第14話 博物館

 翌日は空が湿り気味だった。しかし魔女のローブは分厚く、羽織ってさえいれば雨が降っても中までは濡れはしない。

 アウロラは手ぶらで外へ出た。リーノが連日の外出に抗議するように鳴く。

「ごめんごめん、リーノ。行ってくるわ……オスヴァルトさん、猫や小鳥は好きかしら? あなたたちを嫌いな相手とは結婚できないものね……」

 そう呟きながら、アウロラは王宮の門へと向かった。

 今日は門番には何も告げずとも門を通してもらえた。


 博物館は街の今まで行ったことのない方角にあった。

 大きな建物だった。王宮に負けず劣らず堅固な雰囲気がある。

 恐る恐る建物の中に入る。受付の女性たちが突然現れた魔女の姿に驚いた顔をする。

「あ、あの……オスヴァルトさんはいらっしゃいますか?」

 アウロラはおどおどと訊ねた。視線に慣れてはいても、その相手に話しかけるのにはそこまで慣れてはいない。

「お、オスヴァルト学芸員ですね、少々お待ちください」

 受付の女性が立ち上がり、駆け足で後ろのドアに入っていく。

 アウロラが受付で所在なく佇んでいる間に、博物館には小綺麗なかっこうをした人が何人も入ってきた。博物館に来るような人間は知識欲のある貴族か、研究者である。たまに貴族の親に連れられ子供も来る。

 そう言った人々が魔女の姿にぎょっとしたり、戸惑ったり、中には明らかな嫌悪を剥き出しにしたりして通り過ぎていく。

「…………」

 しかし博物館にアウロラが来ても良いとオスヴァルトは言ったし、国王の許可だって得たのだ。

 それだけを心の支えにアウロラはオスヴァルトを待った。

「お待たせしました! アウロラさん!」

 博物館の灰色の制服を着たオスヴァルトがホールに駆け込んできた。

「いや、昨日の今日で来てもらえるなんて! 僕は幸せ者だ!」

 オスヴァルトはそう言ってアウロラの手を取った。クルクルとその場で回り出した。

「あらら」

 オスヴァルトに手を引かれ、アウロラも回る。二人はまるでダンスをしているかのようだった。

「さあさ、展示を案内しますよ! 何が見たいですか? 太古の恐竜の骨? 大昔の人々の暮らし? 貨幣文化? 医療器具の歴史? 異国の宗教道具?」

「え、ええっと、オスヴァルトさんのご専門は?」

「文化人類史です」

 よく分からなかった。

「お、オスヴァルトさんがオススメのやつで……」

「じゃあ、とりあえず順番に見ていきましょうか」

 博物館の最初に飾られているのは骨だった。恐竜の骨が鎮座している。大きなそれをアウロラはぽかんと見上げた。

「大きいでしょう? これは王都から六百マイル離れた岩場から発掘されたんです! 現存する化石の中じゃいちばん大きい! 王都まで運ぶのにバラして運んだんですよ……ほら、絵が残ってる」

 骨の近くの壁には、荷馬車に骨が載せられている絵が飾られていた。

「太古の昔にはこんな生き物が……」

「そうなのです! こいつはね、こんな大きさですが歯を見ると分かるんですが草食動物なんですよ! いやあ、どれほどの草が必要になるのか、想像もつきませんね! そういえば魔女の技では骨を使うこともあるとか?」

「占いの一種ですね。骨の確保が面倒なので、あんまり私はやらないです」

「この骨で占いをしたらどうなるか……興味がありますが、もちろん、そんなことしたら僕はよくてクビ、悪くて縛り首かな!」

「ひ……」

 恐ろしい処刑の話をサラッとされて、アウロラは身をすくめた。

「おっと、失礼」

 オスヴァルトは軽快に謝罪した。

「アウロラさん、化石は何も恐竜のようにデカいのばかりでは無いんです。こちらにはマキガイの化石がありますよ。今は陸地になっているところが太古の昔には海であることを示す貴重な資料です。ほら、この地図を見てください。ここが王都で……」

