第20話 魔女問答
王宮の入り口を抜けホールに出れば、そこにはすでに人がいた。
彼らはミヒャエルを見て恭しく礼をし、アウロラを見て驚愕に顔をしかめる。
その視線の中をくぐり抜け、アウロラとミヒャエルは扉の前にたどりつく。この扉の向こうにはダンスホールへと続く階段がある。
「ミヒャエル王太子殿下のご登場です!」
侍従が声を張り上げて扉を開いた。ダンスホールの中からワッと歓声があがる。
ミヒャエルは堂々とダンスホールに足を踏み入れた。
人々は王子を見上げ、その堂々たるさまに感嘆のため息を漏らし、そしてその横の黒衣の女に顔をしかめた。ご令嬢方からは悲鳴のような声まで上がる。ダンスホールには魔女への畏れが渦巻いている。アウロラはその中へと落ちていくような錯覚を覚えた。
「何だあの女は」
「殿下の隣になんと不吉な」
「あれは魔女ではあるまいか」
囁き声が広がっていく。
「魔女が魔女風情が殿下の隣に」
「なんと恐ろしい」
「分をわきまえぬ女め……」
ミヒャエルはダンスホールを見渡して、声を上げた。
「ごきげんよう諸君。今日は私の誕生日を祝うために集まってくれてありがとう。紹介しよう、我が婚約者アウロラ・ブラウアー嬢だ」
囁きが一瞬止まり、さらなるざわめきとなって広がっていく。
「殿下は血迷われたか!」
「魔女なんぞを王太子妃に迎えるとは……」
「ラディウス王家は終わりだ!」
予想された通りの反応にアウロラはミヒャエルの顔を見上げる。
そこにはいつもより険しく厳しい顔をしたミヒャエルがいた。
「アウロラがいなければ、彼女の薬がなければ我が父はとっくに死んでいる!」
ざわめきが、大きくなる。
ラディウス国王の病状は広く知られているところではあった。その治療に魔女が協力していることも、噂にはなっていた。しかし、こうして明言されるのは初めてのことであった。
「……本当に魔女の力なのか?」
「むしろ陛下に毒を盛っているのでは?」
「婚約者である殿下が王になった方が何かと都合が良いのでは?」
「第二十二代国王陛下の御代のようなことが再び起こるのでは……」
第二十二代国王。この国から魔女を追い出した張本人である。
「第三十代国王となる者として王位に誓って断言する! 魔女が災いを呼ぶなど迷信だ!」
ミヒャエルの声がダンスホールに響く。しかしそれは空虚に反響していく。
アウロラは唇を噛み締めた。逃げ出しそうになる体を必死に押さえ、ミヒャエルが繋いでくれている手に力を込めた。ミヒャエルはそれに応えて強く握り返してくれる。
「彼女はただ生きているだけだ。陛下の良き相談役となっているし、よく勉強している! 魔女とは知恵のある者を畏れてそう呼んだだけにすぎない! 彼女のことを知れば、彼女が恐ろしい存在でないことはすぐに分かる! だから、今日この場に呼んだ! 未来の王妃を皆に紹介し、皆に魔女というものを知ってもらうためだ!」
ミヒャエルの力強い宣言に参席者たちは困ったように顔を見合わせた。
「それではお聞かせ願いましょうか」
参席者の一人、宰相、ユリウス・ベンダーが一歩を踏み出した。その顔は苦虫をかみつぶしたような渋面であった。
「魔女殿、魔女はカードで占いをすると言うが、それはいかなる知恵によるものなのか?」
「…………」
アウロラはしばらく沈黙していたが、しぶしぶ口を開いた。
「……カードに、意味などありません」
人々の間にざわめきが広がる。
「そこに意味を見いだすのは自分自身です。自分の中のひらめきを、カードという無作為なものを見て、確立させているだけです……」
アウロラは先日のことを思い出す。オスヴァルトと出会う結果になった外に出ろというカードの結果。
「……たとえば先日、私はカードから外に出よというメッセージを受け取りました。しかし、この外というのがなんのか、カードは示しません。私は街に出ることだと解釈しましたが、それはフライパンにガタが来ていて買い換えたかったからです。もしかしたら私の住み処だけの話かも知れない。心の話なのかも知れない。それを決めるのは私自身なのです、宰相閣下」
アウロラの説明にユリウス宰相は頷き、言葉を続けた。
「ですが、あなたの部屋には怪しげな仮面があると聞く。それこそ、魔女が悪魔と契約した証拠、顔を現世に対し、隠す必要があるからだと聞くが?」
「仮面は油を煮立てたときに、顔に跳ねるのを守るためのものです」
「……陛下の薬にも、魔術と呼べるものは入っていないと?」
「はい。私の知恵を受け継ぐものがいれば、同じ薬は作れます。必要とあればいくらでもお教えします」
「……小動物との意思疎通は?」
「ある程度年齢を重ねた動物は子供くらいの知能は持ちます」
「……つまり? お前は普通の人間のくせに、そのように不吉な黒衣を纏って人心を惑わせ、脅しているというのか?」
「……これを着ろと命じたのはかつての……第十代国王陛下です」
魔女はかつてラディウス王国で一定の地位を持っていた。その中で制定された制服がこの黒衣だった。
