第21話 月下

 それは奇妙な光景であった。

 この国の次代の王がきらびやかな衣装でダンスホールの中央で踊っている。そこまではいい。しかしそのパートナーがとてもではないが、浮いていた。黒いマント、黒いローブ、黒いスカート。胸元に光る宝石だけが赤い。銀の髪を揺らめかし、虹色の瞳に灯りを反射させ、魔女は踊っていた。


 魔女と王子が踊っている。


 それは魔女にとって初めての踊り。あまりにぎこちなく、何度も魔女は王子の足を踏んづけた。しかし王子は心から幸せそうな笑顔でそれを受け入れ続けていた。

 次第に周囲を取り巻いていた人々も踊りだす。そう、今日は舞踏会なのだ。

 レオナルトはクラウディアに手を差し出した。クラウディアは涙をぬぐい、苦笑いをしてから、その手を取った。

 国王と王妃も緩やかにその場で体を揺らすだけのダンスを踊った。

 国王と王妃の近くでロルフは実の妹の姿をずっと見つめていた。

 ブルーノ隊長とその部下たちは壁のあちこちに散らばっていたが、その顔はやはり穏やかに王子と魔女を見守っていた。

 魔女は王子に申し訳なさそうに囁いた。

「……殿下、私、そろそろ疲れてしまいました」

「うん、じゃあ、休もう」

 王子はすぐに魔女の言葉を受け入れた。

 その頃には舞踏会は人々があちらこちらに入り交じっていた。主役の王子が抜けても問題はないだろう。

 二人はダンスホールを抜け、バルコニーで夜風に当たった。

「……今夜は思いがけないことばかり起きたわ……殿下、ご存知でした?」

「いや、さすがにドレッセル家が君を養子にしてくれるとは思っていなかった。うん、王が惚れた女性を高位の貴族の養子にするのは前例があるのは知っていたけれど、そんな裏技を使わなくとも俺は君と結婚するつもりだったから……ああ、前例があるってことはレオナルトの入れ知恵だな、これは」

「ああ、そうでしょうね」

 レオナルトは図書館の主だ。もちろん、その前例とやらも書類の中から見つけていたのだろう。

「レオナルトがクラウディアのことを愛しているのは知っていたし、クラウディアが俺と結婚しなくてはと思っているのも知っていた……まあ、クラウディアにはお前のその思いには応えられないと何度も言ってはいたし、レオナルトも俺がクラウディアと結婚するつもりがないのは知っていたんだけどな」

「そう、ですか……」

 アウロラは複雑な顔で俯いた。魔女のくせに自分には知らないことがたくさんあった。

 対するミヒャエルは空を見上げた。夜空には月が輝いていた。

「……あの日も綺麗な月夜でしたね」

 アウロラはリンデンが父だと知った日を思い出して呟いた。自分の無知を強く感じたあの日。

「ああ、まさか、これまでにお見合いをした方達のうち二人もお兄様になるだなんて」

「義兄が多くて俺も嬉しいよ。ほら、俺は弟しかいないからね。二人とも頼れる義兄だ」

「私なんて一人っ子でしたもの。それにこの二年は家族もいなくなって……ああ、それなのに、ここ数ヶ月で色んな事がありましたね……」

 アウロラは夜空を見上げた。

「……ねえ、ミヒャエル、レオナルト様はクラウディア様とうまくいくかしら?」

「どうだろうねえ」

 ミヒャエルはずいぶんとどうでもよさそうだった。アウロラは少し薄情だと感じた。

「クラウディアは強い女だからなあ」

「そう、なのですね……」

 廊下ですれ違った時のことを思い出してアウロラは静かにうなずいた。

「失恋の痛みにつけ込まれるような女じゃない……まあ、今後のことは彼ら次第だろう」

「……ええ」

「なあ、アウロラ。諸々の事柄は結婚してからと言うことになるだろうけど……その、君、ここで俺が君に口づけをしたら……怒るかな?」

 ここまで遠慮しながら提案してくるミヒャエルは珍しい。いつもはあんなに強引だというのに。アウロラはミヒャエルの顔を見上げた。

 照れたような困ったような迷うようなそんなミヒャエルの顔を見上げながら、アウロラは背伸びをした。

「あ、アウロラ!」

 ミヒャエルの戸惑いの声を聞きながら、アウロラはその唇に口づけた。

「うふふ」

 アウロラは笑った。心臓の高鳴りは思いのほかうるさかったが、いつも振り回されていたミヒャエルに一杯食わせてやった気持ちから、喜びが強かった。

「怒りませんよ、殿下」

「……ああ、初めて君を魔女だと呼ぶ人たちの気持ちが分かった気がするよ」

「私はあなたを惑わす魔女?」

「……いいや、惑わされるものか。俺はちゃんと君を見よう。アウロラ・ブラウアー」

 ミヒャエルはまっすぐアウロラを見つめた。その手はアウロラの頬に添えられ、もう片方の手はアウロラの腰を強く抱いた。

「……愛しているよ、アウロラ。結婚しよう。王太子妃……いずれ王妃、その地位はとても大変だと思う。君に無理を強いると思う。しかし、二人で乗り越えたい。これまで王家を王宮付魔女として支えてきたように、俺個人を支えてくれないか? アウロラ」

「……はい、ミヒャエル殿下。私、あなたと結婚します。……怖いけど、きっとまだまだ魔女であり続けることへの世間の目は厳しいけれど、私、あなたとなら、いちばん、私がそうありたい私でいられると思います……今までもそうだった。今まであなたがそういさせてくれた。それにようやく気付けました」

 アウロラはその手をミヒャエルの背中に回した。

 二人は近付いていく。月に照らされたその影は重なった。

 先ほどアウロラが不意打ちでした軽いキスとはまた違う、重く深いキスを二人はした。

 ダンスホールからは音楽が鳴り響いている。それは婚礼を祝う音楽だとミヒャエルは知っていた。アウロラは知らなかった。以前、ヨハンが奏でてくれたのとはまた別の音楽だった。これから知っていくことになる。アウロラは魔女のままでは持ち得ない知識を知っていく。そしてミヒャエル達が持ち得ない知識を与えていく。

 ある意味で魔女はここに消えるのかも知れない。魔女という役職は消え、歴史の一つになっていくのかも知れない。

 それでも、魔女は魔女として王子に嫁ぐことを決め、王子は魔女を魔女のまま娶ることを決めた。二人は長い間、抱き合っていた。

 月だけがそれを見ていた。

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