第13話 『父』と
細々とした物を買い込む。重くなるフライパンは最後にした。そうして、荷物を抱えて、王宮へ帰ろうとしたアウロラはある家の前を通った。看板が掛かっている『リンデン診療所』。
「あっ……」
リンデン医師は息子のロルフと自宅で市井の人たちのための診療所を開いているのだ。
あれほど長い付き合いなのに、リンデン医師の自宅に来るのは初めてだった。思わずその前で足を止めていると、玄関が開き、アウロラは体をこわばらせた。
母子だろうか腰の曲がった老女が中年の女に付き添われ出てきた。そして彼女らを見送るために、扉のすぐ側にはリンデンが立っていた。
「……アウロラ!」
リンデンは目を開いた。老女と中年女性は魔女を見て顔色を変え、さっと視線をそらし、去って行った。リンデンは彼女らを見送ってからアウロラに声をかけた。
「……君さえよかったら、上がってくれ、アウロラ」
「は、はい……」
アウロラは迷いながら、リンデンの家に入った。
「……よろしいのでしょうか」
所在なくリンデンの家を見渡す。思えば『普通の家』というものにアウロラは入ったことがない。茅屋か王宮、それだけが彼女の知る人が暮らしている場所だった。
「ちょうど急患以外は受け入れをやめる時間だったんだ」
「そうですか……えっと、あの、奥様は……」
リンデンの家にはリンデン以外の気配がなかった。
「……すべて話したよ。妻は実家に帰ってしまった」
「…………ごめんなさい」
アウロラの表情は暗く沈み込む。
「いや、すべては私の罪だ。君が重荷に思うことはない。ロルフも言っていただろう?」
「……はい」
それでもアウロラはうつむいた。リンデンはそんな彼女に患者用の椅子を勧めた。リンデンは目ざとくアウロラの抱える袋を見つめた。
「今日は買い物かい?」
「フライパンが壊れかけで……他にも必要なものをこまごまと……」
「そうか、重たそうだね。王宮を追放されてなければ、持っていってあげたいところだけど、昨日の今日で私が王宮に近付くのはあまりに不遜すぎるな……残念だ」
「お気になさらず」
「……大きくなった。本当に大きくなったね、アウロラ」
リンデンのは声の調子が変わった。アウロラは彼の目を見た。今までとは違う目をしている。まるで王がミヒャエルを見ているときのような、父が子供を見るときの目をしていた。
「わ、私は魔女ルーナ・ブラウアーの娘です」
アウロラは裏返りそうな声でそう言った。
「……魔女ルーナに夫はいません。私に父はいません」
「……うん、そうだね、そうだとも」
リンデンは目を伏せた。
「それでも僕は……ああ、ひどいことだけど、幸せだったんだこの十八年間。君の成長を間近で見れて」
「…………」
アウロラはリンデンの言葉にどう答えていいのか分からなかった。だから話題を変えることにした。
「……リンデン先生は博物館に行ったことはありますか?」
「うん? ああ、あるけど……行ってみたいのかい?」
魔女が王宮の外で好き勝手をしていけないことをリンデンは知っている。
アウロラが王宮の外に出るのは月に一度くらいだ。
「いえ、えーっと、博物館の方とお話ししたのです。お昼に」
「へえ……」
リンデンは物珍しそうな顔をした。
「……博物館のことなら殿下に聞くと良いよ。一度視察に行かれたことがあるはずだ。私もその時同行し、医療器具の歴史について解説したんだ。あそこは良い学芸員が揃っているから、私は不要だったけれどね……」
「……でも、私、ミヒャエルとは距離を置かなくてはいけないから……」
「そうかもね。そうでも、ミヒャエル殿下は君に何か聞かれたらきっと喜ぶよ」
アウロラは困ってしまった。困ってしまったから、違うことを聞くことにした。
「……ねえ、先生、先生は奥さんがいても好きな人が出来てしまったのですよね。それって裏を返せば好きな人がいても他の人と結婚できるということですよね?」
「…………。ああ、ミヒャエル殿下のことを言っているんだね? うん、そうだね、そうだとも、王族や貴族方は恋に従い結婚する方が、珍しいよ。陛下と王妃殿下も結婚当初はずいぶんと緊張感のある関係だったとも……君の言うとおり、好きな人と結婚出来る人間なんて、そうそういないよ」
