第7話 間髪を入れず
アウロラは図書館を出ると、大きくため息をついた。その心身はずいぶんと疲れ果てていた。
「やあ、アウロラ。ため息は幸せの妖精を殺すよ」
日々、聞き覚えのありすぎる声がアウロラを諫めた。
「殿下……」
図書館の入り口の前のベンチにミヒャエルが腰掛けて、アウロラが出てくるのを待っていた。その後ろにはいつもの侍従が控えている。
「今回は妨害されなかったのですね……?」
「レオナルトに思い人がいることを俺は知っていたからね。そしてあいつが思い人がいるのに君と付き合えるほど器用な男ではないことも」
「そう……なのですか……」
意外だ。
「こう見えて俺とレオナルトはふたりで恋の話をよくしているんだよ。なんというか、他人事ではなくてね」
本当に意外だ。ミヒャエルとレオナルトが恋の話に花を咲かせるのを想像する。
うまくいかなかった。
「はあ……」
「あはは、さあ、アウロラ、デートでもしようか王宮デート……いや傷心デートか?」
「いえ、私には時間がありません。これから着替えたら、花園に行って陛下の薬のための植物を摘んで参ります」
「くう……」
悔しそうにミヒャエルは顔をしかめた。
アウロラは彼を無視してさっさと王妃の部屋へと向かった。
「……初恋の相手に振られて悲しんでいるかなとも思ったけど、そこは大丈夫そうだ。よかったよかった」
ミヒャエルは優しい笑顔でアウロラの背中を見送った。
「……ミヒャエル殿下」
そんな風にアウロラを見守るミヒャエルに、ひっそりと声をかける女がいた。
ミヒャエルは振り返った。ミヒャエルやアウロラと同じくらいの年頃の、豪華なドレスを着込んだ女性がいた。燃えるような赤髪を流行りのシニョンに結い上げている。
「ああ、クラウディア」
静かにミヒャエルは彼女の名を呼んだ。
彼女こそ宰相の娘、クラウディア・ベンダーだった。
「殿下? 今からお話、よろしいでしょうか?」
「いいよ、いいけど、君の思惑通りの話はできないよ……それに、君、俺とアウロラが話しているのを見守っていたのだろう? その時点で、君の思いは俺に負けていると思うよ」
「…………私は殿下と違い、お見合いに乱入するような不調法は致しませんから」
「これは手厳しい」
ミヒャエルは笑って、クラウディアを促した。二人はミヒャエルの持つ応接室の一つに向かった。
「まさかレオナルトに思い人が……!」
王妃は目を見開いた。
「あの堅物朴念仁を絵に描いたようなレオナルトに! 思い人が!」
「王妃様、あまりそう声を荒げるのは……その、どうかと……」
服を着替えさせてもらい終えたアウロラは王妃を宥める。
「ご、ごめんね、アウロラ、あまりのことに私ちょっと動揺が隠しきれないわ」
そう、レオナルトとはそんな印象の男であった。アウロラも意外だった。
「どういう女性なのかしらね、あのレオナルトが愛する女性って」
「……とりあえず知性のある方だとは思いますけど……」
レオナルトは知識を愛し、知性を尊ぶ。
たとえ令嬢を選ぶといえど、そこをおろそかにはしないだろうとアウロラは思った。
「どうかしら、ああいうタイプに限って女には甘かったりするのよ、きっと」
「はあ……」
そういうものなのだろうか? アウロラには分からない。
「それでは失礼します」
「ええ、今日はお疲れ様でした」
王妃は少し気遣うような顔をしたが、アウロラは気にせず微笑んで部屋を出て行った。
「……という首尾で終わりました。成果がなく申し訳ありません」
ベッドの王にアウロラは頭を下げた。王はリンデン医師に脈を取られながら微笑んだ。
「いや、まさか、あのレオナルトに思い人がいたとは……人はみかけによらんな……」
王もずいぶんと驚いていた。そしてしばらく考え込んでいたが、口を開いた。
「よし、宮廷楽士団長のヨハンとの見合いの場を設けよう」
「楽士団長……ですか?」
アウロラにとっては親しみのない相手だった。
たまにパーティーの夜に王宮から流れてくる音楽を聴くことはある。
だけどそれは縁遠いもの。姿形のない、風のざわめきに等しいものだった。
「あれは天才だ。若干二十歳で、宮廷楽士団長に上り詰めた」
「はあ……」
しかし、アウロラには音楽の素養などない。
母の子守歌をいくつか覚えてるくらいである。
そのような人と話が盛り上がるとは思えなかった。
けれども、と思い直す。少なくともブルーノ隊長よりは文化的な人ではあるのだろう。
「……わかりました。お受けします」
「ありがとう」
王は目を細めて笑った。
詳しい日程は追って伝えると言われて、アウロラはリンデンと王の居室を退室した。
「……リンデン先生はええと、宮廷楽士団長のヨハン様のことはご存知ですか?」
「お名前を聞き及んでいるくらいだね。私もあまり華やかなパーティーには縁がないから」
リンデンは微笑んだ。
レオナルトは貴族の生まれだったが、リンデンは貴族ではない。
王の医療を担当していると言うことで、名誉貴族の称号をいただいているが、あまり好んで社交界に繰り出すと言うこともないようだ。
「……君にとって良い縁でありますように」
リンデンは静かにそう言った。
「ありがとう、先生」
アウロラはひっそり微笑んで、リンデンと別れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます