第5話 失敗の後に

「そ、そんな……」

 アウロラはへたり込んだ。ドレスが床に広がる。

「アウロラ……大丈夫かい? さあ、この手を取って……」

「事の元凶の手など取りません!」

 ミヒャエルが差し出してきた手を振り払って、アウロラは自力で立ち上がった。

「……王妃様と国王陛下にお詫び申し上げなければ……ああ、もう」

 アウロラはフラフラとミヒャエルを置いて応接室から出ていった。

 その後ろ姿を見つめてミヒャエルはため息をついた。

「ああ、ドレス姿の君も美しいね、アウロラ、そんな君と舞踏会に出られたらどれほど素敵だろう……ああ、そうだ! 次の舞踏会に招待しようじゃないか!」

 アウロラが聞いたら頭痛のしそうなことを呟いて、ミヒャエルは足取りも軽く自室に下がった。その後ろをやはり冷や汗をかきながら侍従はついていった。


 ミヒャエルが王宮の廊下を弾むような足取りで駆けていると、前方から宰相ユリウス・ベンダーが闊歩してきた。

「これはこれは、殿下」

「おお、ユリウス」

 宰相はミヒャエルが幼い頃には家庭教師を務めていたこともある。だから二人の仲は悪くなかった。とある一点において見解の相違があることを除いては。

「……殿下、そろそろ色よいお返事をいただけませんか? 我が娘クラウディアとの婚姻について」

「またその話か、宰相」

 ミヒャエルは分かりやすく顔をしかめた。

「何度も言っているはずだ、俺はアウロラのことが好きで、アウロラと添い遂げることしか考えていない。そんな俺と結婚してもクラウディアだって幸せになれはしないさ」

「……恋なき婚姻。そんなものは王や貴族であれば当然のことです」

 宰相は淡々と王子を諭した。

「うちの両親もそうだったらしいものな。お二人はなんだかんだ仲良くやっているが、俺は幸いに好きな相手がいるのだ、ユリウス。その幸運に身を浸していたいんだよ。クラウディアを傷付けるのも本意ではない」

「……しかし、殿下、魔女との婚姻など誰もが黙っておりません」

「魔女、と切り捨てるのはやめろ、宰相。あれはアウロラ・ブラウアー。異国から来た知恵を授けてくれる賢い女だ」

 二人の声にどんどんと険悪な色が混じっていく。

「……殿下、歴史を知らぬあなたでもありませんでしょう」

「魔女を弾劾し、この国から追い出した歴史……その結果、国に災いが起こり、アウロラの母親を連れてくるのに異国に頭を下げ、大金を払い、引っ張ってきたのだろう? そんな歴史を繰り返さぬように、魔女を尊重するのはアウロラ相手でなくとも当然のことだ」

