第25話 ミヒャエルの思い
ミヒャエルの腕の中で、脱出を諦めて、アウロラはぼんやりとつぶやく。
「……半年後には、結婚、ですか」
半年。長いような短いような、時間をアウロラは思う。
それまでにアウロラはたくさんのことを学ばなければいけない。
王太子妃として、礼儀も、国の歴史も、政治も、文化も、魔女であれば無視して通れたことを学んでいく日々、それは気が遠くなるようなことであると同時に、楽しみなことであった。
「行儀はクラウディアが、勉強はレオナルトが、それぞれ見てくれてるだろう?」
「ええ……お二人には感謝しなくてはね」
「そうだね……でも、レオナルトとの勉強では二人きりになってはいけないよ」
「心配しているの? ミヒャエル、レオナルトお兄様は大丈夫よ」
「そんなことはない! 男なんて皆、信頼の置けない生き物だ!」
ミヒャエルは拳を握りしめて力説した。
「あらあらまあまあ」
「というか、アウロラを女として見ないのは、それはそれで失礼じゃないか!」
「レオナルトお兄様はクラウディアにぞっこんみたいですから……」
「許せるのはロルフくらいか……」
聞いちゃいない。
ロルフ、半分血の繋がった兄。今も毎晩のように王の寝室で顔を合わせている。
ちなみに、最近アウロラはロルフに自分の作っている薬のレシピを教えだした。
かつては魔女の秘術として他の者には秘匿していた薬。
そのレシピを秘匿していた一番の理由は使う植物があまりに希少なことである。それにくわえて寒さにも暑さにも弱く、すぐに枯れてしまうし、見つけづらい。
花園でその植物が摘み取ることが出来るのは、かつて王宮に仕えていた魔女達が花園で栽培するよう進言していたからだ。
魔女が去った後も、その植物を育てよ、という申し送りだけが残っていたのである。
それを教わったロルフは最初は喜んだが、次第に悩み始めた。
『……このレシピを公開すれば多くの人を助けられる……とはいかない。植物が乱獲されるかも知れない。高値になってしまうかもしれない……ああ、魔女の知恵を授けられるとは、こういうことなのか……』
ロルフはひどく悩んでいたが、その後、そのレシピをどうするかはロルフと王とその他の人々に託した。アウロラが口出しをするようなことではない。
一方で、レオナルトはアウロラのカードに興味を示した。
彼は今、本を書いている。その名も『第二十九代国王陛下の時代の魔女』。アウロラについての本である。アウロラの駆使する魔女としての技について根掘り葉掘り聞いてきて、それを本に起こしている。
『アウロラ一人にこれが託されている現状はあまりにも危ない。アウロラに何かあれば、この国はまた魔女を失い、暗黒の時代が訪れる。アウロラ、君の知恵を余すことなく自分に教えてくれ、書物として残し、次代に伝えていこう。ああ、もちろん君はその内に弟子を取るのだろう。しかし、それはそれ、これはこれだ』
レオナルトは愛する本を自分の手で紡ぐことの出来る至福に酔いしれていた。
「……ということですから、私、意外と忙しいんですよ? ミヒャエル」
「知っているとも。だからこそ、こうして二人きりになれる時間を大切にしたいんじゃないか……」
「そうかもしれないけれど……クラウディアに教えを請うのも私にとっては大切にしたい時間なのですが……」
「寂しいことを言ってくれるなあ、アウロラ」
ミヒャエルはしくしくと泣き真似をした。アウロラため息をついた。
しばらくミヒャエルの泣き真似をアウロラは面白げに眺めていたが、やげて少し重苦しい口調で話題を変えた。
「……ねえ、ミヒャエル、本当に私で良いのでしょうか?」
「また、そんなことを言って……」
ミヒャエルは少し怒ったような顔になった。
「君は魔女。異邦から来た女。本来なら身分を持たない人……それでも、そんな君のことを俺はただ愛したんだ。だから君は堂々としていれば良い。俺が君を認めた……それ以上が、必要かい?」
「……あなたの気持ちは嬉しいのだけど、私の心が追いつかないの。環境の変化に」
「……うん、まあ、そうだよね」
