第15話 約束

 ミヒャエルに抱えられ、博物館の外に出ると雨が降っていた。

 ミヒャエルは自分が乗ってきた馬車にアウロラを乗せた。アウロラは王族の豪奢な馬車の中、こんなところに自分が座るなんてと居心地の悪い思いをしながら、時折恐怖を想い出しては落ちる涙をぬぐった。

 町の景色が馬車の窓の向こうへ過ぎ去っていく。

 目で見てはいるのに、何も頭に入ってこない。ただ過ぎ去る景色をアウロラは見ていた。

 やがて王宮に着いた。

 ミヒャエルはアウロラを黙って自室へ連れて行った。

 アウロラをソファに腰掛けさせると、侍従達にお茶を用意させた。

「……おいしい」

 温かいお茶にアウロラはホッと一息ついた。ミヒャエルは穏やかに笑った。

「うん、母上のオススメのお茶なんだ。落ち着くだろう」

「はい……すみません、殿下、みっともないところを見せて」

「構うもんか。君はか弱い女の子なんだ。あんな風になって当たり前だ! まったくろくでもない男だ! なんとかヴァルト! 俺の可愛いアウロラの目ばかりを褒めやがって! アウロラはすべてがすばらしいのだ! 目だけ取ってどうしようって言うんだ! 馬鹿め!」

「……ミヒャエル……」

 アウロラはため息混じりにたしなめた。

「ふん!」

 まだ怒りが収まらない様子でミヒャエルは鼻を鳴らした。そんなミヒャエルを見ていて、アウロラの心中にはどうしても尋ねてみたいことが湧き上がってきた。

「……ねえ、ミヒャエル、ミヒャエルは私が死んだら、私の体をどうする?」

 アウロラの突然の質問に、ミヒャエルは少し困惑し、考え込んだ。

「……君の信仰はルーナさんと一緒で良いのかい?」

 母の名前に母を思い出す。静かに死んでいった母の姿。

「……そうね。魔女は死後にはその肉体を地の下に還すことこそが本懐。魔女の体は地に還り、そして他の生命へと循環していく。母の命も、今、循環しているの。それが私の……信仰、なのかしら」

「なら、そうするさ。ルーナさんのお墓の隣に君を弔おう」

 ルーナの墓は王宮の隣、神殿の裏側の墓地にある。王都の民たちもまたそこに葬られる。魔女を古からの信仰の場に葬ることには、多くの反発があった。しかし、国王と王妃が押し通してくれて、母はそこに眠っていられる。

「……ありがとうございます、殿下」

「なに、礼なんて言われることじゃないさ。仮定の話だ。愛しい人の望みを叶える。それに何の遠慮がいるだろうか?」

「……ねえ、ミヒャエル、あなたは私のどこがそんなに好きなの?」

 ミヒャエルは頬を緩ませ微笑んだ。

「すべてを愛している……なんて言葉じゃ、君は納得しないだろうし、重臣達を納得もさせられないだろうね。そうだね、君のどこが好きなのか……うん。まず、君は優しい。いつも俺のことを思ってくれている。今回だって俺のために……俺を『まっとう』な道へ行かせるために、結婚相手を探していたんだろう? そこが好きだ。君は強い。どれだけ人々から冷たい目で見られても、魔女としての職務を見失わない。そこが好きだ。君は誇り高い。異邦の女と己をさげすむけれど、自分自身を下に置くけれど、君は決して魔女であることを厭わない。そこが好きだ。君は可愛い。いつでも君は美しくて……」

「も、もういいです!」

 アウロラは止めどなく並べ立てられる賛辞に頬を赤らめ、視線をそらした。

「あれ、いいの」

「いいです……。恥ずかしい……」

「そういうところが本当にかわいらしい!」

「もうやめて!」

 アウロラの顔は真っ赤だった。ミヒャエルは大口を開けて笑った。

 笑ってから、真剣な顔をして、アウロラに向かい合った。

「……アウロラ、デートをしよう」

「な、なんです。藪から棒に」

「前になんか言われた気がするから、今度は順序を踏むことにしたんだ。そうだな、演劇場に行ってみないかい? 今の演目は妖精の女王と人間の騎士の報われない恋だそうだ! 俺たちにピッタリじゃないか?」

