第8話 宮廷楽士団長ヨハン

 しばらくして王宮から使いが来て、お見合いの日程をアウロラに伝えていった。


 アウロラはまたしても王妃の部屋で今度は薄桃色のドレスを着させられた。

「はあ……ええ、ええ、ヨハンはいい男ですもの……」

 王妃は見るからに憂鬱そうにそう言った。

「ああ、どうしましょう。本当にヨハンに決まってしまったらどうしましょう……」

「え、ええと、王妃様、ヨハン様には何か問題が?」

「ありませんよ、ないから困ってるんじゃないの」

「そ、そうですか……。王妃様はヨハン様と親しくしてらっしゃるのですか?」

「ええ、私は音楽が好きなのよ」

 王妃はにこにこと微笑んだ。

「ヨハンは……出世や政治にあまり興味のない子でね、音楽さえできれば、王宮だろうと街中だろうと、牢獄だろうとどこでもいいなんて言っているのよ。でも、あの子の才能を野に放っているのはもったいないと思ったの。だから、私が引き立てて、よく私的な集まりに呼んで小さな演奏会など催させて……まあ、パトロンのようなものね。あ、そうよ、もうヨハンはわたくしの愛人と言うことにしてしまえばいいのだわ」

「王妃様!?」

「芸術家とパトロンが愛人関係にあるなんて珍しくもないわ! そうしちゃいましょう!」

「王妃様と陛下の名誉が危うくなります! おやめくださいませ!」

 アウロラは思わず冷や汗をかきながらそう言った。

 アウロラも出世や政治には縁はないが、それでも世間の機微というものに疎いわけではない。おしどり夫婦と名高い国王夫妻にこのようなスキャンダルが発生しては、世間がどんな目をするか、考えることのできないアウロラではなかった。

「だ、大丈夫です。王妃様! 私、お見合いがんばりますから!」

 アウロラの言っていることは王妃にとって大丈夫ではないのだったが、そちらの機微にはいささか疎いアウロラであった。


 今日のお見合い会場はレオナルト文官長の時と同じく、相手方の領域だった。

 王宮の中にある宮廷楽士団の詰め所に向かう。

 今日の案内役も、ブルーノ隊長の時に世話してくれたイルザだ。

 今まで行ったことのない場所に、緊張が体をこわばらせる。

「ふー……」

 大きな扉があった。楽器を搬入するのにこの大きさが必要なのだろうなとアウロラは思った。

 勇気を持って扉を押し開く。

 その向こうには、絢爛豪華な楽器の数々とその奏者、そして、ミヒャエル王太子殿下がいらっしゃった。

「…………ミヒャエル?」

「やあ、アウロラ!」

 ミヒャエルは横笛を構えていた、誰かに指導を受けている。

「……何をされているの?」

「見ての通り楽器の指導を受けているのさ! 音楽の素養は王族にはもちろん絶対何が何でも必須というわけではないが、あるに越したことはないからね!」

 楽しそうにミヒャエルがそう言って――そしてその頭にゲンコツが降ってきた。

「痛い!?」

「ミヒャエルー!?」

 王子に対してあまりの不敬に、さすがにアウロラも目を剥いた。

「殿下、貴重な楽団の練習時間を削ってご指導差し上げているのです。集中なさってください。音楽を奏でるとき、奏者は指揮者以外を見る必要はございません。観客すら視界に入れることは不要です。奏者は指揮者に従えば良いのです。責任は指揮者が負います」

「は、はい……」

 あまりゲンコツなどされたことのないミヒャエルは涙目になって、うなずいた。

 アウロラはほんのちょっとだけざまあみろと思ったが、どちらかというと同情心が勝った。

「……ええと、それで、そちらが魔女様?」

 ミヒャエルにゲンコツを喰らわせた青年が振り返った。

「あ、はい。アウロラです……」

「こんにちは、魔女様。自分がヨハンです。こちらへどうぞ。では、王太子殿下の指導は一旦、任せた」

 そばにいた横笛奏者にそう言うと、青年はアウロラを横の部屋に案内した。

 どうやら宮廷楽士団用の応接間のようだった。

 応接間だけで、この王宮には何個の部屋があるのだろう。今まで考えたこともない疑問が胸をよぎった。

「どうぞ、お掛けになってください。……やれやれ、陛下たちにも困ったものだ。職の世話をしていただけたことはありがたいけれど、まさか結婚相手の世話までしてもらうことになろうとは」

 ヨハンは少し苦笑いをした。

「……あのう、失礼とは存じますが、ヨハン様には、誰か思っている方などいらっしゃったりは……?」

 前回の反省を生かして、アウロラは最初にそれを尋ねることにした。

「あるけど」

「あるんですか!? いや、ある……?」

 いるではなく?

「うん。音楽。その神こそ僕の至上の思うものだ。それ以外は塵芥だよ」

「あ、なるほど……」

 音楽の天才らしい言葉だった。

「人間にはさほど興味はない。もちろん良い音楽を創り出す人間はまあ、好きだけどね。そういう意味では王妃様のことは尊敬しているよ。あの方、弦楽器の名手だから」

「え、そうなんですか」

「うん、謙遜されてご自分から奏でたりはされないけど、僕がお願いしたら二重奏をいっしょにしてくださるんだ」

「そう、だったのですか……」

「だから、殿下にも少しは期待してたんだけど、ありゃ駄目だ。てんでなってない。たぶん、パーティーの最中、僕等が豚とすり替えられても気付かないんじゃないか?」

「あはは……」

 アウロラは苦笑いをした。確かにミヒャエルから音楽の素晴らしさなど説かれた覚えはない。当たり前のように、聞いているもの。

「さて、それじゃあ、本題に入りましょうか。さっさと終わらせたいでしょう、お互い。では、魔女様、他に聞いておきたいことは?」

「ええと、ヨハン様は、その、魔女についてはいかが思われているのですか?」

「別に、怖くはないな。もちろん魔女が音楽を遠ざける魔法でも使えるって言うのなら、最上級の畏れと敬いを表するけどね」

「そのような……怪しげな術はありません」

 アウロラはどこまでも音楽のことしか考えていないヨハンに少し微笑んだ。

「なら、いいんだ。この世には三種類の人間しかいない。音楽を理解するもの。音楽を理解しないもの。音楽をこれから理解するもの。この三つ。それ以外の区分はどうでもいい」

「そうですか……」

 これはこれで極端すぎたが、彼の基準の中では魔女の自分も他人と平等なのだと思うと、アウロラの心は少しだけ軽くなった。

「ええと、その理屈で行くと私は理解しないものだと思いますけど……そのようなものと結婚してもよいのですか?」

「いいよ、ただ、僕は音楽にしか興味がないから……幸せな結婚生活とやらは保証できない。それでもいいならなんでもするよ。陛下や王妃様にはなんだかんだお世話になってるからね」

「……私もです」

 アウロラは深くうなずいた。

 数え切れない恩をふたりからは受けている。

「……いいのかい?」

 ヨハンは少し、困ったような顔でアウロラを見つめた。

「構いません」

「……ふうむ」

 ヨハンは複雑な表情で腕を組み、しばらく黙り込んだ。

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