第18話 断絶の後に

 王宮にたどり着く、言葉少なにミヒャエルと別れ、王妃の部屋に着替えのために向かう。

 急いで普段着のドレスに着替える。

 花園に行って薬のための植物を摘んでこなければいけない。いつものように。

「……アウロラ、何か悲しいことがあったのね」

 急いで退室しようとしたアウロラを、王妃は呼び止めた。

「……演劇は楽しくなかった?」

 王妃の顔はアウロラへの気遣いに満ちていた。

「とても美しくて素晴らしくて胸を打ちました……打ち過ぎたのです、王妃殿下」

 アウロラは素直にそう答えた。王妃は何もかもを悟ったように、悲しげに笑った。

「アウロラ、あなたは……あなたの幸せはどこにあるのでしょうね」

「……少なくともあそこにはなかったのです」

「そう、残念ね」

 王妃の寂しげな顔を見ると、アウロラの胸も痛んだ。王妃はいつもアウロラを思ってくれている。それなのに、アウロラは王妃の思いに応えることができない。ミヒャエルに対しても、同じだ。

「……花園へ、行って参ります」

「ええ、いつもあの人のためにありがとう」

 王妃は一瞬だけ、ただの妻の顔になった。王を愛するただの女性。

「また今度ね、アウロラ」

「……はい、また今度」


 普段着に戻れば、アウロラはいつも通りの仕事をこなす。花園を回り、薬を作り、黒衣に身をまとう。

 王宮の入り口の兵士がチラリとアウロラの姿を確認する。その目はいつも通り、魔女を恐れ、魔女に怯え、魔女を厭い、魔女を穿つ目だ。この目が本物の目だ。アウロラに向けられるべき目だ。

 ミヒャエルはこの世界には毒がないと言った。それはこの目を知らないからだ。

 アウロラはいつだって人の怯えという毒に浸されているのだ。

 それをアウロラはミヒャエルには言えない。言いたくなかった。ミヒャエルには知らないでいて欲しかった。

 辛い思いも、厳しい視線も、彼の周りには穏やかな幸せだけで溢れていてほしかった。

 アウロラにとってミヒャエルはそういう光の中にいるべき存在だった。


「……『妖精の女王』はつまらなかったの?」

 いつもの仕事をこなし、王の私室を退室すると、ロルフが気遣うように尋ねてきた。

「……すごく、すごく胸を打ったの。だから、悲しいの」

「そうか……君は昔も泣いていたね」

 昔のことをよく覚えているものだ。アウロラは感心した。

「……でも、アウロラ、あれはおとぎ話だよ」

「それを言ったら魔女はおとぎ話の住人だわ」

 ロルフが読み聞かせてくれた物語の中には、魔女も出てきた。

 登場人物を助ける善人のときもあれば、陥れる悪人のときもあった。それは王様も一緒で、優しい王様もいれば悪い王様もいた。だから、その頃はあまり気にならなかった。

「そう、だから、王様だっておとぎ話の住人なんだよ、アウロラ」

 ロルフは優しく微笑んで、彼に与えられている部屋へと引っ込んでいった。

 アウロラは物思いにふけりながら、茅屋への帰り道を歩んだ。


「やあ、アウロラ」

 数日後、いつものように茅屋を訪ねてきたミヒャエルにアウロラは曖昧な微笑みを返した。

 こうしてきちんと顔をつきあわせるのは演劇の日以来だった。相変わらずミヒャエルの後ろにはすっかり諦めた顔の侍従がいる。

 最近はお見合いの話もとんとなくなった。

 オスヴァルトの一件以来、王はアウロラを強引に結婚させるのに懲りてしまったようだ。王は王でアウロラの幸せを願ってのことだったので、あれには少ししょんぼりしていた。

「……アウロラ、来月に俺の誕生日があるのだが」

「はい、存じ上げています」

 ミヒャエルの誕生日はそれは盛大なお祝いがある。アウロラは毎年、そのお祝いの残飯をもらっていた。それはとても美味しい。しかしアウロラはその残飯を決してミヒャエルには見せたくなかった。彼がきらびやかな場所にいる横で、アウロラがどんなものを食べているのか、知られたくはなかった。

 アウロラはミヒャエルに何かプレゼントを贈ろうと思ったこともあったが、アウロラからミヒャエルに与えられるものなど、何もなかった。アウロラにとってミヒャエルの誕生日は彼が一回り大きくなる祝福するべき日であった。それだけであった。

