第17話 幕間そして
幕が開く、劇場の中に灯りが戻る。しばらくの間、休憩に入る。
「ふう……」
アウロラはなんとなくため息をついた。彼女の顔を見つめながら、ミヒャエルが口を開いた。
「……なあアウロラ、君が妖精の女王だったらどうした?」
「え……?」
アウロラは突然の質問に戸惑いながらも想像する。
自分が妖精の女王だったら。
自分とは違う、しかし言葉の通じる生き物がたとえば茅屋の前に倒れていたら? 茅屋の中に入れたら、災いが降りかかるとしたら?
「……助ける、と思います。介抱に手を尽くします。でも、その後すぐに陛下にお伺いを立てに行きます」
ミヒャエルは顔をほころばせた。納得と迷いの入り交じった不思議な笑みだった。
「ああ……そうだよな、君はそうだとも。でも、女王にはそんな相手がいないんだよ。だって一番偉いのは自分なのだから。誰かにお伺いなんて立てられない……彼女は自分で決断をしなければいけない」
女王のその立場はアウロラには想像できない。一番偉いのが自分で、お伺いを立てる相手がいないなんて。何もかもが許されているなんて、そのようなことは想像できなかった。
しかし、それはいずれ来るミヒャエルの姿だ。国王となるミヒャエルは一番偉くなる。その時、指示を仰げる人間はいなくなる。だからこそミヒャエルはこの質問をしたのだろう。
「そう、ですね……」
アウロラは返事を濁した。ミヒャエルの苦悩に寄り添えない自分に気付いて、アウロラはなんだか悲しかった。ミヒャエルがアウロラの困惑に頭をかく。
「すまない、変なことを聞いたな、ほら、第二幕だ」
幕が、上がっていく。
『ああ、私はすっかり生き返りました』
人間の騎士の傷は癒えつつあった。それに伴い騎士は人間の国が恋しくなっていく。
『……故郷は燃え尽きたでしょうが、家族が気になります』
騎士は人間の国への未練を隠せなくなっていく。それを見守る女王は気が気ではない。女王は騎士を世話している間に、騎士への思いを募らせるようになっていたのだ。
『……私が見て参ります。今のあなたを人間の国に戻すのはまだ心配ですから』
女王はそう言って、人間の国へこっそりと向かう。
そして、騎士の家族が何とか生き延び、苦しい生活を強いられていることを知ってしまう。
しかし、女王は騎士にそのことを教えれば彼が帰ってしまうと思い悩み、家族は見つけられなかった、と嘘をつく。
気付けば、それを見ているアウロラの目からは涙がしたたり落ちていた。何か、胸を締め付けるものがあった。
『苦しい……苦しい……!』
『女王よ、それはお前の罪だ』
女王は一人苦しんでいる。暗闇の中から声がするが、その声の主の姿は見えない。この声が誰のものなのか、誰にも分からない。絵本にも書いていなかった。
『禁を破って人間の国に行ったね? だから、君の体を人間の国の毒がむしばんでいるのだ』
『苦しい……苦しい……!』
女王の叫び声が舞台に
暗転、場面が変わる。騎士が一人、木の洞の中で眠っている。
一人の妖精が彼に近付いていく。女王のかっこうよりも薄着で地味な服装をしている。いたずら妖精だ。いたずら妖精が騎士のそばに窓枠を置き、開け放つ。騎士は物音で目を覚まし、窓の向こうを見る。
窓の向こうは人間の国の景色が広がっていた。それも騎士の家族の暮らす場所だった。
『父上! 母上! 姉上!』
騎士は叫ぶが、人間の国からは騎士の姿は見えない。
明くる朝、諦めかけていた家族の生存を知った騎士は人間の国に戻ろうとするが、女王はそれにすがりつく。
『行かないで……行かないで……』
すすり泣く女王の声で第二幕が終わる。
アウロラはぐったりとソファに体を預けた。彼女はこの後の物語を知っていた。
