第9話 婚礼を奏でる

「ちょっと待ってて」

 ヨハンは席を立ち、応接間の外に出ると、バイオリンを手にして戻ってきた。

「一曲聴いていただけるかな?」

「は、はい」

 ヨハンはバイオリンを弾き出した。

 跳ねるような明るい曲だったが、その中にどこか寂しさをアウロラは感じた。

 しばらくして、ヨハンは演奏を止めた。

 アウロラはこういうときは拍手をするものだと思ったので、拍手をした。

 ヨハンはそれにうやうやしく礼をした。

「……魔女アウロラ、君の耳にこの音楽はどう聞こえた?」

「ええと……楽しげでしたが……どこか寂しそうでした……」

「そうか、では、結婚はなしだ」

「えっ!?」

 突然のことにアウロラは驚く。

「これはね、婚礼の祝いの曲だよ、アウロラ。これが寂しそうに聞こえてしまうと言うことは、君はこの結婚を心から祝福していないんだと僕は思う」

「…………」

「義務だろう? 義務で結婚するんだ、君は。そりゃそうなるさ。しかも僕のような変人とだ」

「……義務でも、いいのです。あなただって、結婚に……それほどのことを求めるお方ではないでしょう?」

「……まあね、でも……音楽の幸せくらいは、分け合いたいと、そう思うよ」

「…………」

 ヨハンは笑った。

「君の音楽センスはなかなか良い。気が向いたら遊びにおいで」

「……は、はい」

「ああ、そうだ、僕は魔女の音楽にも興味があるんだ。教えてもらえる?」

「……はい」

 アウロラは母の子守歌を口ずさんだ。

「……異国のメロディだな。たぶん歌詞は翻訳だろうね。これはなかなか興味深いよ。聞けて良かった」

 ヨハンはそう言うと応接間の扉を開け、アウロラを外へと導いた。

 外ではミヒャエルが床に這いつくばっていた。

「ミヒャエルー!?」

「あはは、殿下の教師役を頼んだ奴は、一番厳しい奴だからね。僕も駆け出しの頃はみっちり絞られたものさ」

 ヨハンは朗らかにそう言った。

「……帰ろうか、アウロラ……」

「は、はい……」

 ミヒャエルを引きずるようにして、アウロラは宮廷楽士団の詰め所を後にした。


「だ、大丈夫? ミヒャエル」

「……しばらく音楽はこりごりだ……。そんなことより、君、また上手く行かなかっただろう」

「……ええ、まあ」

「そうだろう、そうだろう」

 ミヒャエルは少し復活すると嬉しそうに笑った。

 アウロラは小さくため息をついた。


 夜、王の部屋。

 いつもの三人になって、アウロラはヨハンとの破談を報告した。

「ヨハンも駄目だったか……あいつ変な奴だったろう?」

「まあ……」

 アウロラは曖昧に微笑んだ。

 王はそんなアウロラを眺めると、しばらく考え込んでいたが、しばらくして口を開いた。

「決めた。リンデン、明日は息子のロルフも連れてきなさい」

「えっ」

 リンデン医師はうろたえた。

 リンデン医師の息子のロルフもまた医者である。王宮付の医師は週の五日をリンデンが担当し、残り二日をロルフが担当している。

「あ、あの、陛下……ロルフに何か……?」

「次はロルフと見合いだ、アウロラ」

「かしこまりました」

 ロルフとは週に二度も顔を合わせる。今更、見合いも無いと思うが、王の命令とあれば仕方ない。アウロラは素直にうなずいた。

 それにロルフのことは恋愛的に好きとまではいかないが、嫌いではない。医師として尊敬の出来る男だ。結婚相手とするのに不満はなかった。

 アウロラがそんなことを考えている横で、王はリンデンの顔色を見た。

 リンデンはうろたえた顔を継続していた。

「ん、どうしたリンデン、何か不都合でも……ああ、ロルフにも恋人がいるのか? それなら余ももちろん無理強いはしないぞ? 愛する者と結ばれるならそれに越したことはないのだから」

