第10話 医者・ロルフ

 翌日、アウロラはいつも通りの日常をこなした。ブルーノの時のようにミヒャエルがまた見合いを邪魔をするのではないか、そうも思ったが、いかに王子といえど王の自室に無理矢理踏み入ることは出来ないだろう。

 花園で植物を摘む。薬を煎じる。夕食を食べる。

 そしてアウロラはチェロとリーノに留守番を頼むといつものように、茅屋から王宮へと向かった。

 しかし、その足はすぐに止まることになった。

 茅屋から王宮へと向かう道の上に、ミヒャエルが立っていた。通せんぼをするように仁王立ちしている。そしてその横にはやはり疲れた顔の侍従がいる。この人もいつもご苦労様だなあとアウロラはぼんやりと思った。

「……こんばんは、ミヒャエル」

「ああ、こんばんは、いい夜だなアウロラ。君の髪のように美しい銀の月が俺たちを見下ろしている」

「はい、良い月夜です……あの、それでは、失礼します」

 ミヒャエルの褒め言葉はあえて無視し、アウロラはミヒャエルの隣を通り過ぎようとした。その腕をミヒャエルがやさしく掴む。いつもの強引なミヒャエルとは違い、ずいぶんと弱々しい腕だった。

「あの、殿下、離してくださいませ」

「……ロルフと結婚するのか? アウロラ」

 どうやらミヒャエルは王の自室には潜入できない故、直接説得に来たようだった。

「……ロルフが良いと言ってくれるのなら」

「……ロルフは確かに良いやつだ。昔なじみだし、俺も木から落ちたり、崖から落ちたり、馬から落ちたりする度に治療をしてもらっている……」

「ご自愛くださいませ……」

 アウロラは呆れる。子供の頃の話ならまだしもどうも口ぶり的に最近のことのようだ。馬はともかく木とか崖とか王子が落ちて良いようなところではない。

「でも、でも……ロルフより俺の方が君を愛している! 自信がある!」

「そうだとしても、私達が結婚するなんてありえません。私達は魔女と王太子です。殿下、現実を見てください」

「ミヒャエルと呼んでくれ! それだけが俺の拠り所だ!」

「現実を見てください、ミヒャエル」

 アウロラは説得を繰り返した。現実、目の前にいつだって立ち塞がるもの。

 この短い期間にアウロラは何度現実に立ち塞がられただろうか。

 おかげで現実に阻まれ婚約が成立しなかった。

「それでは、陛下がお待ちですので」

「……アウロラ」

 ミヒャエルはうなだれた。

 アウロラは振り返らず歩み去った。


 王の自室にはすでにリンデンとロルフがいた。いつも通りの服装で良いと言われたが、ロルフのかっこうはいつもより小綺麗にしているようにも見えた。アウロラはいつもの黒衣だ。これが魔女の正装だから。

 一方、リンデンは昨日に引き続き、落ち着きのない顔をしている。

 ロルフはリンデンによく似ている。優しい笑顔、すらりとした長身。穏やかな物腰。人を安心させる医者。それがロルフだった。

「アウロラ、薬をロルフに」

「はい」

 王の司令に従い、アウロラは用意してきた薬をロルフに手渡した。今日の王はソファにかけていた。王子の結婚問題という懸念が解決しそうだからだろうか? 今日の王は比較的顔色が良い。アウロラは少しホッとする。

 ロルフは小さくアウロラに笑いかけると薬を王に投与した。

「うん、それでは……まあ、なんだ、勝手知ったる仲ではあろうから……単刀直入に尋ねよう、ロルフ、アウロラをどう思う?」

「父から話を聞いたときは驚きました。僕にとってアウロラは恋人と言うよりは妹のようなものですから」

 ロルフは笑った。アウロラも胸の内で同意する。ロルフは兄のようだった、昔から。

「しかし陛下が僕とアウロラに契れというのなら……ええ、アウロラは良い妻になってくれると思います。薬を調合できる妻は医者の僕にとっても心強い。アウロラがいいのなら……僕はアウロラと結婚したいです。アウロラは、素敵な女性ですから」

 ロルフは王にそう言うとアウロラを見つめた。

「どうだろう、アウロラ、君は僕が夫でも構わないだろうか?」

「……はい、ロルフ。私、あなたと結婚します」

 アウロラはうなずいた。

 ロルフとは知った仲だ。彼のことは好ましく思っている。それは恋愛のような感情ではなかったけれど、お互い家族のようには思っているのだ。これから少しずつ育てていけば良い。

 ロルフは頷き、アウロラに歩み寄った。

 抱きしめられるのだ、アウロラには分かった。

 目の端で王が歓喜の涙を流している。こればかりは可愛がっているアウロラと、頼りにしているロルフの婚姻が嬉しいが故の涙である。

「ま、待ってくれ!」

 ロルフがアウロラのすぐ近くまで来た瞬間、リンデンが悲鳴のような声を上げた。

「父さん!?」

 ロルフが驚く。ここまで慌てたリンデンは初めて見た。

「どうしたんだ、父さん、陛下の御前でそんな風に声を荒らげるなんて失礼だろう……」

「ああ、ロルフ、やはり、お前に先に言っておけばよかった。そうすれば、どうとでも理由を付けて縁談を断れたのに。私と来たら、臆病風に吹かれて、どうにかこの婚姻が回避されるんじゃないかと偶然にすがって……」