「大昔に、魔女の地位を確立させ、その知恵を尊重し、彼女が必要なものが手に入るように融通するための手形のようなものです。そもそも黒衣が不吉と言われたのも第二十二代国王陛下が魔女を追い出してからです」
「その第二十二代国王陛下の御代の魔女がいるではないか!」
苦々しい罵声がどこからか飛んだ。
「そうだ! 魔女は国家を掌握しようと目論んだ!」
「それこそ魔女が不吉と言われるゆえんだ!」
他ならぬユリウス宰相がヒステリックな叫び声に不快そうに顔をしかめた。王子の面前でなければ、有象無象達に黙っていろと一喝していたかもしれない。
ユリウスは信仰深く迷信を嫌う。魔女に浴びせかけられる迷信もまた、彼の嫌うところであった。
「かつて不正を起こした宰相はいる!」
ユリウスの代わりにミヒャエルが罵声をかき消すように反論した。
「しかしユリウス宰相はそうではない! 魔女が一回国を掌握しようとしたという理由で魔女を弾圧するなら、ユリウスだって不正を問われる!」
しんと沈黙がダンスホールを支配した。
ユリウスは王子に対しても民衆に対しても苦笑をして、話を本題に戻した。
「それでは身分は? 異邦の女が、貴族という身分も持たぬあなたが、王太子と結婚する? そのようなことが、許されるとでも?」
アウロラはとうとう返事ができなくなった。それは自分自身でも言い続けたことだった。アウロラの力ではどうにも出来ないことだった。
ミヒャエルのアウロラの手を握る手に力が入る。
どう答えたものか。若い二人が沈黙していると、第三者の声がダンスホールに降り注いだ。
「それについては余から申そう」
苦しげな声が、ダンスホールに重苦しく響いた。誰もがそちらを振り返った。
主役のミヒャエルに遠慮したのだろうきらびやかとはほど遠い、しかし、しっかりとした正装の国王がそこにいた。
隣には王妃が寄り添い、反対側にはロルフ医師が寄り添っている。
「……今日をもって、アウロラをドレッセル家の養子とする!」
驚きのざわめきがダンスホールにこだまする。
「えっ!」
寝耳に水であったアウロラも小さく驚く。
ドレッセル家は文官長レオナルトの実家だ。公爵家である。その家の娘なら、王の正妃になってもおかしくはない家柄ではある。
思わずダンスホールを見渡す。壁により掛かっているレオナルトを発見した。小さく微笑んでアウロラとミヒャエルを見上げている。
その横に美しい令嬢がいた。燃えるような赤い髪が印象的だ。いつだったか、王宮の廊下で出会った令嬢だとアウロラは気付いた。ドレスの着こなしからして良家の子女であることは間違いなかった。
「……レオナルトの隣にいるのが宰相の娘のクラウディアだ」
ミヒャエルが小さく囁いた。
あの人がクラウディアだったのか、アウロラは彼女の態度に得心がいった。
宰相ユリウスが自分の娘をミヒャエルに嫁がせようとしていることは、政治には疎いアウロラですら知っているほど有名なことであった。
かつて、お見合いの時にレオナルトの言っていたことが甦る。彼には思い人がいて、その思い人は片思いをしているから、レオナルトの恋もその人の恋も叶わない。
なるほどレオナルトはクラウディアに恋をし、クラウディアはミヒャエルと結婚したいと願い、ミヒャエルは他ならぬアウロラに求婚していた。だから、レオナルトの恋もレオナルトの思い人の恋も叶わない、そう思っていたのだろう。
しかしまさかアウロラ自身がレオナルトの恋の当事者だったとは。
クラウディアの瞳には涙がにじんでいたが、その表情はずいぶんと晴れやかであった。
「おめでとうございます! 殿下!」
クラウディアが澄んだ声を張り上げた。
宰相ユリウスが驚愕の顔で娘を振り返る。
「おめでとう! アウロラ! いいや、我が新しい妹よ!」
レオナルトもクラウディアに同調し祝福の声を投げかける。
「お兄様……レオナルト様が……お兄様……?」
アウロラは困惑したまま呟いた。
「ありがとう! クラウディア!
ミヒャエルが晴れ晴れとした顔で二人に声をかける。
ダンスホールの空気が変わっていく。国王まで出てきて、アウロラとミヒャエルの婚姻を認めている。
そしてそれを祝福する宰相の娘と文官長。
祝福と憎悪、どちらが場にふさわしいのか、人々は空気を読み出す。
どこからともなく拍手が漏れ聞こえてきた。
「よし、踊ろうか、アウロラ」
そう言って、ミヒャエルがアウロラの手を取り、階段を降り始めた。
主役が到着したダンスホールはまるで打ち合わせでもしたように自然とスペースが作られていく。
ミヒャエルの侍従が宮廷楽士団に合図を送る。音楽が鳴り響き始めた。ヨハンは第一バイオリンの位置でにこにことアウロラたちを見守っていた。
「さあ、もっとどうか近くに」
ミヒャエルが恭しく一礼する。アウロラは恐る恐る一歩を踏み出した。
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