第16話 『妖精の女王』

 お見合いも外出も、それどころかミヒャエルの襲撃もない、穏やかな日々を数日過ごし、いつの間にかミヒャエルと約束したデートの日がやってきた。

「行ってくるね、チェロ、リーノ」

 アウロラはいつも通りまずは王宮の王妃の部屋に向かった。

 今日の王妃はとても上機嫌だった。可愛らしく鼻歌を歌っている。

「今日はこの青いドレスにしようと思います」

 王妃が示したのは前回に用意されていた淡い青色のドレスだった。

 侍女達に着せられる。今日はちゃんと朝食を少なめにしてきたので、コルセットで締め付けられてもなんとかなった。袖が相変わらず飾りが派手派手しく、これではとても植物を摘むことはできないだろうとアウロラはぼんやり思った。

 王妃はニコニコとアウロラの姿を眺めた。

「ああ、よく似合いますね、アウロラ。どうぞ楽しんでいらしてね」

「……格別の厚遇誠にありがとうございます、王妃殿下」

「いいのですよ、そんなこと! ああ、あなたとミヒャエルの未来に幸多からんことを……!」

 王妃は満面の笑顔でアウロラを見送った。


 ミヒャエルは王妃の部屋までアウロラを迎えに来ていた。いつもよりレースの多い正装をしている。普段はレースなどかゆくなるから嫌いだと、むしり取らんばかりの勢いだというのに、今日ばかりはきちんとした服装をしていた。そして後ろにはおなじみの侍従が控えている。

「……お待たせ、ミヒャエル」

「今来たところだ。そのドレスとても似合っているよ、アウロラ」

 ミヒャエルはうっとりと微笑んだ。

 アウロラは思わず彼から目をそらす。褒められて顔が赤らんでいくのが分かった。

「さあ、行こう」

 ミヒャエルの差し出した手を、アウロラは絹の手袋でおずおずと取った。


 王宮を出ると馬車に乗せられた。王太子専用の馬車、先日の博物館の帰りに乗ったものと同じだ。

 誰の視線に晒されることもなく王宮の敷地の外に出るのは思えばアウロラには初めてのことであった。

 馬車の周りにはこれでもかと言わんばかりの衛兵がいて、その中にアウロラはブルーノ隊長を見つけた。どうやらミヒャエルとブルーノ隊長は奇妙な信頼関係を築きつつあるらしかった。

「ふう……」

「……もう疲れてしまった?」

 ため息をついたアウロラを気遣わしげにミヒャエルが見る。

「だ、大丈夫です」

 そう返しつつも、着慣れない豪華なドレスには少し戸惑いがあった。

「ならいいけれど、もし疲れてどうしようもないって時はきちんと言うんだよ、引き帰らせるからね。いくらデートができても、君が元気がないんじゃ意味ないもの」

「心配してくれてありがとう、ミヒャエル」

 アウロラは柔らかく微笑んだ。

 馬車は道を進む。滑らかに。ゆっくりと。アウロラはその揺れに身を任せていた。


 演劇場は聞いていたとおり、博物館から見てちょうど反対側にあった。

「大きい……」

 王宮ほどの大きさはないが、歴史を感じさせる木製の建物。馬車が入り口につき、その戸が外から開かれる。

 ミヒャエルは先に馬車から出て、アウロラに手を伸ばした。

 アウロラはミヒャエルの手を取りながら、恐る恐る外に出た。

 周りは衛兵が守っていて、その向こうに貴族がたくさんいた。

 王子の姿を目に留めて、そしてアウロラにも視線を寄越す。

 その視線にアウロラの体は一気にこわばる。

「…………」

 貴族達の目は探るような目だった。あの令嬢は誰だ? 見ない顔だ。そういう目がアウロラに突き刺さる。しかし、その目は普段『魔女』アウロラに向けられているものとはまったく違った。

「…………」

 アウロラは今、魔女の黒衣ではない。だから魔女だとはバレない。虹色の瞳を見られれば魔女であることはバレる。しかし、遠巻きにされている故目の色は彼らには分からない。アウロラが魔女であることは、誰にも分からない。

「……アウロラ、顔が青い。大丈夫か?」

「平気です。平気……ただ……。いいえ、平気です」

 ああ、こんなにも違う。服が違うだけで、アウロラはまるで魔女ではないかのようだ。

 それの方が怖い。自分が魔女でなくなることは、怖い。

「……私は、魔女、魔女だわ」

 隣のミヒャエルにも聞こえない声で、アウロラは小さく呟いた。

 アウロラは騎士の中にブルーノ隊長を見つけた。目が合うと、ブルーノ隊長は恭しく頭を下げてくれた。

「……行こうか」

 ミヒャエルは微笑むとアウロラを演劇場の中へと導いた。


 広く開けたロビーに支配人が待っていた。

 衛兵はさすがに全員が演劇場の中まで多くはついてこない。ブルーノと二人の騎士、それにおなじみの侍従がついてきている。

「ようこそ、殿下、アウロラ様」

 支配人はそう言って二人に頭を下げた。『アウロラ様』。そのような呼び方はされたことがない。アウロラは曖昧な微笑みを支配人に向けた。

「本日の演目は『妖精の女王』でございます。これは何度も公演してる我が劇場でもおなじみの演目を今代最高の演出家の手で再構築した劇となっており……」

 支配人の流れるような解説を聞きながら、王族専用のバルコニーに通される。劇を真正面から見られる一段せり出したバルコニー。赤い布がかかっていて左右からの視線を遮ることが出来る。舞台にだけ集中できるようになっているのだ。

