第6話 レオナルト文官長

 夜になる。いつものように王宮に向かう。

 今日も王の自室にはリンデン医師がいた。王はすでにベッドに寝転んでいた。

「ああ、すまないな、アウロラ、こんな姿で……」

「いいえ、陛下」

 答えながらアウロラはリンデンに薬を手渡す。リンデンが王に薬を投与する。

「……アウロラ、小耳に挟んだのだが、ブルーノ隊長は君の好みの男ではなかったようだな?」

「えっ……」

 その情報は誰からだろう? ミヒャエルが自分の恋路を邪魔する王にそのようなことを話すとも思えない。王妃が言うのであれば、こういう言い方はしなさそうだ。アウロラの頭にミヒャエルの隣で冷や汗をかいていた侍従の姿が浮かぶ。彼が話したのだろうか?

「そして、インテリが好み、と」

「え、えーっと……」

「よし! 文官長と見合いをしなさい! アウロラ」

「ぶ、文官長殿と……」

 文官長、レオナルト・ドレッセル。いずれは宰相間違いなしと言われている俊才で、アウロラよりも年上の二十一歳。名門貴族ドレッセル家の長男で、幼い頃から王宮の図書館に通っていた勉強熱心な男でもある。ミヒャエルに引っ張り回されていた頃のアウロラとは面識があった。

 そして他ならぬミヒャエルが言い出そうとした「アウロラの初恋の人」だった。アウロラにとってはそうではない。レオナルトの知性は尊敬しているが、魔女は恋などしない。何故なら恋をしたところで、実りはしないのだから。

「場を設ける。詳しくは追って知らせる」

「は、はい……」

 アウロラは小さくうなずいた。


「……レオナルトは、まあ、いい男だよね」

 王の私室から退室しながら、リンデンは苦笑をした。

「はあ……リンデン先生、レオナルト様と交流がおありで?」

「彼は図書館の主だもの。医学書を読みに行くときによく会うよ」

「そうでしたか」

 レオナルトは本の虫だ。幼い頃から図書館に通い、文官長になってからも図書館で仕事をこなしている。「どうせ資料はすべて図書館にあるのだから、図書館で仕事をするの合理的だ」とは彼の弁だが、彼を昔から知っているアウロラには分かる。あれは暇さえあれば本が読みたいがために仕事場を図書館に定めただけの男だ。

 レオナルト・ドレッセルはそういう変人だった。

「……首尾よく行くことを祈っているよ、アウロラ」

「ありがとうございます、リンデン先生」


 レオナルトとのお見合いは数日後には決まった。

 お見合いと言ってもブルーノとは違い一応の知り合いだ。気はまだ楽だった。

 とはいえ、図書館に籠もりきりのレオナルトと行くところが限られているアウロラは、ここ数年ではほとんど会っていなかった。

「……まあ、本当にただの初恋でもない何かだものね……」

 それは幼い頃の淡い恋に満たない何か。気付けばどこかへ消えていた。だからアウロラはときめいてなどいないし、気負ってもいない。そもそもこれはミヒャエルにアウロラを諦めてもらうための婚姻だ。アウロラの気持ちは関係がない。それを噛み締めながら、アウロラは王妃の元に向かう。

「ごきげんよう、アウロラ。今日はピンク色のドレスにします」

 ニコニコとほほえみながら王妃は用意したドレスの内の一着を示す。

 アウロラは曖昧に微笑んで、ドレスをおとなしく侍女達に着せられた。

「よく似合っていますよ」

 王妃の言葉は相変わらず、アウロラには実感として伴わなかった。淡いピンク色のドレス。自分では可愛すぎると選ばない色だ。少し落ち着かない。

「行ってらっしゃい、アウロラ」

「はい、行って参ります」

 アウロラは深々と王妃に礼をすると、図書館へと向かった。


 図書館の位置なら分かっているので、今日は侍女をつけずにひとりで向かう。


 図書館に来るのはいつぶりだろうか。

 重たい扉をがんばって開ければ、圧倒される量の書物が所狭しと並んでいた。その奥に、文官長レオナルトはいた。

 黒髪黒目、落ち着いた印象を与えるレオナルトは書類と向かい合っていた。

「……お、お久しぶりです。レオナルト様」

「ああ、アウロラか。ようこそ、叡智の集まる場所へ」

 レオナルトは手元の書類から目も上げずにそう言った。

「まあ、座りなさい。少し、仕事を片付ける」

「はい、失礼します」

 アウロラは椅子に腰掛ける。レオナルトをうかがうが、一向にこちらを見る様子はない。

「…………」

 沈黙。アウロラは沈黙し、レオナルトは手を動かし、目を書類に走らせ続けた。

 アウロラは仕方なしになんとなく並ぶ書籍の背表紙を眺めた。

「これでよし」

 書類にサインを書き、ようやくレオナルトはアウロラを見た。

「ええと、陛下にお前に会えと言われたのだが……今日は何の用事なのだ? ずいぶんとめかしこんでいるが……ああ、似合ってはいるよ。可愛らしい」

「えっ……」

 まさかの見合いであることが報されていなかった。アウロラはあたふたと視線をあちらこちらにやる。

「…………?」

 レオナルトは不審そうに彼女を見守る。

「えっと……えーっと……レオナルト様、最近はいかがお過ごしですか?」

「見ての通り、忙しくやっている」

 レオナルトは書類の山を示す。

「そういう君は陛下に薬を処方しつつ、殿下に求愛されていると聞くよ」

「あ、お耳に入っていましたか……」

「意外とここに籠もっていても王宮のことは耳に入ってくるものだ。幼い頃からここにいたせいで、どうも誰もこちらを警戒していない。透明な男……だね」

「そういう……ものですか」

「そういうものだ……ううん、これは君に言うことでもなかったかな……警戒され続ける魔女、か。まったく彼らは書物を読み解けば良いのだ。そうすれば魔女が何であるかなんて一目瞭然なのにね」

