第4話 ブルーノ隊長

 通されたのは王宮の応接室であった。

 国王と王妃の部屋ほどではないが、豪華なつくりをしている。アウロラはつい茅屋と比べてしまい、意識が遠くなるのを感じた。

 相手はすでに席に着いていた。騎士の制服を折り目正しく着込んだ男は、リンデン医師の言うとおり、確かに服の上からでも分かる筋骨隆々の大男であった。

 仮にミヒャエルが彼と戦えば、一撃で倒されてしまうだろう、アウロラはぼんやりとそう思った。

「……アウロラ・ブラウアーです」

「ブルーノ・クノープロッホだ」

 ブルーノはソファから立ち上がり、アウロラを優雅にエスコートしてソファに座らせた。見た目にそぐわない優雅さに少しアウロラは感心する。きっとたくさん練習したのだろう。緊張が感じ取れた。

 うっとりとした様子でブルーノが口を開く。

「ああ……あなただ、俺が花園で一目惚れしたのはあなたです、アウロラ」

「こ、光栄です、ブルーノ隊長」

 恐縮しながらアウロラは頭を下げる。

「今日もお美しい……その虹色の目、ああ、一目見ただけで吸い込まれそうだ……」

「あ、ありがとうございます」

 思っていた以上のべた褒めにアウロラの表情筋は柔らかな笑顔を保つのに精一杯であった。こうも見た目を手放しに褒められることはまずない。うれしさよりもこそばゆさの方が先立つ。

「あ、あのブルーノ隊長、わたくし、魔女なのですが……」

「陛下から聞き及んでいる。しかし魔女だからなんだというのか!」

 ブルーノは拳を握り締め、力説した。

「たとえ魔女であろうとあなたの美しさは輝きは本物だ。俺は迷信など気にしない。俺と結婚してくれ、アウロラ」

「う、うう……」

 直截的でいきなりな求婚。なんとなくミヒャエルのことを思い出してしまう。これは苦手なタイプだ。アウロラは察した。

 しかし、別にこれはアウロラが幸せになるためのお見合いではないのだ。ミヒャエルにアウロラのことを諦めてもらうためのお見合いだ。だから、アウロラの気持ちなんて関係ない。アウロラが誰かと結婚してミヒャエルにアウロラを諦めてもらう。それがいちばんの目的なのだ。

 だからアウロラは感情を無視して、返事をした。

「わ、分かりました……よろしくお願いします……」

 アウロラはうつむき加減にそう言った。

「やったあ!」

 そう言うとブルーノはアウロラを抱き上げた。

「わあ!?」

 肩に載せられた。高い。怖い。天井からぶら下がるシャンデリアが近い。

「あ、あのブルーノ隊長……」

 怯えながら、相手の名を呼ぶ。

「ああ、肩書きなんて要らないよアウロラ」

 ブルーノはアウロラの言葉にこもった怯えにも気付かずに上機嫌にそう続ける。

「俺たちは夫婦になるのだ。ブルーノと呼んでくれ」

「は、はい、ブルーノさん……」

 これからこの人と結婚するのか。愛し合い睦み合い家族になる。その想像がアウロラにはどうしてもできなかった。

「アウロラ……その可愛い顔を近付けて俺に愛の口づけをくれないか……?」

「く、口づけ……」

 アウロラは顔を真っ赤にした。

 誰かとキスをしたのは母が死んで以来になる。そして男の人にキスをするなんて初めてだ。しかしアウロラはこの人と結婚するのだ。口付けも、それ以上も、捧げなくてはいけないのだ。彼女はブルーノの反対側の肩に手を置いて、身をかがめた。ブルーノの武骨な顔にゆっくりとアウロラは顔を近付けて……。

「待てぇい!」

「おおう!?」

 突然の声にブルーノが体を跳ねさせ驚く。アウロラは取り落とされそうになるのを必死にこらえた。

 大声とともに応接室のドアを威勢良く開いたのはミヒャエルだった。後ろに汗をダラダラとかいた侍従が控えている。

「で、殿下……」

 アウロラからは困った声が漏れた。

「これはこれはミヒャエル殿下、このような下々の者の逢瀬に何のご用で?」

 ブルーノは本当に分からないという顔をしていた。どうやらミヒャエルがアウロラに求愛しているという噂はこのブルーノ隊長には届いていないらしい。それがミヒャエルの求愛が知られていないのか、ブルーノが情報に疎いせいなのか、アウロラには分からなかった。

「お、お、お、逢瀬だと……!」

 ミヒャエルは怒りに体を震わせた。

「……アウロラ! やはり君には好きな人がいたのか!」

「い、いえ、ブルーノと私は今日が初対面です」

「なんだと! 初対面でいきなりキスを交わすというのか! ふ、ふしだらだ……! 俺だってアウロラにキスしてもらったことないのに!」

「しませんよ! 恐れ多い!」

「ブルーノ隊長、そこを変われ! アウロラの唇はこの俺のものだ!」

「えーっと……」

 ブルーノは困ったようにアウロラを見上げた。

「アウロラ、君とミヒャエル殿下は……その、恋仲なのかな?」

「誤解です。そのような事実はありません! み、ミヒャエル殿下、私はこのブルーノ隊長と結婚します。もう決めました。ですから、わたくしのことはもう諦めてください……」

「嫌だ!」

「殿下!」

 ミヒャエルのすげない却下にアウロラは困り果てて叫ぶ。ミヒャエルのために別に好きでもない男との結婚まで決意したというのに、そのミヒャエルが全力で阻止しに来ようとは。そもそもどこからこのことを嗅ぎつけたのだろうか?