「魔女は……災いを呼びます」

「そうさせているのは、お前達の心だ、宰相」

 ミヒャエルはきっぱりと言い切った。

「見ろ、この俺を。アウロラを愛することでこんなにも幸せだ。……ユリウス、迷信に囚われるなと最初に俺に教えてくれたのはお前じゃないか」

「……私は、反対です。反対し続けます」

「そうか」

 ミヒャエルは静かに首を横に振り、自室へ歩みを進めた。侍従は宰相に深々と一礼すると王子に続いた。

「…………」

 宰相は暗い顔で王子の背を見送った。


「申し訳ありません、王妃様……」

 王妃の部屋に戻ってアウロラはうなだれた。

「こういう顛末でブルーノ隊長との婚約は相成りませんでした……」

「そうですかそれは結構。あの子を焚き付けた甲斐があった……ああ、いや、残念でしたね、アウロラ」

「王妃様?」

 なんだか聞き捨てならない言葉が聞こえた気がする。じっと王妃の顔を見つめるとサッと目を反らされた。

「……もう」

「ほらほら、アウロラの着替えを手伝ってあげて」

 王妃は侍女達に指示を出す。イルザをはじめとする侍女達が無言でその指示に従う。

 アウロラはいつもの薄緑の動きやすいドレスに着替えた。


 アウロラは王妃と向かい合わせにソファに座ってお茶をすする。

「……王妃様、この度は貴重な席を設けていただいたにもかかわらず、お役目果たせず申し訳ございませんでした」

「謝ることはありません。ああ、アウロラ……あなた本当にひとかけらもミヒャエルと結婚する気はなくて?」

「魔女が王子殿下と結婚するなど恐れ多いことです」

 アウロラはうつむいた。履き慣れた靴がやけに目につく。王宮に上がるからと毎日磨いている靴。それでも使い古されている感は拭い去れないアウロラの靴。

「私のような女はミヒャエル殿下とは釣り合いません」

「……では、ミヒャエルが王子でなかったら? そうでなかったら、結婚してくれましたか?」

 王妃はミヒャエルと同じようなことを聞く。しかし、その声音は落ち着いていて、アウロラも落ち着いて話をすることが出来た。

「……分かりません」

 アウロラは正直に答えた。

「王妃様、私ミヒャエル殿下のこと好きです。でも、それは幼い頃から友として育ってきたからです。思慕や友情であって恋慕ではないのです。……ミヒャエルは私に初恋の人がいるなんて言ったけれど、私は恋なんてしたことがないはずです。だって私は魔女だから、本来なら王宮の隅でひっそりと薬を煎じているだけの女なのだから」

「魔女だからといって恋をしていけない道理はありません。実際、ルーナは誰かと恋をしてあなたを産んだのですから」

 王妃はふんわりと微笑んだ。

 母が誰と恋をし、自分が産まれたのか、アウロラは知らない。

 父のことを母は一切喋ってくれなかった。アウロラはだから父のことはいない者として扱ってきた。

「……王妃様、もしや私の父のことをご存知なのですか?」

「ええ、よく知っていますとも」

 王妃はふんわりと微笑んだ。

「だってルーナは私の友だったもの」

 王妃とアウロラの母ルーナは同じくらいの年頃だった。まだ王太子妃だった王妃は、異国から連れ来られて王宮に上がった右も左も分からないルーナの面倒を見ていたという。

「ああ、私に娘がいたら、あなたの友達になっていたでしょうに、それが惜しいわアウロラ。元気な男の子ばかり四人も生まれて……もちろん皆可愛いけどね?」

「あはは、でも、王女様と友達になるだなんてとてもとても……」

 アウロラは必死で頭を横に振った。その姿を王妃はやはり寂しげに見守った。

「ああ、王妃様、もう少しお話をしていたいけれど、私、陛下のお薬のための植物を摘みに行かなくちゃ。失礼します」

「ええ、行ってらっしゃい。また、今度落ち着いて話をしましょうね」

「はい、是非に」

 アウロラは王妃の部屋から退室した。王妃はそれを見送るとため息をついた。

「ああ、アウロラ、あなたが受け入れてくれれば私はあなたとミヒャエルが結ばれるのも良いと思っています……しかし、そうですね、あなたの心と世間がそれを許さない……。ああ、魔女、だなんて、ルーナ、ひどい呪いを娘にかけたものです」

 王妃の独り言は部屋の中へと消えていった。


 アウロラはまっすぐ花園へと向かい、植物を摘んだ。そして茅屋に戻り、薬を煎じる。

「……はあ」

 王に薬を届ける時に、ブルーノ隊長とのお見合いの顛末を報告しなければならない。それが憂鬱だった。

 いくらミヒャエル本人の妨害がすさまじかったとはいえ、せっかくのチャンスをふいにしてしまった。王に申し訳なかった。

 落ち込むアウロラの頭の上に、チェロが飛び乗り、彼女の足にリーノがすり寄ってきた。

「……ありがとうチェロ、リーノ」

 笑顔を作るとアウロラは拳を握り締めた。

「大丈夫、私、諦めないわ。なんとしても結婚して見せます。そしてミヒャエルには私のことを諦めてもらうのです!」

 それは結婚するための理由としてはあまりに独特であったが、追い詰められたアウロラはそのようなことには気付かずに薬を煎じ続けた。

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