第27話 ドレッセル家
翌日が来た。
黒衣を着込むと、イルザがせめてと言って髪を綺麗に整えてくれた。
「はあ……」
「ああ、私まで緊張してきた……」
アウロラのため息に対し、しがない貴族のイルザは公爵家への訪問に緊張をみなぎらせた。
「まあ、あなた、王妃様のそばにずっといたじゃない」
「それはそうなのですが……、王妃様は、とっても気さくな方ですから……」
「そうね。それはそう」
アウロラは確かにとうなずいた。
ミヒャエルだけではない。王家の方々はどこか気さくなところがある。付き合いが深ければ深いほど、それがよくわかる。
「アウロラ、レオナルト文官長が迎えに来ました」
昼過ぎ、茅屋の外からブルーノの声がかかり、アウロラは立ち上がった。
ドレッセル家は王との一角、一等地にあった。大きな門構えにアウロラは立ちすくむ。
思えば貴族の屋敷に来るなど今日が初めてのことだった。いっそクラウディアに頼んでベンダー家に一度でも招待してもらっておいた方がよかったかもしれない。
レオナルトが用意してくれたドレッセル家の家紋の飾られた馬車から地面に降り立つ。イルザが後にしずしずと続く。外で侍女をやっているときの、イルザはそういう作法があるのだろう、とても静かで少し不安になる。
門番がレオナルトの顔を見てうやうやしく頭を下げ、門を開いた。
ドレッセル家の門の中には花々が咲き乱れていた。思わず値踏みするが、多くが観賞用だった。
そんなアウロラの視線に気付いて、レオナルトが少し微笑んだ。
玄関扉もドレッセル家の家来が押し開いてくれた。
「ただいま、戻りました」
レオナルトの声が玄関ホールに反響する。
「半年ぶりね、レオナルト……王都に住んでいるのだから、少しは実家にも顔を出しなさいよ、この本の虫」
黒いウェーブのかかった髪をまとめあげた女が呆れたようにため息をつきながら、レオナルトとアウロラ、そしてイルザを迎え入れた。
レオナルトは涼しい顔で頭を下げた。
「お久しぶりです、姉上」
「まったく、あんたが王宮の図書館から出てくるなんて珍事がまさかこんな形で起こるだなんてね……そちらがアウロラ様ね」
「は、はじめまして、アウロラ・ブラウアー……あ、いや、アウロラ・ドレッセルです」
「はい、はじめまして、レオナルトの姉で出戻りのペトラよ。気軽にお姉様とお呼びなさい」
「はい、お姉様」
「素直な子ね……」
ペトラは苦笑した。
「後ろの方は、王妃様のお付きで見たことがあるわね。あなたの侍女になられたの?」
「はい、イルザ嬢です」
「そう、いらっしゃい、イルザ嬢。さあさ、皆、応接間にいらっしゃい。お父様とお母様がお待ちよ」
「は、はい……」
不思議な感覚だった。一人っ子だった自分にこうして姉が出来た。亡くした母、いない者と思っていた父も存在した。そして血の繋がった兄と、血の繋がらない兄までできた。こんな短期間にそんなことが続けざまに起こっている。
アウロラは高揚とも違う奇妙な浮遊感に襲われていた。
「お父様、ペトラです。レオナルトとアウロラ様、侍女の方が到着しました」
「入りなさい」
ドレッセル公爵は黒い髪に白髪交じりのがっしりとした男だった。ブルーノに小枝のようと称されるほどに線の細いレオナルトとはあまり似ていない。
一方、ドレッセル公爵夫人は真っ直ぐ下ろした銀の髪、線の細そうな奥方だった。一度、自己紹介をしてからは病弱なのか咳き込んでばかりいる。
「今回の養子縁組は政治的な意味が大きい。とはいえ、我が家に娘が増えたのは喜ばしいことだ。アウロラ嬢、あなたの王家への尽力についてはレオナルトから手紙をもらって把握している。そんなご令嬢を娘として迎えられたこと、誇らしく思うよ」
「きょ、恐縮です。ドレッセル公爵閣下」
「父と、君が嫌でなければ呼んで欲しい……本当の父親に悪いというのなら、ドレッセルでも、もちろん構わないけどね」
そんなドレッセル公爵の横でペトラがにやける。