「舞踏会に出てくれないか? 俺のパートナーとして」

「……殿下、それは……それはそんなことは……私には荷が重すぎます……」

 十九歳になる男の舞踏会のパートナー。それはほとんど婚約発表と同義であった。アウロラの顔は曇った。

「荷が重いなんて、そんなことがあるものか。むしろ君以外の誰にこの俺の相手が務まるだろうか?」

 ミヒャエルは堂々とそう言った。

「考えてもみてくれ、アウロラ、俺みたいな勝手なやつの相手を出来るような令嬢がいるだろうか? そんな肝の据わった女、この国広しといえど、君だけだよ」

「……買いかぶりすぎです。殿下は本当はやろうと思えば、しっかり出来る方です」

 アウロラは冗談ぽく笑うミヒャエルに真面目に返した。アウロラは言葉を続ける。ミヒャエルは珍しく大人しく聞いてくれる。それに安心する。言葉を続けることをためらわなくて済む。

「ミヒャエルは……殿下はそうやって、勝手なように振る舞っているだけです」

 アウロラとミヒャエルはその視線を真っ直ぐぶつけ合った。

 アウロラの瞳は陰り、ミヒャエルの瞳は強く真っ直ぐだった。

「あなたは本当は思慮深く、優しく、賢く、お強い方です……そうでなくては、困るのです」

「それなら、君を娶るのに不足のない男と言うことだな!」

 ミヒャエルはあくまで嬉しそうに笑った。

 アウロラはすっかり困ってしまって、曖昧に微笑んだ。

 ミヒャエルはどんどんと話を進める。

「その日は父とロルフに頼んで薬は前日に二瓶用意しておけば良いということにしてもらった。頼むアウロラ、俺のパートナーになってくれ」

 断る道がない。王宮付魔女にとって王族の命令は絶対であり、もはや王からは王子からの求婚を拒めとも言われなくなりつつあった。だからアウロラは悟った。逃げられない。

 ミヒャエルのいるきらびやかな場所、その隣に自分が立つ。それはアウロラにとって苦痛だった。

「……でも、あの、私、ダンスなんて出来ませんわ」

「教えるよ、毎日でも」

「……正しい礼儀作法だって知りません」

 いつかにすれ違った令嬢のことを想い出す。自分のような礼儀知らずが隣にいることは、魔女であるということを一旦、脇に置いたとしても、ミヒャエルにとって結局恥になりはしないだろうか。

「そんなこと、俺が気にしない。頼む、一緒に踊ってくれ」

「……はい」

 アウロラは観念した。

「……あの、ひとつ、ひとつだけわがままを言ってもよろしいでしょうか?」

「ああ、いいとも、何でも聞こう」

 ミヒャエルは笑った。アウロラは自分が言わんとしていることに震えながら、口を開いた。

「ぶ、舞踏会に、魔女の黒衣で参加してもよろしいでしょうか」

 ミヒャエルは目を丸くした。

 アウロラはミヒャエルの反応に俯いた。

 よりにもよって魔女の正装、ラディウス王国では不吉とされる黒衣を王子の誕生を祝う舞踏会に着ていくなど、あまりに無礼な申し出だった。

「……なんだ、そんなことか」

 ミヒャエルの優しい声に、アウロラは思わず顔を上げる。

 ミヒャエルは笑っていた。

「もちろん、いいとも、君の好きなかっこうをすると良いさ。君が一番美しい、君らしいかっこう。ああ、いいとも、もちろんだとも。俺は魔女と結婚しようと願っているのだ。その黒衣こそがふさわしいに決まっているとも」

 ミヒャエルはうなずいた。

「……ミヒャエル」

 アウロラは気持ちを言葉に出来なかった。ただ彼の名前を呼んだ。

 ミヒャエルは軽快に言葉を続ける。

「母上は歯噛みするだろうが……何せ、君のドレスを選ぶのにとても楽しそうにしていらっしゃるから……いいとも、もちろんだとも、黒衣を見に纏ったとびきり美しい君を、貴族連中に見せつけてやろうじゃないか」

「よ、よろしいのですか?」

「俺が君の申し出を拒んだことがあったか?」

「……話を聞いてもらえないことは多々あったように感じます……」

 アウロラは色々と思い出す。

「そうかな? そうだったかもな。でも、君がしたくないことならともかく、したいことなら全力で応援するとも!」

「……私が仮に他の方と結婚したいと申し出ても?」

「でも、いないんだろう、そんな相手」

 ミヒャエルは余裕のある表情でそう言った。その顔は本当に穏やかで、いつもの周りを見ない興奮がどこかへ消え失せていた。どこか大人びたミヒャエルに、アウロラは困惑する。

「……ええ、まあ、いません」

「じゃあ、問題ないな」

 ミヒャエルは快活に笑った。

 アウロラは苦笑いを返した。

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