 レオナルトは無知が嫌いだ。騎士が無知なのは良い。知恵が彼らの仕事に必要ないのならしょうがない。しかし、王宮に勤める文官が無知なのは我慢ならなかった。本の一つでも読めば分かるような知識すら手に入れようとしない人間達をレオナルトは侮蔑していた。

 一方で、書物からすら得られない知識を誇る魔女のことをレオナルトは尊敬してくれていた。

 アウロラはそれを知っていた。

「あはは……あの、ええと、その実は殿下の求愛についてなのですが……」

「ふむ、王族の婚姻に関する本ならあっちの棚にまとまっているが……」

「そうではなくてですね……ええと、陛下も私も殿下の求愛をどうにか諦めさせたいと思っている次第でして」

「ああ……まあ、君はともかく陛下はそうか。まあ、王族が魔女を娶るのはさすがに前例がない。ミヒャエル殿下が魔女を娶る上で被る苦労を思えばそれが親心というものかもな……ううむ、しかし恋を諦めさせる知恵なんてものはさすがにここにはないぞ。まだ巷のご婦人方に知恵を乞う方が実りがあると思うが……」

「その、陛下は私が結婚してしまえば良いのではないかとおっしゃっていまして……」

「なるほど!」

 そう声を上げるとレオナルトは快活に笑った。

「それはまた荒療治だが、考えたものだ! なるほど、いいだろう。それなら理解できる。恋愛という曖昧な心情の解決方法としては比肩するものがないくらいに有効なものだろうて。このレオナルト、情報網を駆使して君の結婚相手を探してやろうじゃないか! 魔女に偏見のない若い男か……ふむふむ」

「あ、あの……陛下は、その、結婚相手の候補に……あなたを選ばれまして……」

 どうして自分がこんな説明をする羽目になっているのだろう。少し疲れながら、アウロラは説明を終えた。

「えっ」

 さすがのレオナルトも目を見開いて、驚愕した。しばし硬直する。

 アウロラはレオナルトが事態を飲み込むのを待った。

 しばらくしてようやくレオナルトは口を開いた。

「……あー、アウロラは、そのー……それをどう思ったのかな?」

 レオナルトにしては言葉にキレがない。

「……あなたなら、まあ、知らない仲ではないですし、魔女についても怯えたり疎んだりはされないので……まあ、なしではないかな、とは……」

「そっか……あー……その……そうだな、そう見えるだろうな……うん、その、非常に言いづらいのだが……」

 レオナルトは困ったように何度も頭を振っていたが、ようやく意を決し、アウロラの目を真っ直ぐ見つめた。

 かつて淡い思いを抱いていた相手の目が真っ直ぐ自分を見ている。その事実にアウロラは胸が小さく高鳴るのを感じた。

「……あの、自分には思い人がいてだな……」

「分かりました」

 アウロラは素速く答えた。即座に頭を下げる。胸の中のときめきをせっせと葬り去る。

「この度はたいへんなご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」

「いや、迷惑ではない。驚いたけれど、やろうとしていることは納得できるからね……そうだな、まさか自分に縁談が来るとは……うん、自分もいい加減、思いを告げるべきなのだろうね……」

 レオナルトは遠い目をした。何処かにいる思い人に思いを馳せているのは一目瞭然だった。レオナルトが本以外を見つめているのをアウロラは初めて見た。

「……今回のお話はその、なかったことにいたしますので……」

「うん、そうしてくれるなら、助かる。玉砕もしていないのに、他の人との婚姻は自分は申し訳ないが考えられない。ああ、そうだ、さっき言った紹介するというのはどうする?」

「……いえ、大丈夫です。陛下と相談し、次を決めます」

 アウロラはにっこりと微笑んだ。その笑顔は作り笑顔のわりにはうまくできていた。

「そうか……アウロラ、君は大変だろうが……自分から一言だけ、余計なお節介を。殿下は真剣で、あの思いは本物で、彼は心の底から君を幸せにする方法を考えているよ。それだけは、覚えておいてやって欲しい。たとえ彼のことを好きになることがなくても、だ」

「……それは、あの、なんというか、レオナルト様も、でしょうか?」

「うん、そうなんだ。恥ずかしい話、さっき言った思い人とは完全に自分の片思いで、思いも告げていなかったんだ……それどころか彼女は彼女で思い人がいるようなんだ……でもね、多分彼女の恋は叶わない」

「はあ……そうなのですか……はあ……」

 レオナルトと恋の話をする。思いも寄らぬ展開にアウロラからはため息ともなんともつかない息が漏れる。

「うん。でも、自分は彼女が幸せになってほしいし……彼女の思いを応援していたい」

「……恋、なのですね、レオナルト様」

「恋、だとも」

 レオナルトは微笑んだ。彼には珍しい柔らかな微笑みだった。

「……アウロラ、がんばれ、がんばってくれ。すまないね、期待に応えられなくて」

「いいえ……こうやってお話しできただけでも、なんだかよかった気がします。どうかレオナルト様の恋が叶いますように」

「ありがとう」

 微笑むとレオナルトは自分の仕事は終わったと言わんばかりに書類へ目を落とした。

 こうしてアウロラの二回目のお見合いはその相手に好きな人がいることを知って終わった。

 何だかものすごく振られた気分だった。

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