 ミヒャエルの熱弁にアウロラは困った顔をする。

「……報われない恋なのに、ピッタリだと思うの? あなた」

「もちろん、それを覆すのが騎士ではなく王である俺だ!」

「……ブルーノ隊長とのこと根に持っています?」

「ブルーノ隊長との遺恨は今日のあの学芸員捕縛の功績で消え失せたさ! 本当だよ!」

 にこにこと笑うその顔に、嘘偽りはなさそうであった。

「……分かりました。しましょう、デート……今日のお礼もしなければなりませんし」

「やったあ! でもお礼とかそういうことは考えないでくれるともっと嬉しいな!」

「でも、とりあえず、今日の所は失礼します。陛下のお薬の準備をしなくては」

「分かった……なあ、アウロラ、実際のところ、父上の具合はどうなんだ?」

「…………」

 アウロラは答えに迷った。侍従に目を向ける。

「……お茶のお代わりを用意して参ります」

 侍従がそう言って部屋から立ち去る。

「うん、出来たやつだよ、あいつは……」

 ミヒャエルは嬉しそうにうなずいた。

「……もって二年、です」

 アウロラの告げた数字はアウロラが王に乞われてした占いと、リンデンの見解の一致したところであった。

「そうか。長いのやら短いのやら……」

 ミヒャエルはしみじみと呟いた。彼のこれほどまでに落ち着いた姿はとても珍しかった。

「……人はいずれ死ぬ。しかし、それまでに父上を安心させたいものだ……というわけで結婚してくれ、アウロラ」

 ミヒャエルは流れるように求婚の言葉を口にした。

「お断りします」

 きっぱりとそう言ってアウロラはミヒャエルの私室を退室した。


 茅屋へと戻るため、王宮の廊下を歩いていると、アウロラは正面から令嬢が侍女を伴って歩いてくるのを見かけた。燃えるような赤い髪が印象的で年齢は自分と同じくらいだろうか。

 王宮は社交場でもある。令嬢が歩いているのを見かけることはよくある。もちろんアウロラがそういう女性達と喋ることはない。しかし珍しいことにその令嬢はアウロラを見ても怯えも嫌悪も無視もしなかった。あまりにも魔女を見る目ではない。

「…………」

 令嬢はアウロラの行く道の中央で立ち止まった。左右どちらに避けることも難しい立ち位置にアウロラは戸惑う。

「ご、ごきげんよう?」

 見よう見まねでぶかっこうに礼をしてみると、令嬢はため息をついた。

「……あなたのような最低限の礼儀も知らない魔女に、殿下が心底惚れているだなんて……」

 この人は誰だろう。アウロラにミヒャエルが惚れていることは王宮に出入りするものであれば、知っていることだ。しかしそれに苦言を呈するのはアウロラという恐るべき魔女にものを申すというだけではなく、ミヒャエルという王太子への意見にもなる。そんな勇気を持つ令嬢は誰だろう。アウロラは侮辱されたことよりも、そちらの方が気になった。侮辱されることに傷付くには、アウロラはあまりに魔女という立場に慣れすぎていた。

「ああ、嘆かわしいことです。あなたが今の状態で殿下と婚姻されては、この国の威厳に関わります」

「……おっしゃるとおりです」

 アウロラはそう返した。アウロラの素直な返答に令嬢は虚を衝かれたような顔をした。

「ですから、私、殿下の求婚に答えるつもりはありませんから」

「……本当に?」

 令嬢は困ったように顔をしかめた。

「はい……」

「でも、ミヒャエル殿下はあなたのことが好きなのでしょう?」

「それは……若さゆえの気の迷いだと思います……失礼します」

 これ以上話せることなど何もない。アウロラは場から立ち去ることにした。令嬢の横を身をすくめてなんとかすり抜ける。

 少し足早にそこを立ち去る。アウロラの背を見送る令嬢クラウディア・ベンダー、宰相の愛娘は何かを言いたげに口を開きかけたが、小さく頭を横に振って、アウロラの背から目を離した。


「……陛下、申し訳ありません、本日、ミヒャエル殿下に乞われて、陛下の具合について少し話してしまいました」

 夜、王の私室、ロルフが薬を投与し終えるのを待って、アウロラは頭を下げた。

 国王の寿命についてはリンデン・ロルフ親子とアウロラ、宰相と王妃しか知らないことであった。

「……そうか、いや、構わぬ。あれも知っておくべきだろう……余が死んだ後に君臨する王なのだから……知ってなおアウロラ、君にあいつは求婚してきたか?」

「……はい」

「そうか……本気、なのだな……我が息子は……。ミヒャエルがそこまで本気だというのなら、もはや余にできることはない。そもそも今日はずいぶんと大変だったと聞く……すまないな、余が無理なことを頼んだばかりに……」

「いえ、私に見る目がなかったのです。魔女の未来を見る目が形無しですね」

「……そう落ち込むな。大丈夫。大丈夫さ」

 王の声はとても優しかった。

「……ミヒャエルとの演劇デートが楽しい物になることを祈っておる」

「……恐れ入ります」

 アウロラは頭を下げた。

 王の思いやりがありがたかったが、魔女として、王子と正式に外に出ることはアウロラの心に大きなためらいを生じさせた。

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