 下を覗けば、客が続々と入ってくるところだった。チラチラと見上げてくる観客にミヒャエルは慣れた様子で手を振った。この人は、王子なのだ。当たり前のことをアウロラは改めて突きつけられる。

 支配人が深々と礼をした。

「それでは開幕まで時間がございます。ごゆるりとお過ごしくださいませ。何かありましたら申しつけください」

 お茶とお菓子がワゴンで運ばれてくる。侍従が毒味をする。こくりと頷いて、ミヒャエルに目配せした。

「よし。それじゃあいただこうか、アウロラ」

「……はい」

 美味しいお茶、座り心地の良いソファ、そういうものに囲まれているというのに、アウロラは逆にどんどんと居心地が悪くなる。これは本来、魔女が享受して良い物ではないはずだ。

 ミヒャエルがこれらをたしなむのは当然だ。彼は王太子なのだ。数年もしたらこの国の王となる男なのだ。誰よりも偉くなり、誰よりも賢く、誰よりも強くならねばならない男なのだ。

 それに比べてアウロラは、ただの魔女だ。王宮で草花を摘み、薬を煎じ、未来を見、小動物と戯れ、知恵を授ける。それだけが役目の女が何故こんなところにいるのだろう。

 アウロラの気持ちはあの狭い茅屋に向かっていた。チェロとリーノが恋しかった。

 アウロラの表情の変化にミヒャエルは気付いていた。段々と暗くなっていくアウロラに、ミヒャエルは声をかけた。

「……強引に連れ出してしまい、すまない。他の所にするべきだったかな? 最初は君のテリトリーの花園からにでもするべきだったかもしれない」

 ミヒャエルの声は珍しく元気がなかった。

「いいえ、気にしないで……」

 そう答えたアウロラだったが、やはりその顔色は優れない。

 ミヒャエルはアウロラの顔をじっと見た。

「……アウロラ、俺は……」

 ミヒャエルが何かを言いかけると同時に、ブザーが鳴り響いた。公演開始の合図であった。劇場が暗闇に包まれていく。

「……始まるわ、静かにしましょう」

 舞台の幕が、上がる。


『妖精の女王』はミヒャエルが言ったとおり、妖精の女王と人間の騎士による悲恋の物語だ。

 ラディウス国に伝わるおとぎ話の一つで、アウロラも昔、ロルフに読み聞かせてもらったことがあった。ミヒャエルもその時、隣にいた気がする。

 女王役の女優が一人、舞台に現れる。彼女は豪華なドレスを纏っていた。新雪を思わせる白いドレスにはガラスの飾りだろうか? きらびやかな光が躍っている。足は裸足だ。

『ああ、妖精の国に人間が潜り込んでいる』

 怒りをはらんでいるのに、澄んでいて良く通る声が劇場に響く。美しい声にアウロラは気分が悪いのも忘れてうっとりとした。

 女王の前には騎士が倒れている。ブルーノたちが着ている騎士の制服に酷似しているが、かなり派手な装飾がされていて実用性に欠けている。

『おそろしい、おそろしい、人間なんて、私達を殺す生き物ではないか……お前、どうしてこんなところにいる』

『ああ、俺は夢でも見ているのか』

 騎士が体を起こしながら、女王を見つめる。

『なんて美しい人だろう。こんな美しい人見たことがない。ああ、美しい人よ、あなたの名前を教えてください』

『名前だと!』

 女王は悲鳴のような声を上げる。妖精の名前は妖精を縛り付けるもの。妖精は名前をみだりに口にはしない。そういうことを奇麗な声で説明していく。悲鳴のような声もよく通って聞きやすい。

 説明台詞が続くのでアウロラはチラリとミヒャエルを見た。そうすると目が合った。慌てて舞台に視線を戻すが、アウロラはもう気付いてしまった。ミヒャエルは舞台ではなくアウロラを見ている。その事実にどうしても緊張してしまう。

 うっとりと女優を眺めるアウロラを見てミヒャエルはどう思ったのだろうか?

『人間がどうして我が国にいるのだ。く人間の国に帰るがよい!』

『俺は戦争に負けたのです。帰る国はもうないのです……』

 騎士と女王の会話は続いていた。戦争のイメージ、火の粉に扮した赤い衣装の人々の中で、騎士は戦争の悲惨さを嘆く。同時に悲壮な音楽が鳴り響く。舞台の下に演奏隊がいるのだと、昔ミヒャエルが教えてくれたことがある。音楽について、ヨハンにも話を聞いておけばよかったかもしれないとふとアウロラは思った。

『ああ、妖精の女王よ、私にどうか情けをかけて、この妖精の国に置いてはくださらぬか?』

 騎士の台詞の直後、今度は木々に扮した人々が舞台を駆け回る。

『女王よ、いけない。そやつを連れてきてはいけないよ。妖精の国に人間なんて決して入れてはいけないのだから! それは災いを呼ぶのだから!』

 女王はその言葉に頷く。しかし、騎士にも行き場はない。結局女王は騎士を木のうろに連れて行く。そして女王はそこに通い、騎士に食事を運ぶようになる――。

 ここで一幕は終わりだ。

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