「君がブルーノ隊長と結婚するというのなら王子特権でブルーノ隊長をクビにする!」

「殿下、それはいくらなんでも横暴が過ぎます!」

 アウロラはミヒャエルを諫めた。

「クビにされても構いません!」

 ブルーノは堂々と言い放った。

「ブルーノ!?」

「愛するアウロラと結婚できるのなら隊長の任を解かれて田舎に帰るのも俺は厭いません!」

「くそっ……純愛がまぶしい……!」

 ミヒャエルは一瞬怯んだ。

「あ、あの、ブルーノ、それは困ります……」

 しかし、これにはアウロラがブルーノに反論をした。

「私の仕事は陛下に薬を煎じること、国のあれこれについて魔女の技を用いて助言をすることです。ブルーノが田舎に引っ込むとしても、私は王都を離れるわけには……」

「遠距離結婚……それもまた愛の与える試練だ。俺は受け入れよう」

「ブルーノ……!」

 さすがにアウロラは感極まった。この人はそこまで自分を愛してくれているのだ。正直言って今の段階ではあまり好きにはなれない男だったけれど、そこまで言ってくれるというのなら、幸せになれるのかも知れない。

「そ、そんなに、そんなにそいつと……」

 ミヒャエルはアウロラの輝いた顔に大いにショックを受けた。

「お、俺は認めない。認めないぞ! こうなったら決闘だ! アウロラを賭けて決闘しろ! ブルーノ隊長!」

「ミヒャエル!」

 アウロラはぴしゃりとミヒャエルを怒鳴りつけた。

「いい加減にして!」

「あ、アウロラ……」

 迷子の子供のような頼りない顔でミヒャエルはアウロラを見上げた。

 王子を見下ろすなんて無礼だ。それに気付いてアウロラはブルーノにいったん床へ下ろしてもらう。

「決闘なんて出来るわけ無いでしょう! 騎士団の隊長が王子に剣を振るえるわけない!」

「アウロラ……俺は本当に君を愛しているんだ……」

「それは分かるわ……分かるけど、王子と魔女が結ばれるわけないじゃない……私は異邦の女。卑小な女。人ですらない……」

「君はこの国生まれこの国育ちの俺の幼馴染みだ!」

 ミヒャエルはアウロラの言葉を遮って叫んだ。

「異邦の血を引いているのが何だ。身分がどうした。魔女だからって君は俺と何が変わると言うんだ!」

「……ミヒャエル」

「そんな言葉で自分を貶めるのはやめてくれ」

 ミヒャエルの顔は真剣だった。

「……ありがとう、ミヒャエル。でも、あなたと結婚するのは無理よ」

「でも、君、ブルーノ隊長のことが好きなわけじゃないだろう!」

「えっ」

 ブルーノが困惑の声を上げる。

「幼い頃から一緒だったんだぜ、そんくらい分かるさ。君の好みはどっちかというとインテリ系の文官長みたいなのがタイプ……」

「ちょ、や、やめなさい、やめてください」

 アウロラは頬を染める。

「知ってるんだからな! 君の初恋の人は……」

「黙って、ミヒャエル、黙ってちょうだい」

「本当なのか、アウロラ」

 可哀想なブルーノがすがりつくようにアウロラに訊ねた。

「うっ……」

 ブルーノの真っ直ぐな目にすがられると、アウロラは嘘がつけなかった。

「……ごめんなさい、正直、ブルーノ、あなたのこと、私まだ好きではないわ。でも、これから好きになれるように努力をするつもりよ……だから……」

「文官長みたいな……あんな小枝みたいな軟弱野郎が好きなのかアウロラは……」

「い、いえ! 別に文官長のことはどうとも思っていません! 誤解です!」

「……分かったよ、アウロラ、諦める。君が文官長を愛しているというのなら、俺はその恋を応援するまでだ……」

「ブルーノ! 人の話を聞いてください!」

 ミヒャエルもブルーノも人の話をまったく聞いてくれないところがよく似ている。

 そう思いながらアウロラは慌てる。せっかく国王夫妻が直々に用意してくれた縁談が訳の分からない方向に転がってしまいそうになっている。これはいけない。せっかくミヒャエルをまっとうな道に戻すために結婚する覚悟を決めたというのに。

「幸せになってくれ……アウロラ。あ、そういうわけで殿下、私は騎士団の隊長続投と言うことで」

「さては、クビにするという脅しが今になって利いてきましたね!」

 アウロラは思わず怒鳴った。

「うん……いや、やっぱ冷静になると隊長をクビにされるのはちょっと……」

「それなら大丈夫ですわ! この縁談は国王陛下肝いりですもの、王子がどうダダをこねようと、クビにはされません」

「でも、自分まだ二十五で騎士としての先は長いですし……国王陛下はご病気で先が見えないというし……そうしたらミヒャエル殿下が王になるし……」

「くっ……」

 王の体調の悪さはアウロラがよく知っている。言い返せなかった。

「あはは、己の立場を理解したようだな! ブルーノ!」

「なんてことを言うのミヒャエル!」

 アウロラは頭を抱えた。これではまるでミヒャエルが悪役である。

「身の程を知って引き下がるが良い!」

「今回は引き下がりましょう! だが、忘れないでください、ミヒャエル殿下! アウロラを愛した男がここにいたことを……そして、アウロラが愛しているのはあなたではないということを!」

「ぐあっ! 胸に突き刺さる!」

 ミヒャエルは胸を押さえた。自業自得であった。

「では失礼する。アウロラ、この出会いに感謝する……どうかお幸せに」

 言うだけ言ってブルーノは応接室を出て行った。まるで嵐のごとく去って行った。

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