 早口でそう喋るリンデンの顔は真っ青だった。

「父さん……?」

 ロルフは困惑する。

「そんなに、僕とアウロラが結婚するのに問題があるのかい? 魔女の迷信に囚われるような父さんじゃないだろう?」

 ロルフは父親を説得しながら、気遣うようにアウロラを見る。

 アウロラは曖昧に微笑む。リンデンは魔女を恐れてはいない。それはいつもの態度で良く分かる。だからこそ分からない。リンデンを苛んでいるのはなんなのだろうか。

「ああ。……いや、いっそ魔女の迷信を信じる私であれば、こんなことにはならなかったのかもしれない……こんな罪深くも恥の多いことには……」

「……何の話だ、父さん。陛下に、アウロラに、僕に分かるように話してくれよ」

 リンデン医師は、息子の言葉に観念したようにうなだれた。そしてフラフラとその場で誰に向ける出もなく土下座した。

「ど、どうしたリンデン」

 王が困惑する。

「……罪を告白します、陛下。わ、私は……私が、アウロラの父なのです……!」

「な……!」

 ロルフは目を剥き、アウロラは持ってきていた空の薬箱を取り落とし、王は絶句した。

「り、リンデン……本気か、本気で言っているのか、貴様が、ルーナと……?」

「は、はい」

「待ってください! アウロラは僕より年下で、僕の母さんは健在だ! じゃあ、父さんは……父さんは不倫を……?」

 ロルフは衝撃に体を震わせながら問いかけた。

「そうだ、ロルフ……私は愚かだったのだ。あの頃の私は王宮勤めの医師で忙しくしていた。母さんはお前を一人で育て上げた。そして夫婦仲は冷え切っていた……そんなとき、ルーナに出会った。ルーナは……それはそれは美しい女だった。私は妻子ある身ながら一目見て恋に落ちてしまった……」

 リンデンは苦しそうに過去を語った。

 リンデンの言葉は疑問となってアウロラの頭の中を渦巻いていた。

 リンデンが自分の父親? 母と不倫をしていた?

「……ルーナは私に妻子がいることを最初は知らなかった。知った後には私を遠ざけた。しかし、遅かった。ルーナの腹にはすでにアウロラがいたのだ……」

 リンデンは脂汗をかきながら、その告白を続けた。

「ルーナは産むのを迷っていた。しかし、私が懇願した。産まれてくる子供に罪はない。すべての罪は私にあるのだ、と。そしてルーナは君を産んでくれた。可愛い娘が生まれてきた……」

「……お母さん」

 アウロラは母の顔を思い浮かべた。自分によく似た母親。銀の髪に虹色の目、いつも優しくて、しかし魔女のことを教えてくれるときは厳しかった母。

 母が自分を産むのを迷っていた。そんなことは初めて知った。

「陛下、つまりアウロラとロルフは異母兄妹です。二人の結婚は……出来ません。申し訳ありません。申し訳ありません」

 きょうだい婚。昔々にはあった話だと言うが、今のラディウス王国では禁忌の一つだった。

「……余に謝ることはない、リンデン」

 王は感情を押し殺した声でそう言った。

「……アウロラ、急にこのような事実をお前に突きつけてすまなんだ。よもや妻帯者のリンデンがお前の父親だったとは……」

 王はずいぶんと疲れた顔でそう言った。元々の病身が一気に何年分も老け込んだように見えた。

「陛下……いえ、いいえ。陛下に謝っていただくことは何一つありません。大丈夫です」

 そう言いながらもアウロラは足元がぐらつくような錯覚を覚えていた。これが何に起因するものなのか、アウロラには判断がつかなかった。体調不良、というのともまた違う。薬で治るようなものではない。ただひたすら体が震えるような感覚があった。

「……ロルフ、お前にもすまない。……心のままに行動して構わぬ、許す」

 王はロルフの震える拳を見ながらそう言った。

「ありがとうございます、陛下。御身の前で失礼いたします」

 ロルフはそう言うと拳をリンデンに振り上げた。二回、ロルフはリンデンの顔を殴りつけた。

 リンデンの体は容易に地にひれ伏した。

「……これは母さんとアウロラの分です、父さん」

「ああ……」

 王の私室に倒れ込みながらリンデンは目に浮かんだ涙を拭った。それが殴られた痛みのせいなのか、罪の告白のせいなのか、その場の誰にも分からなかった。

 ロルフは赤く腫れた拳を開きながら、アウロラに向き合った。

「……アウロラ、君を妹のようだと思っていたのは、間違いではなかったようだね」

「そうね、ロルフ……私もあなたのこと兄さんのように思っていたわ」

「……これからも、そう思っても良いだろうか?」

「ロルフが私の存在を、許してくれるのなら」

「許すさ。父の罪が君に行くというのなら、僕だって罪人の子だもの」

「……ありがとう」

 アウロラはうつむいた。泣き出しそうになるのを必死にこらえた。

「……下がってよい、ロルフ、アウロラ。そしてリンデン、お前を王宮付の医師の任から解く。ロルフ、交代要員は探させておく」

「……はい、陛下、今夜は大変お騒がせして、申し訳ありませんでした」

 ロルフが頭を下げ、ぐったりと倒れ込むリンデンの体を持ち上げた。二人の後にアウロラも続いた。

 王が深くため息をつくのを聞きながら、三人は退室した。

 三人は無言のままに別れた。

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