 アウロラは王都の外に出たことがない。ミヒャエルはよく視察で王宮を空ける。地図を見ながらこの国の大きさに思いを馳せた。


 オスヴァルトの解説を聞きながら、博物館の中を進む。

 静謐な空気に圧倒されながら、アウロラは息を潜めた。

「見てください、こちら歴代の国王陛下の肖像画……の複製です! もしかしたら、王宮住まいのアウロラさんなら本物をご覧になったことがあるかもしれませんね?」

 確かにそれは王宮の入り口のホールにかかっているものと同じだった。

「こうして王宮には上がれないような人間達も歴代の国王陛下の姿を拝見できるわけです。これらは複製画ですが、あちらの『第十七代国王陛下の戴冠式』は本物の絵画を王宮からもらってきたのです! というのもこの博物館を建設すると決めたのが第十七代国王陛下なのです! それに敬意を払っているわけですね!」

 アウロラは自分の何倍も大きな戴冠式の絵画を見上げた。

「……あれ、魔女?」

『第十七代国王陛下の戴冠式』には多くの人が描かれていたが、王の後ろに黒衣の女が控えているのをアウロラは見つけた。

「よくお気付きで! 第十七代国王陛下の御代には魔女たちは正式に王宮にいました……しかし、第二十二代国王陛下の頃に、とある魔女が国家転覆をたくらみ、処刑されました。合わせて国中の魔女が処刑された……。そして先代の国王陛下、第二十八代国王陛下の統治時代にあなたのお母様がこの国に舞い降りました。二十二代から二十八代の間はそれは暗黒時代と呼ばれるほどの治世が続き、魔女は国に不可欠だと国王と国民に思い知らせることとなったのですね……」

 大いなる歴史。そのうねりの中に母はいた。その母の職務を引き継いだだけの自分はどうなるのだろう? アウロラはどこかめまいのするような感覚で歴史を感じていた。

「第二十二代国王の頃の魔女たちは一説によれば隣国に逃げ込んだとも言われています。アウロラさんのご先祖さまもその中にいたのかも知れませんね!」

「はあ……」

 母は隣国に住む魔女の娘であったが、ラディウス国の先代の王に乞われてこの国に来た。まだ母が十五の頃だったという。アウロラは自分より若い頃の母を思った。たった一人で見知らぬ異国に来た母はどれほど心細かっただろうか。そんな母を支えた国王や王妃、そしてリンデン医師、母にとって彼らはどんな存在だったのだろう。そして何より、自分は? アウロラは? アウロラが母にとってどのような娘だったのか、今となっては知るすべもない。

 アウロラが思考に囚われているのを知ってか知らずかオスヴァルトは次の部屋にアウロラを案内した。

「次の展示品は演劇の道具たちです!」

「演劇……」

 ミヒャエルが見に行った話を聞いたことはある。アウロラ自身は見たことがない。

「僕も演劇そのものを見たことはないんですが、ちょうど街の反対側に劇場があるんですよ。あそこもなかなか歴史があって……ああ、建物自体は新しいんです。でも、その前身が作られたのは第十二代国王陛下の頃だとか」

「そうなんですね……」

 しかしオスヴァルトは何にでも詳しい。博物館の展示には説明のパネルが掲げられているが、それを見る様子もない。どうやら記憶力が凄まじいようだ。

「ほら、これが第一回のチラシですよ。版画で量産された一色刷りです。そしてこれがその演劇の様子を描いた絵画です。この王族の天覧席にいるのが第十二代の国王陛下です」

「まあ……」

 アウロラはガラスケースの向こうにある一色刷りのチラシを覗き込む。

「演目は『神と人の別離』! この地上から神が去りし日のことを描いた叙情詩を原作にしています。その時の衣装がこちら!」

 古いドレスが飾られている。大きな襟、派手派手しい袖。顔を隠すような大きさの帽子。遠い昔に流行したものである。昔の人間はよく、これを着て演技などできたものだとアウロラは感心した。

