第19話 前兆

 しばらくはいつも通りの日々が続いた。その合間にアウロラはミヒャエルからダンスを習った。

 普段から着慣れている黒衣でのダンスは存外にやりやすかった。コルセットでぎゅうぎゅうのドレスで踊るよりは楽だろうとアウロラは思った。


 そんな日々の中、一度、王妃にお茶に呼ばれた。

 二人きりで向き合う王妃の姿がやけに細く小さいことにアウロラは気付いた。

 いつの間にか、自分が大きくなっていたのだ、それにようやく気付いた。

 穏やかな日常の会話を交わしてから、アウロラはずっと気になっていたことを王妃に尋ねた。

「……王妃殿下、母が生きていたら、わたくしの婚姻についてどう思っていたと思われますか?」

「ルーナが? ……そうね、多分ルーナはミヒャエルとの婚姻には反対しただろうし、そんなルーナを私がたしなめたと思います」

 王妃は懐かしそうな顔をしながらそう言った。

「ルーナは……ええ、あなたを大事に思っていたし、可愛く思っていた……だからこそ、王族の妃だなんて重苦しい役目、絶対に反対したでしょうね」

「……重苦しいですか? 王妃という立場は」

 王妃は色々な表情がない交ぜになった顔で微笑んだ。

「ええ、とてもとても。陛下がお優しい方で、ミヒャエルたちが可愛い息子でなければ、とっくに郷里に帰っていたくらい」

「……そうでしたか」

「でもね、だけどね、あなたに同じ重圧を与えたくはないの。ないから、あなたがミヒャエルと結婚するなら、あなたの支えになりたいと心から思っているわ。ルーナに頼まれたもの。あなたのことを見守って欲しいと……そしてそれは私だけじゃない……」

 王妃は辛そうな顔になり、そして表情を改めた。まっすぐアウロラを見つめた。その目には魔女に怯える人たちとは違い、慈しみだけが浮かんでいて、アウロラはホッと落ち着く。

「リンデンのこと、許せとは言いません。怒り、恨み、なじるのはあなたの権利です。だけど……あなたのことをあの男も見守ってきました。私も、リンデンも、あなたの幸せを祈っている。もちろん死んでしまったルーナも。……だから、あなたにとって幸せと言える決断を、どうかしてね、アウロラ」

「……はい、あの、王妃さま、舞踏会、いつもドレスを用意してくれているのに、着なくてごめんなさい」

「ああ、そんなこと、一切気にしないでよろしい」

 王妃は微笑んだ。

「……あなたの決断通りだわ、アウロラ、あなたには一番似合う服がある。それを、選ぶことは困難でも間違いではありません。私は全面的に応援します」

「ありがとうございます」

 アウロラは頭を下げた。

 お茶会は静かに終わった。アウロラは王妃の部屋を辞した。


 その夜、いつものようにアウロラは国王の部屋を訪ねた。

「……陛下、殿下と舞踏会に出ることになりました」

「うん、聞いているよ……楽しめるような場になればいいが……王宮の舞踏会なんぞ、政治が渦巻く場所だ。嫌気が差したらミヒャエルに一言囁いて、さっさと退室してしまいなさい」

 国王の目には心配の色が宿っていた。

 自分はあまりにも人に恵まれている。アウロラは今更のように気付いた。

「……ご病気の陛下に私事でご心労おかけすること、まことに申し訳なく思います」

「ああ、なんだ、そんなこと」

 国王は穏やかに微笑んだ。その笑顔はミヒャエルによく似ていた。

 この人とミヒャエルは父と息子なのだと、強く感じた。

 当たり前のことを、今更のように強く感じる。不思議な感覚だった。近頃はそういうことが多くなっていた。

「ミヒャエルの未来は国の未来。ミヒャエルが選ぶのがお前だというのなら、お前の未来もまた国の未来。余が憂い、考え、尽くさねばならぬ未来だとも」

「未来……」

 アウロラには見えなかった。未来を見通すはずの魔女の目には、何も映ってはいなかった。

 王はロルフの手を借りて、ベッドに横たわった。その姿は日に日に痩せ細っていた。

 二年も保たないかも知れない。アウロラはそう直感した。


 そしてとうとう舞踏会の日が訪れた。

 王の薬は昨日のうちにロルフに託してある。

 黒いマントとスカートとフード。さすがに今夜に限ってはフードは被らない。胸元には赤い宝石。母の形見の宝石。

 アウロラの茅屋には手鏡しかない。それを覗き込む。いつものアウロラがいる。銀色の髪に虹色の目。どこか自信を無くしている不安げな女。それがアウロラだった。

 チェロとリーノが不思議そうに普段なら薬草を摘みに行く夕方のうちから魔女の黒衣に着替えるアウロラに近付いてくる。

「大丈夫。行ってくるわ」

 アウロラが茅屋の戸を開け放てば、そこには正装をしたミヒャエルが待っていた。今日ばかりは侍従の他にブルーノ達、騎士もついてきていた。

 あまりにも豪華なミヒャエルの白を基調とした服装にアウロラは思わず俯いた。

「おや、どうしたアウロラ。俺のまばゆさに目が潰れたかな?」

「そんなところですわ」

 アウロラは苦笑して見せた。

「じゃあ参ろうか」

 ミヒャエルが手を伸ばす。アウロラはおとなしくミヒャエルにエスコートされる。

 王宮の中、歩き慣れた道をこうしておごそかに歩くのはとても奇妙な心地がした。

「……舞踏会にはどのような方々が?」

「王都に住む貴族連中はあらかた集まっている。お前が知っているやつだとレオナルトだな。それと宰相の娘のクラウディアはお前と同い年だ。友達になれるかもしれない」

「友達……」

 アウロラが友と呼べるのはミヒャエルとせいぜいロルフくらいなものである。レオナルトとも信頼関係はあるが、何分、友と呼べるほどの接触がない。

「俺は最近、ブルーノと友達になりつつあるぞ。週に二回のペースでチェスをやるんだ。お互いへたくそだから楽しい」

 ブルーノ隊長、アウロラに一目惚れし、ミヒャエルの脅しに屈した男。彼は気付けば、ミヒャエルとずいぶん仲良くなっていたらしい。振り返ってブルーノに目をやれば、深々と頭を下げられた。すでにブルーノのアウロラへの態度は未来の王太子妃へ対する礼儀を尽くしたものであった。

 王宮の玄関に近付くにつれ、アウロラの体はこわばりだした。

 息を小さく吐く。ミヒャエルが振り返る。

「……やめるかい? 今なら、引き返せる」

 ミヒャエルの表情は柔らかかった。アウロラが何を言っても許してくれるだろう。そういう顔をしていた。

「……行きます」

 アウロラはミヒャエルの目を真っ直ぐ見つめた。緑色と虹色の瞳が交わった。

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