「お父様ったら娘が増えるのを喜んでたのよ、アウロラ様。ほら、私はかわいげがないでしょう? だから、よければお父様と呼んであげて」
「……お、お父様」
「おお!」
ドレッセル公爵は厳つい顔をほころばせた。
「かわいらしいなあ。まったくユリウスの奴はこんな可愛い娘を捕まえてあくどい魔女だ何だと言いつのっていたのか? あいつは節穴か?」
「ユリウス……様、ですか?」
それは宰相のファーストネームである。
「ああ、ユリウス宰相と私は同年代なんだ。父が死ぬまでは文官として王宮でしのぎを削っていたのだよ。まあ、こうして父が早死にしたせいで、ドレッセル家の家長としていろいろやっているんだが……結果として、こんな可愛い娘が増えたのだ。喜ばしいことだね」
「あ、ありがとうございます……」
「いやいや、よかったら我が妻のこともお母様と呼んでやってくれ……ああ、もちろん母親に遠慮があるというのなら構わないが……」
「いえ、ええっと、よろしくお願いします、お母様」
アウロラを産んだ母はルーナだ。それは変わらない。しかし、すでに王宮では国王と王妃が自分たちをお義父様と呼んでくれ、お義母様と呼んでくれとねだってくる。さすがに恐れ多くてそちらは実現していないのだが、正式に結婚をしたら、絶対に呼んでもらうからなと言われている。
だからアウロラは他人を母と思うことに慣れつつあった。
それでも、母との思い出が消えるわけではないことも、彼女は知っていた。
「はい、よろしくね、アウロラ」
ドレッセル夫人はアウロラに微笑みかけた。その顔はやはり青ざめていて、いささか心配になる。
「あ、あの……お母様はお医者様にかかっていますか?」
「ああ、最近はリンデン先生が往診に来てくれるよ。何でも王宮勤めを辞されたとか?」
「ああ、リンデン先生が……」
それであれば、帰りにリンデンのところに寄ろう。ドレッセル夫人の症状にアウロラは思うところがあった。
リンデンが王宮勤めを辞した原因の醜聞についてはさすがに口をつぐむ他ないが。
「とにもかくにも今日の顔合わせはこんな感じで良いのかな、レオナルト? もうちょっとなんかそれっぽいことした方が良いのか?」
「まあ、家族になると言っても形式上のことです。あまり気にしなくて良いのでは」
「薄情だなあ、お前」
ドレッセル公爵は呆れて見せた。
「そう育てたのは父上ですので」
レオナルト文官長は気にした様子もなく肩をすくめた。
「まったく……夕食は食べて行くんだろう?」
「ええ」
「ご、ご馳走になります」
今夜は夕食をいただくので遅くなる。だから国王の薬は昨日のうちに二瓶を用意しておいた。
貴族の家での食事というものがアウロラは初めてだった。
王宮の晩餐には婚約発表後に招待してもらったが、何しろ同席者が親しくしてもらっている国王と王妃、それにミヒャエルとその弟たちとあっては、あまり緊張感がなかった。
だから今日、アウロラは色鮮やかな前菜を前にナイフとフォークを持つ手を震わせていた。
「……大丈夫だ、アウロラ」
隣のレオナルトが低い声で囁く。
「失敗など恐れることはない。これから先、お前の前にはたくさんの晩餐が訪れる。中には外国の来賓との食事もあるだろう。それと比べれば、今日の我がドレッセル家での食事など、気にするほどのことではないのだ。練習だと思いなさい。何事もまずは練習からだ」
「あ、ありがとうございます、お兄様」
「あらあら、レオナルトったら、すっかり兄貴面ね」
ペトラが心底面白いものを見たという感じに笑う。
「あなたに兄として振る舞うほどの社会性があるなんて姉さん、思わなかったわ」
「こらこらペトラ」
ドレッセル公爵がペトラをたしなめた。
公爵夫人が小さく笑う。アウロラもつられて微笑んだ。
その後は、和やかな晩餐を楽しめた。
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