「い、いえ、あやつは二十二になるのに未だ女の影も見えませんが……ろ、ロルフとアウロラを……その、結婚ですか……?」

「うん、もちろん二人が良いと言えばだがな」

「…………」

 リンデンは困りきった顔をしていた。

 王は戸惑いながら口を開く。

「どうした、今更魔女がどうのこうのを気にするお前でもなかろう、リンデン」

「はい、それはもちろんです。魔女を魔女だからと言う理由で忌避する行為は私の最も忌むところです。魔女は役職に過ぎません、アウロラはアウロラです」

 リンデンは早口でそう言った。

 今の王宮で魔女アウロラは国王夫妻の庇護のもと、一定の位置にいる。しかしかつて、アウロラの母ルーナが魔女であった初期は魔女への風当たりは今よりもっとひどかった。リンデンはその頃のことをよく知っている。知っているからこそ、アウロラが魔女であるからと言って不利益を被るようなことは許せない男であった。

「しかし……あー、ロルフは、その、未熟者です、陛下」

「それなら、大丈夫ですわ、リンデン先生」

 アウロラが口を挟んだ。

「ロルフはとても頼りになります。私、週に二度も会っているもの。私、ロルフのことは信頼していますし、尊敬しています。彼に対し懸念などありません」

 アウロラのそれは心の底からの言葉だった。

「うむ、アウロラも乗り気のようだな。良きかな良きかな。そう言うわけだ、明日、見合いだ。アウロラ、いつもの服で良い。リンデン、ロルフにもそう伝えよ」

「…………はい」

 リンデンは苦渋に満ちた顔でうなずいた。

「…………」

 アウロラはその態度が気になって仕方なかった。


 二人は揃って王の自室を出た。

「……リンデン先生、その、自分の息子が魔女なんかと結婚するのが嫌なら、そうおっしゃってくださいな。私、陛下にうまく言って破談にしますから」

 アウロラは意を決してリンデンに語りかけた。

「違う、違うんだよ、アウロラ、そう言うことでは……一切、ないのだ……」

 そう言いながらリンデンは困り切った顔をしていた。

「でも……歯切れも悪いし、いつものリンデン先生らしくありませんわ」

 アウロラはそう言って、リンデンを覗き込んだ。

 虹色の瞳にリンデンの初老の姿が映り込む。

「うん……」

 リンデンはアウロラの目の中に映る自分の姿から目をそらし、のろのろとうなずいた。

「いや、大丈夫。大丈夫だよ、アウロラ……」

「そうですか……」

 これ以上追求しても何も出てこない気がして、アウロラは話題を切り替えた。

「それじゃあ、また明日、リンデン先生」

「ああ、また明日……」

 アウロラはリンデンの様子が気になったが、深く追求する時間も無く、王宮から出た。

 空には満月が浮かび、こちらに笑いかけていた。


 茅屋に戻って、アウロラはベッドに潜り込んだ。

 ロルフのことを考える。四つ年上のロルフは、いつも優しかった。

 アウロラの幼少期、ミヒャエル以外に出会う機会のあった子供達は魔女を恐れていた。そんな中、リンデンの教育の賜物だろう、ロルフもまた魔女を恐れたりはしなかった。

 アウロラとミヒャエルは王宮でロルフにたまに遊んでもらった。ロルフはリンデンが一月に一度ほど王宮に連れてきていた。ロルフは二人にとって頼れる年上の友達だった。

 優しくて聡明でいつも朗らかなロルフ。

 アウロラはロルフのことは好きだ。しかし、兄のような存在だと思っていたし、最近では仕事仲間になっていた。それはロルフも同じではないかと思う。

 ロルフは幼い頃から父に憧れ、父に師事し医者になった。初志貫徹をしたロルフのことをアウロラもミヒャエルもかっこいいかっこいいと無邪気に褒め称えたものだった。

「……ロルフと、結婚か」

 それはなかなか想像がつかないことだった。

 頭に思い浮かべても幼い頃のおままごとが浮かぶばかりだ。

 アウロラが母役、ミヒャエルが父役、ロルフは子供役をやってくれた。

 料理を作りたがるアウロラ、仕事ごっこをしたがるミヒャエルにロルフは付き合ってくれたのだ。

 泥を丸めて料理と称して出していたことを思い出すとついつい赤面してしまう。

「……寝ましょう。ええ、寝ますとも」

 アウロラは呟いた。考えてもどうしようもない。すべてはロルフが決めることである。アウロラに選択肢などありはしない。

 ベッドで添い寝をしていたリーノが抗議をするように鳴いた。

「そうね、リーノ、寝るわ。うるさくしてごめんなさい」

 リーノの頭を撫でて、アウロラは目を閉じた。

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