「そんな……」

 アウロラは呆然とした。まだ九つであのひたすら続く咳に耐えている。どれほど酷なことだろう。

「い、いつだい、いつその植物は届くんだい、アウロラ! ……様」

「さ、様は要りません。いつも通りで……私には、その、分からないのです。具体的なことはリンデン先生とレオナルト文官長がやってくれるから……」

 アウロラは俯いた。力のない自分がもどかしかった。

「……届いたら、必ず、あなたの孫娘にも使ってもらえるようにリンデン先生に言っておきます。約束します」

 アウロラはそう言うのがようやくだった。

「……私に出来ることは、限られている」

 アウロラは改めてそれを思い知らされた。それでもやれることを毎日やっていくしかないのだ。


 王のための植物を花かごに入れて運びながら、アウロラは茅屋に戻る。

 王宮の中に薬を煎じる場所はさすがに新しく作ることは難しかった。

 だから王宮に住むようになってからの茅屋は薬を煎じる専用の場所にする予定だ。

「……あと少しで、ここで寝食を営む日々も終わり……」

 薬を煎じながらアウロラは感傷にふけった。イルザはそっとそれを見守っていた。


「こんばんは、陛下……」

「うん、こんばんは」

 王はすっかりやつれた顔でアウロラに微笑みかけた。

 ロルフがいつものように薬を投与する。

「あの、陛下、今日はとあるお願いを陳情したく……」

「なんだい、アウロラ」

「ええと、今度、レオナルト文官長からハンティラという植物の輸入願が出されると思います。それに陛下からも口添えをいただきたいのです」

「ほう……」

 ロルフが補足を入れた。

「僕も父から聞いています。ハンティラがあればマーデア病の特効薬になる、と。マーデア病は人々の肺を冒す病気です。移る病気ではありませんが、長く伏せることが多く、完治する人はほとんどいない上に、最終的には死に至ります。薬があればどれほどの人が楽になれるか……陛下、自分からもお願い申し上げます。ハンティラの一刻も早い輸入を実現するため、陛下のお言葉が必要なのです」

「分かった。メモを……取っておいてくれ、ロルフ」

「……はい」

 ロルフの顔は曇った。王の病状は悪化の一途である。とうとうメモも自力では取れなくなってきた。

「こうなっては、ミヒャエルの結婚が決まったのはよかったのかも知れぬな……仮に揉めたときに余がいなくては、締まるものも締まらなかったろう……」

 王はそう言って、目を閉じた。

「すまない、アウロラ、ロルフ、疲れた。休む」

「はい……」

 アウロラとロルフは退室した。


「大丈夫か、アウロラ」

「……平気です」

 そう答えながらもアウロラの瞳には涙がにじんでいた。

「……これから、どんどん陛下は表の場には出られなくなる。代わりに出るのはミヒャエル殿下だ。結婚する前からこのようなことを言うのもあれだが……がんばって支えていけるといいな」

「はい、殿下とは、約束しましたから」

 ミヒャエルを拠り所のない王になど決してさせない。

 妖精の王女のような目には遭わせない。

 必ず、支える。力になる。アウロラに出来ることは少ないけれど、それでも出来ることはあるとミヒャエルが言ってくれた。

「……がんばります。がんばりますとも」

 アウロラは拳を握り締めてそう言った。

 ロルフはそんな妹を優しく見守っていた。


 一ヶ月が経った。

 ハンティラの輸入計画は王の鶴の一声で順調に進んでいるという。

 アウロラはクラウディアと王妃の尽力で、礼儀作法を一通り身につけた。

 しかし、どうしても幼い頃からの癖は抜けきらない。その度にクラウディアに叱られる。

 王妃に見てもらうこともあったが、王妃はアウロラに甘かった。どうしても許してしまう。

 だからクラウディアの方が適任だった。

 勉学の方はレオナルトがハンティラ輸入計画に忙しくしているため滞っていた。王宮に入ってからでもゆっくりやればいい、とミヒャエルには言ってもらえた。

 アウロラにはやることがある。たくさんある。これからもずっと。

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