第28話 病気との闘い

「それでは失礼します。本日は本当にありがとうございました。これからもよろしくお願いします……お父様、お母様、お姉様」

「ええ、またね、アウロラ様」

 ペトラはそう言ってアウロラの髪を撫でた。

 ああ、頭を撫でられるなんていつ以来だろう。母が死んで以来だろうか。

 アウロラは懐かしい感触に思わず泣きそうになるのをこらえた。

 門を出てから、アウロラは小声でレオナルトに囁いた。

「……あの、レオナルトお兄様、王宮に戻る前に、リンデン先生のところへ寄って欲しいのです」

「分かった」

 レオナルトは小さく頷くと御者に指示を出した。


 診療所からは灯りが漏れていた。

「ああ、アウロラ……」

 迎え入れたリンデンは困ったように室内を見た。その視線の先には奥方らしき中年の女性が安楽椅子に腰掛けていた。

「……構いません、入れて上げなさい」

 女は冷たい声でそう言った。

「あ、ああ……どうぞ、あー、レオナルト、なんだか久し振りだな」

「はい、お久しぶりです」

 そういえば、レオナルトとリンデンは図書館で出会う仲だったかとアウロラは今更ながら思い出した。

「ええと、ロルフから諸々は聞いているよ。あー、婚約おめでとう、アウロラ」

「ありがとうございます」

 礼を言いながら、ちらりとリンデンの妻を見るとわずらわしそうに、奥に引っ込んでしまった。

 少し申し訳ない気持ちになる。

「それで、今日はどのような用事で?」

「ええと、今日はドレッセル家での顔合わせだったのですが、ドレッセル公爵夫人のご病気が気になりまして……」

「ああ、私も診ているのだけれど……あれは、その」

 リンデンはレオナルトを気遣うように見た。

「どうぞ、自分のことは気にせずに」

 レオナルトは冷静にそう言った。

「……マーデア病だ」

 マーデア病、古くからある病気の一つだった。人に移るような病気ではないが、咳が酷くなり、呼吸が苦しくなる。

「……それなら、ハンティラの根が利くはずです」

 それは魔女の薬に関する知識の一つだった。

「ハンティラ……我が国には自生していないな……」

 リンデンが即座にそうつぶやく。

「はい、恐らく魔女が隣国に逃げていたときに、蓄えた知識だと思います。リンデン先生、レオナルトお兄様、なんとかハンティラを輸入できないでしょうか……」

「やってみる、と言いたいところだが……自分の母親のためだけにその植物の輸入を推進するというのは……外聞が……」

「外聞なんて、気にしている場合ではありません!」

 アウロラはレオナルトに叫んだ。

「ハンティラは適切な世話をすれば繁殖自体は容易です。レオナルトお兄様、お母様だけではなく、マーデア病に苦しむ多くの人を救うことができるはずなのです!」

「……私から陳情書を出そう。ロルフに持たせる。それを処理してくれ、レオナルト」

 アウロラの激昂を、リンデンが優しく引き取った。

「……はい」

 レオナルトは頷くと、次いで深々と礼をした。

「ありがとう、リンデン先生、アウロラ」

「いや」

「いいえ」

 二人は首を横に振った。

 しばらく沈黙があった。何かを語り合いたいような、これ以上、何も言ってはいけないような、アウロラはそんな気持ちでいた。

「……それでは、リンデン先生、失礼します」

 結局、アウロラは何も言わずに別れを選んだ。

「うん……お幸せに」

 リンデンは微笑んで、二人を見送った。


「あれが、あなたの娘、ね」

「うん……」

 アウロラたちが去ったリンデン家で、リンデン夫人は奥から戻ってきて安楽椅子に再び腰掛けた。

「良い子じゃない。あなたの娘とは思えないわね」

「うん……」

「……父親として、してあげられることがあるなら、してあげなさい。まあ、お貴族様の義理の娘になったというのなら、あなたが父親として振る舞う方が迷惑かも知れないけれどね」

「うん」

 リンデンは力なくうなずいた。

「もう、シャキッとしなさいませ!」

 リンデン夫人はそんな夫に活を入れた。

「……ありがとう」

 リンデンは困ったように笑った。


 王宮に戻ると、ミヒャエルが待ち構えていた。後ろにはいつもの侍従が控えている。

「遅いぞ! レオナルト! アウロラをどこに連れ回していた!! イルザ! 何もなかっただろうな!」

「申し訳ありません」

「ありませんよ……」

 レオナルトは素直に謝ると馬車から手を取って下ろしたアウロラの手をミヒャエルに託して、さっさと場を去って行った。図書館で輸入交渉の前例を漁らねばならなかった。

「なんだあいつ」

 いつに増しても無愛想なレオナルトにミヒャエルは少し困惑したが、アウロラに向き直った。

「まあいいか、帰ろうか、アウロラ」

「はい」

 ミヒャエルは当然のようにアウロラと茅屋へと向かってくれる。アウロラはそれが嬉しかった。

「……なあ、アウロラ」

「なんです、殿下」

「アウロラはさ、なんで、俺と結婚しようと思ってくれたんだ?」

「なんです、やぶらかぼうに」

「……あんなに嫌がっていただろう。そりゃ魔女が王子と結婚するわけにはいかないという体面もあっただろうが……正直、アウロラは俺のこと、好きではなかったんだろう?」

「……好き、でしたよ。お友達として」

「だよなー」

 ミヒャエルは空を仰いだ。

「幼馴染み……だもんな、俺ら」

「はい。……魔女は恋なんてしません。そう思っていたから……。でもね、色んな方と改めて、結婚するかも知れないと思いながら向き合っていたら……私、この人達と結婚できるかな? って思いました」