ミヒャエルは苦笑いをした。
「さながら君は妖精の国に来たばかりの騎士、といったところかな?」
「ええ……茅屋のチェロとリーノのことが心配で、さっさと帰りたいわ」
「……ねえ、アウロラ、妖精の王女がどうしたらいいのか、そういう話をしたね、俺たち」
「……したわね」
「あの時、俺は彼女には相談できる相手がいないと言った。だって彼女は王女だから、妖精の国で一番偉くて、誰にも相談できない、誰も指示を出してくれない……でも、俺は違う。違った。俺はね、君に相談すれば良いんだ」
「……魔女に?」
「いや、王太子妃様に、さ。王太子として困ったら、王太子妃に相談すれば良いんだ。そうしたら、君は解決方法を持たないとしても一緒に悩んで考えてくれるだろう? それがどれほど心強いことか……そう、君に無理に金の果実を食わせることなんてない。君は君のままで俺のそばにいてくれればいい。魔女というものが災いを呼ぶだなんて、きっと嘘だ」
「……ミヒャエル」
「まあ、本音を言えば、君のドレス姿も素敵だからたまには見たいけどね!」
「……たまには、ですよ」
同じようなことは王妃からも言われていた。断り続けるのはなかなかにおっくうで、そろそろ何か理由を付けてドレスを着てしまいたい気分だった。
「やったあ!」
ミヒャエルはソファに腰掛けたまま跳びはねた。アウロラの体がソファの上で揺れる。
「ああ、でも、それなら人のいないときが良いな! 人には見せたくないよ、あんな奇麗な君を見せて、誰かが横恋慕でもしたら……何せ君はまだ茅屋に住んでいるんだからね! 無防備と言うほかない!」
「大丈夫ですよ、そんなの」
「君は君の美しさを知らないからそんなことが言えるんだ!」
ミヒャエルは見るからに怒り出した。
アウロラが面倒くさくなって「そうですか」と雑に返事をしていると、彼らが戯れている部屋をノックする音がした。
「はーい?」
アウロラが応える。ミヒャエルは「またしても邪魔者が……」とぶつぶつ文句を呟いた。
ドアを開けて入ってきたのは、ミヒャエルの弟たち、ラファエル、ギルベルト、アルベルトだった。
「アウロラお姉様ー!」
三人がアウロラに抱きついてきた。
「あ、こら! お前達!」
ミヒャエルが叫ぶ。
「あらあら、ごきげんよう、殿下達」
アウロラは可愛い未来の義弟を抱きしめた。
きょうだいのいないアウロラにとって、いきなり増えた弟たちは可愛い存在だった。頼れる兄とはまた違った趣がある。
「騙されるな! アウロラ! そいつら可愛いふりして君を狙っているに違いないんだ!」
「もう……ミヒャエルはまたそんなことを言って……」
「くそっ! ぽっと出のブルーノにヨハンにオスヴァルト、前々から目を付けていたレオナルトにロルフを退けたと思えば……獅子身中の虫とはこのことだな……」
「こんな可愛い弟君たちに……失礼なお兄様ね、みんな」
「まったくです」
「失礼です」
「自意識が過剰です」
「お前ら……いずれ覚えておけよ……!」
そんな部屋にもう一人、飛び込んでくるものがあった。
「殿下!」
「げ、ユリウス」
ユリウス宰相が青筋を立てて入ってきた。
「勉強をサボるばかりか、アウロラの行儀習いの邪魔まで……早くお戻りなさい!」
「くっ……」
ミヒャエルはおとなしくユリウスに引きずられて、部屋を出て行ったが、弟たちに捨て台詞を残していった。
「お前ら! アウロラから離れろ!」
「べー」
「いってらっしゃい、お兄様」
「さようなら、お兄様。さあ、アウロラお姉様、遊びましょう!」
「ごめんなさいね、殿下達。私、そろそろ花園で陛下の薬のための植物を摘んでこなくては」
ロルフにレシピを教えたが、植物の探し方についてはまだレクチャーが済んでいない。まだまだアウロラは魔女としての仕事をしなくてはならないのだ。
「またね」
王子たちはおとなしくアウロラから離れた。ミヒャエルと違って素直なところが可愛いとアウロラは顔をほころばせた。
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