第11話 波紋

 アウロラは月が照らす夜道をフラフラとひとり歩いていた。

 まだ飲み込めなかった。一生出会うことがないと思っていた父親の正体に胸が痛むのを感じた。

 リンデンは尊敬できる医師だった。それが父親だった。ロルフと妻の存在がいなければ、アウロラは喜んでいただろう。しかし、リンデンには妻子がいたのだ。

 妻子がいたのに母と恋仲になり、そして自分が産まれたのだ。

 母は自分を産むのを迷っていたという。自分という罪の証を産み落とすことにした母の気持ちを、アウロラはもう一生知ることができない。

「……ああ」

 アウロラはとうとう道にしゃがみ込んでしまった。その頬を冷たい涙が伝い落ちた。

「私……私はなんて……」

「アウロラ」

 優しいいつもの声に顔を上げると、そこにはミヒャエルがいた。

 彼は優しい笑顔でアウロラを見下ろしていた。その後ろにはやはり侍従が控えていたが、今日ばかりは完全に目をそらしていた。

「……殿下、まだ外にいらしたのですか。春とはいえお風邪をひきますよ」

「俺、母上から聞いていたんだ……今日のこと」

 ミヒャエルは静かにそう言った。

「…………」

 そういえば、王妃はアウロラの父のことを知っていると言っていた。こうなることは織り込み済みだったのだろう。あの時、無理にでも聞き出しておけば、このようなことにはならなかったかもしれない。少なくともロルフの心に傷を負わせずに済んだ。

 アウロラの心が強く痛んだ。

「……ミヒャエル、私、私は……」

「無理に言葉にすることはないよ、アウロラ。いや、言葉にして楽になるというのなら、すればいいけれど。いいんだ、できないならしなくていい」

「……ええ……ありがとう」

 アウロラはミヒャエルの言葉に素直に従い、黙り込んだ。

 ミヒャエルはそんなアウロラを強引に抱き上げた。

「み、ミヒャエル、駄目です、殿下にこのような……」

「今夜くらい、良いだろう。月も笑って許してくれるさ」

 そう言ってミヒャエルは空を見上げた。

「帰ろう、アウロラ、君の家に」

「……うん、ごめんなさい」

 アウロラは素直にミヒャエルの胸に頭を預けた。

「大丈夫、大丈夫さ、このくらいどうってことはない。君は大丈夫」

 優しいミヒャエルの言葉にアウロラは次第に目を伏せていた。

 存外にミヒャエルはたくましく、その腕の中は安定感があった。

 アウロラの疲れ切った体は休眠を欲していた。


 差し込んだ朝日にアウロラは身じろぎした。

「……ん」

 アウロラが目を覚ますとそばでリーノが寝ていた。

「おはよう、リーノ」

 そう言って、リーノを撫でる。柔らかくて癒やされる。そう、今の自分には癒やしが必要だった。何かにひどく傷付いていた。何だったろう、思い出すのがおっくうだったが、思い出すまでもなく胸の痛みが、その答えを教えてくれた。