 すりきれ、色あせているが、往時にはたいへん色鮮やかだったのだろう。胸元に輝く青色の宝石だけが当時の輝きをそこに残していた。アウロラは思わずため息をついた。

「綺麗……」

「はい、こういう美しさを保管するのが、博物館の意義なのです!」

「……すばらしいわ」

 しばらくアウロラはドレスを見上げていた。

 そんなアウロラをオスヴァルトは無言で見ていた。

「ああ、ごめんなさい。見入ってしまったわ。次に行きましょう、オスヴァルトさん」

「ええ!」

 オスヴァルトは博物館を慣れた足取りで闊歩する。

「次もスゴイですよ! これです! 異国の宗教習慣から来るミイラです!」

「みいら?」

「はい。これはね、アウロラ、異国の王様の死体なのです」

「し、死体……?」

 アウロラは少し引いた。

「異国の宗教では死後の復活をミイラに託したのです! この体に未来に復活する! そのためのミイラ!」

「へ、へえ……?」

「防腐処理を施されています。このように死体を保存する術はたくさんあります……例えばパーツだけというのも可能です」

「ぱ、パーツ」

「ええ! 例えばあなたの美しい虹色の目! ああ、これを展示できたらどれだけいいか」

「へ……?」

「その目をね、抉ってね、液につけるんです。そうしたら、博物館で一生展示できるんですよ!」

「そ、そう……なん、ですか……」

 アウロラは思わず二、三歩後ろに下がった。その背は展示のガラスにぶつかった。逃げられない。

 そんなアウロラの肩をオスヴァルトはがっしりと掴んだ。

「綺麗だなあ……本当に綺麗な目だあ……虹色の瞳……是非ほしい……ねえ、アウロラさん、くれませんか? 目」

「ひっ……」

 周囲を見渡す。誰も居ない。人の気配もない。

「あ、あの……えーっと、い、嫌です」

「大丈夫。あなたの目は永遠になるんです。狭苦しい肉体に押し込まれてるより……ずっと良いと思いませんか?」

 うっとりとしたオスヴァルトの目は、アウロラを見ていなかった。どこか遠くを見ていた。

「だ、誰か助け……」

「目が! 目がほしい! あなたの目が!」

 オスヴァルトはアウロラの肩を揺さぶった。

「いやあっ!」

 アウロラの悲鳴は博物館に反響する。しかし、誰も来ない。誰も居ない。ここにはアウロラとオスヴァルトのふたりだけ。

「…………」

 アウロラは唇を震わせた。どうにかしてオスヴァルトから逃げることを考えた。

「……ああっ!」

 アウロラは大声を上げて肩を揺り動かし、オスヴァルトの手を振りほどいた。

「アウロラ!」

 オスヴァルトが叫ぶ。アウロラは走る。博物館にアウロラの足音が響く。

「待ってくれアウロラ! 美しい瞳の君! 虹色のその目を! 我が手に!」

 オスヴァルトの追いかけてくる足音が聞こえる。

 アウロラは展示物を必死に避けながら、オスヴァルトは慣れた様子で追いかけ、その距離はどんどんと縮まっていく。

「はあ……はあ……!」

 アウロラは息を切らす。足がもつれる。転びそうになる。

「も、もうダメ……」

 ぐらりと体が傾く。アウロラはその場に倒れ込みそうになる。

「アウロラ!」

 その声は、前方からした。聞き覚えのある心落ち着く声だった。

「み、ミヒャエル……」

 ミヒャエル王子が、そこにいた。倒れ込むアウロラをミヒャエルは抱きしめた。

「やれー! ブルーノ!」

「はい、殿下!」

 ブルーノ隊長と数人の騎士団がミヒャエルの後ろに控えていた。

 アウロラを追いかけてきたオスヴァルトの足が騎士を目にして止まる。

「学芸員オスヴァルト! 貴殿には王宮研究所からの窃盗の容疑がかかっている!」

 ブルーノ隊長が叫んだ。

「くっ……」

 オスヴァルトは体を反転、逃げようとする。それをブルーノ達騎士は追いかけた。

「はあ……はあ……」

 アウロラはミヒャエルの腕の中で激しく息を吸った。

「アウロラ……」

 ミヒャエルは彼女の体を強く抱きしめた。

「ミヒャエル……ミヒャエル……!」

 アウロラはミヒャエルにしがみついた。

「大丈夫。もう大丈夫だよ……怖かった。怖かったろう……」

 ミヒャエルはアウロラを強く強く抱きしめた。

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