 アウロラは苦笑いをした。

「ロルフとは兄妹のようなものだから、家族にはなれると思いました。でも、本当に家族でした。そしてあなたのことも家族のように思っている」

 アウロラは言葉を続ける。

「ブルーノ隊長とは……正直、苦手なタイプだけれど、あの人はまっすぐに私に愛を告げてくれたから、受け入れることが出来るかも知れないと思いました。でもね、まっすぐに愛を告げてくれるのは、あなたも一緒だった」

 アウロラは微笑む。

「レオナルトお兄様には……まあ、普通に振られましたね……」

 アウロラは苦笑する。

「ヨハン様は……いろいろ言われていたけれど、意外とまともな方でした。……お優しい方でしたが、あの方の美学が私との結婚を許さなかった」

 しみじみとつぶやいていると、ヨハンの音楽が甦るようだった。

「オスヴァルトさんはまあ論外でしたけれど、その知識はとてもすごかったです。でもね、私……オスヴァルトさんが話してくれた隙のない知識より、ミヒャエルの教えてくれた話の方が好きでした。ぎゃーんとデカい恐竜にボロいけれど大きな剣……その話がワクワクしたの」

「アウロラ……」

「だから、そうね、うん、誰よりも、あなたが一番だった。そう言うことだと思う」

「うーん」

 ミヒャエルは少し納得いかない顔をした。比較以外の言葉がほしい、そう言う顔をしていた。

「ミヒャエル、好きです。愛しています。私を愛してくれてありがとう。あなたが愛を囁いてくれたから、私はきっと人間になれたのです。私は魔女だけれど、人間でもいれる。それが今は怖くない。とても嬉しい」

「……そうか。そうか」

 ミヒャエルは突然アウロラを抱きしめた。

「ミヒャエル!」

 アウロラは抗議の声を上げる。

「愛しているよ、アウロラ。愛している。何度だって言うよ。愛している」

「も、もう……!」

「恐れ入ります、殿下」

 聞き慣れない声がした。ミヒャエルの体がアウロラから引き剥がされる。

 引き剥がしたのは侍従だった。長く付き合っているが、この二年前からミヒャエルに仕えている若い侍従の声をアウロラは初めて聞いた。

「おい、邪魔するなよ、ホルガー」

「さすがに目に余ります。アウロラ様も困っておいでです」

「お前、今まで一度も俺の邪魔したことないくせに……」

「今までは今まで、これからはこれからです。アウロラ様は王太子妃になられるのです。そんな方が困っているのなら、王太子殿下よりも優先しろ、と陛下から仰せつかっています」

「ぐう……」

「……夜道は誰が見ているか分かりません。未だに王太子が魔女にたぶらかされたということにしたいものはたくさんいるのです。結婚が成就するまで、迂闊なことはお辞めください、殿下」

「はいはい……」

 アウロラは困ってしまった。アウロラにはどうすることもできない政治が王宮の中には渦巻いている。それを強く思い知る。

「アウロラ」

 ミヒャエルが柔らかな声でアウロラに話しかける。

「良いんだ。大丈夫だ。君は何も心配しなくて良い。俺が頑張る。父上も母上も助けてくれる。最近じゃユリウスも魔女に融和的な態度を示し始めているし、レオナルトもロルフもブルーノもヨハンもついている。クラウディアは君の友達になったし、イルザも君に仕えることを承諾し、今では頼れる筆頭侍女だ。このホルガーだって、君の味方だ……俺より君の味方をするらしいしな。まあ、なんだ。思い悩むことはないさ」

 ミヒャエルは微笑んだ。

「俺たちは妖精の王女とは違う。お互いに話し合い、助け合い、悩みを共有できる。俺たちは人間の騎士とは違う。家を失ってはいない。毒を含んでもいない。仮に君が人々の視線という毒にさらされるなら、俺は一緒にその毒を飲み干そう。その苦しみは君にしか分からないものかもしれないけれど、俺は君と歩みたい」

「……王太子殿下のお悩みがいかほどのものか、私にも分かりません」

 アウロラは静かに答えた。

「それでも、寄り添って参りたいと切に願います。殿下、どうか、私と……一緒にいてください」

「ああ、もちろんだとも。それが俺の、長年の願いだ」

 すでに茅屋にたどり着いていた。

 しかし、二人は名残惜しい気持ちを隠しきれず、茅屋の扉の前で、しばし立ち止まっていた。

「……殿下、アウロラ様」

 しびれを切らしたホルガーの声でようやくミヒャエルはアウロラに背を向けた。

「また明日」

「はい、また明日」

 アウロラは茅屋の中に入った。

 チェロもリーノも眠りについていた。とても静かだった。

「私も眠らなくてはね」

 黒衣を脱いで、アウロラはベッドに潜り込んだ。

「おやすみ、イルザ、今日は一日ありがとう」

「はい、おやすみなさいませ、アウロラ様」

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