 自分は不義の子だった。ロルフはそれを責めるなら自分だって罪人の子だと言ってくれた。しかし、それを鵜呑みにして心を安らげることなど、アウロラにはできなかった。

「おはよう、アウロラ」

 耳元で囁かれ、アウロラはのけぞっった。

「で、殿下!?」

 自分の寝ているベッドにミヒャエルが腰掛けていた。

 自分の服装は魔女の正装、黒衣。どうやら昨夜ミヒャエルに運んでもらい、そのまま眠ってしまったらしい。

「あ、あの、殿下、昨夜はも、申し訳ありませんでした……」

「いいんだ。俺がしたくしてしたことなのだから、謝らないでくれ」

 ミヒャエルは嬉しそうに微笑んだ。

「ああ、それにしてもかわいらしい寝顔だったよ……アウロラ」

「ひっ……」

 陶酔しきったミヒャエルの顔にアウロラの二の腕には鳥肌が立った。

 ミヒャエルはアウロラの銀の髪を束ですくい取った。

「何度口づけを我慢したことか……髪は何度か撫でたけど……いやあ、俺は俺の固い意志を褒めるね。ああ、可愛いアウロラ。俺と結婚してくれ」

「流れるようにプロポーズするのをやめてください……」

 アウロラは疲れた顔をしながら、力なくそう言った。

 ミヒャエルを遠ざけるためにお見合いをしてきていたのに、むしろ失敗することで、距離が縮まってしまったような気さえする。それが王に申し訳なかった。

「と、とにかく、もう王宮にお戻りください! みんな心配しますよ?」

「俺への心配なんてものの中に、俺からの君への心配に勝るものはない!」

 そういうと、ミヒャエルはアウロラの肩を抱いた。アウロラは身を縮める。嫌だと言うより、恥ずかしかった。

「愛している……可愛いアウロラ。君は俺と結婚する運命なんだよ、きっと」

 そう言ってミヒャエルはアウロラの顎をすくい上げた。徐々に顔が近付いてくる。アウロラは必死に顔を反らす。

「駄目です、殿下。離してください。魔女はあなたとは結婚できません。いいえ、魔女のくせにそもそも誰かと結婚しようなどと思ったのが間違いだったのです。私、結婚はもう諦めます」

 ロルフが血を分けた異母兄だったという事実は、一晩経って尚、アウロラの胸を痛めつけていた。

「魔女は魔女らしく一人で生きていきます……」

「でも、そうしたら、次代の魔女がいなくなるじゃないか」

 ミヒャエルは珍しく真面目な顔をした。

「魔女の力は偉大なものだ。国に一人は……いや一人と言わず何人でも置いておきたい。君のお母さんを隣国から連れてくるのに、我が国がどれほどの褒賞を払ったか……。だから結婚しよう。俺の子を産んでくれ、そして魔女の後継ぎをだね、いやもちろん魔女の後継ぎ抜きでも君とは結婚したいし、子供も欲しいけど……」

「……なら身寄りの無い子供でももらってきて、弟子にします」

 アウロラはかたくなにそう返した。ミヒャエルは少し残念そうな顔をした。

「だいたい、あなたとの間に子供が出来たらその子は王族です。ますます魔女になんてするわけには……」

「何故だい?」

「な、何故ってあなた……」

「王族に魔女がいたって良いじゃないか。そうだ、王の一族が魔女の技を学べば、国は魔女の技を失うことはない……そうだ! アウロラ、俺を弟子にすれば良いんだよ!」

「は……?」

 アウロラはミヒャエルの発想に口を大きく開け広げた。

「この不出来な男を弟子にしてください、魔女様!」

 ガバッと頭を下げるミヒャエル。

「その感じやめて!」

 アウロラは悲鳴に近い声を上げた。

「それじゃあ、やっぱり子供を作ろう!」

「嫌です!」

 アウロラのきっぱりとした否定に、ミヒャエルはがくりと肩を落とした。

「とりあえず、お帰りください! ……私もパンをもらいに厨房に参りますから、一緒に王宮へ帰りましょう?」

「……アウロラがついてきてくれるなら」

 不承不承という顔でミヒャエルはうなずいた。アウロラは黒衣の上を脱ぎ、灰色のマントを被る。

 パンをもらいに行くのは生活のためであり、魔女としての仕事ではない。だからこうして普段着に着替えて行く。アウロラは何もいたずらに人々を怯えさせたいわけではないのだ。

「……アウロラ、男の前で恥じらいもなく着替えたりしてはいけないよ」

 ミヒャエルは少し顔を赤らめて呟くように忠告した。

「上着を着替えただけですよ?」

 本当に分からない、と言う顔をアウロラはした。

「うん、それでもドキリとしてしまうのが男心というものだよ、俺に固い意思がなければ今頃、君は俺の腕の中さ」

「……抱きしめるのは何度もされているような」

 アウロラがいまいち納得できないという顔をする。

「それでも、だよ、アウロラ……ああ、本当に今日も可愛いなあ、アウロラは」

「いいからさっさと王宮に帰りますよ」

「くっ……恥じらう君が見たいのに、さては褒め言葉に段々慣れてきてしまったね! 悪いことじゃないが、寂しいな!」

「はいはい」

 アウロラは軽く流して、先に茅屋を出た。ミヒャエルはため息をついてその後に続いた。

 茅屋の椅子には侍従が腰掛けて、眠りについていた。この人にもいつも迷惑をかけている。

「おい、起きろ、移動だ」

「はっ! 殿下!」

 ミヒャエルのかけ声に慌てて侍従は立ち上がった。

「ミヒャエル、あんまりこの方にご迷惑をかけては駄目よ」

「そう思うなら結婚してくれ、そうしたらこんな手間をかけずに済むだろう、お互い」

「お断りします」

 侍従は苦笑いでそんな二人の後に続いた。

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