女王は騎士に黄金の果実を食べさせる。それは妖精の食べ物で、騎士は妖精へと変異していく。しかし、騎士は無理矢理に窓を突破し、人間の国へと戻る。
妖精にとって人間の国の空気は毒だ。女王が苦しんだように、騎士も苦しむが、人間の国で家族と暮らし続ける。
「…………」
アウロラは沈んだ顔で舞台を見つめていた。ミヒャエルはそんな彼女を見つめながら、何も言わないでいた。
最後の幕が、上がる。
『お戻りください。お戻りください。このままではあなたは死んでしまいます』
女王は泣きながら騎士にすがりつく。場所は人間の国、騎士の家族が逃げ住む廃屋。女王はボロボロだ。見る影もない。それでも騎士のために彼女はまた人間の国にやって来た。
同じくやつれきった騎士は首を横に振る。
『私は家族を支えなければいけない。それが国を守れなかった私に残された守るべきものだ。残されたのが短い時間であろうと、家族とともに生きる。あなたには感謝している女王。あなたに死んで欲しくはない。だから、どうか、お戻りなさい、妖精の国へ』
『……嫌です。嫌です。あなたが死ぬのは嫌です。いつぞや尋ねてくれましたね。私の名前を教えます。だから、どうか、一緒に戻りましょう……私の名前はテルース』
『……テルース』
騎士はしばらく時間を置いてテルースを見つめていた。そして彼は言葉を続けた。
『テルース、妖精の国へお戻りなさい、ひとりで』
『騎士様!』
テルースの悲鳴のような声がこだまする。
妖精の名前はみだりに明かしてはいけない。その名前は力を持つ。
名前を持って妖精の国へ戻れと言われたテルースはそれに逆らえない。
テルースの体が舞台から落ちていく。妖精の国へと帰ってしまう。
騎士はぐったりとベッドに倒れ込む。
『ああ、最後にあなたに会えてよかった……』
騎士は満足そうにそう言って事切れた。
場面が変わり、妖精の国、騎士がいた木の洞の手前、テルースはすすり泣いている。
ずっとずっとすすり泣いている。
いたずら妖精をはじめとする妖精達が舞台に現れテルースの周りで舞い踊る。
悲壮感漂う音楽に乗せて踊り終えた彼らが舞台から
音はもう何もしない。そして静かに幕が下り、劇場に灯りが戻っていく。
大きな拍手と歓声が、劇場中に鳴り響いた。
舞台に役者達が戻ってくる。期待に満ちた顔でミヒャエルとアウロラの方を見上げる。
ミヒャエルは立ち上がってひときわ大きな拍手をした。
アウロラは四隅の擦り切れたハンカチで目をぬぐった。
しばらく歓声は鳴り止まなかった。
帰りの馬車の中、アウロラはぼんやりとしていた。
「……ミヒャエル、私、私はテルースではなく騎士なのね」
「どうした、急に」
「このドレスが黄金の果実なのね。これが私を魔女ではなく、人間の令嬢に仕立て上げるのだわ」
「……アウロラ?」
ミヒャエルは困った顔でアウロラを見つめた。
「昔にこの本をロルフに読み聞かせてもらったとき、私、とっても悲しかった。その理由が今なら分かる。昔はテルースに感情移入をしていると思っていた。でも、違うの。私、人間の国でも妖精の国でも生きられなくなった騎士のことを考えていたの」
「君は……君は人間だよ、アウロラ」
「それでも私の生き様は魔女なのよ」
アウロラは俯いた。そんな彼女にミヒャエルは声をかけ続けた。
「……それでもいいさ。この世界には彼らの世界と違って、毒なんてないんだ。苦しみにむしばまれることも、無理矢理に引き裂かれることもないんだ。だから……だから、どうか、一緒に生きてくれよ、アウロラ」
「……私、分からない。出来る気がしないの、しないのよ、ミヒャエル……」
アウロラがそう答えると、馬車の中を沈黙が支配した。
二人は無言で馬車に揺られ続けた。
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