「……でしたら、ミヒャエル殿下もいつかは私のこと、諦めてくださるかしら」
「……そう、だね。それが必要なら、いつかは……でも、どうだろう……それは、悲しいことだと思うよ、私は」
リンデンは辛そうにそう言った。
アウロラは彼に言いたいことがたくさんある気がした。しかし、どれも言葉にならなかった。
だから、アウロラは、常識的な一言だけを告げることにした。
「……奥様が留守だからって私を招くのはどうかと思いますわ、リンデン先生。噂になりましょう。魔女が医者のところを訪ねた、だなんて」
「そう、だね。うん、私は配慮が足りない……きっと妻に甘えているんだ。ずっとね」
「……さようなら、もう来ません」
アウロラはそう言って立ち上がった。
「先生、今までありがとうございました」
リンデンはとても苦しそうに笑った。
「……うん、私の方こそ、ありがとう。とても勝手なことを言おう。君が殿下と幸せになってくれたら私はとても嬉しいよ」
アウロラは無言で頭を下げた。
外に出ると、日は落ちかけていた。
「家に帰ろう」
小さく口の中で呟いて、アウロラは王宮へ足を向けた。
王宮の城門で顔をじっくりと確かめられてから、アウロラは王宮の中に戻る。
買い物を一旦、茅屋に置いて、花園へ向かう。
王のための薬の材料となる植物を採取し、茅屋で煮込む。
その間にチェロとリーノが物欲しそうにすり寄ってきた。
「はいはい。チェロは新鮮な穀物。リーノにはほらお肉を焼いてあげる。嬉しい?」
チェロとリーノが嬉しそうに鳴いた。アウロラは微笑んだ。
「こんばんは、陛下」
王の居室には今夜はロルフがいた。ロルフはアウロラに静かに微笑んだ。アウロラはロルフがいつもと同じ態度なのにホッとしながら、薬を手渡した。ロルフが王に薬を投与する。
王は薬を飲み込むとゆっくりベッドから身を起こした。
「ああ、こんばんは、アウロラ……大丈夫だったかい?」
「はい! 問題ありません!」
「あー、なんだ、アウロラ、ロルフも。その……すまなかったな」
「……いえ、お気になさらずに……」
アウロラは静かに微笑んだ。
「王妃にも叱られてしまった。ミヒャエルのことを焦るあまりに、事を急ぎすぎた……アウロラ、お前の結婚についてはゆっくり考えよう」
「ああ、でも陛下、私、今日新しい出会いがありましたの」
「お、おお、良い出会いか?」
まるで娘を心配する父のように国王は目を輝かせる。
「はい。博物館の学芸員をやってらっしゃるのだそうです……あの、それで、陛下、博物館へ行く許可をいただきたいのですが……」
「もちろん良いとも。門番には私の侍従から伝えさせておこう。今度こそ良い出会いであることを願っているよ」
「ありがとうございます、陛下」
アウロラは頭を下げた。
「失礼いたします」
「うん……余に出来ることがあれば何でも言うんだぞ、アウロラ」
「はい、ありがとうございます、陛下」
アウロラは王の居室から退室した。
それにロルフもついてきた。
「……あの、ロルフ、私、今日、街でリンデン先生に出会ってしまったの」
「そうかい」
ロルフは苦笑いをした。
「母さんが家出をしたことは聞いた?」
「はい……その、ごめんなさい」
「大丈夫。母さんの実家も医師の家系でね……。二人はそれをきっかけに出会った。その家はそう遠くもないし、心配することないよ。……昔から、喧嘩をすると母さんはすぐに家出をするんだ。昔の喧嘩はどちらが悪いってこともないことが多かったけど……今回ばかりは父が悪いな」
「……はい」
「でもね、アウロラが気にすることでは一切ないからね……父を殴りたくなったらいつでも言ってくれ。あの人の息子として……そして君と血の分けたきょうだいとして代わりに殴っておくよ」
「……ありがとう」
アウロラは小さく微笑んでロルフと別れた。
夜の道を歩み、アウロラは月を見上げた。欠け始めた月は今日もアウロラを見下ろしていた。
「……お母様の加護がありますように」
アウロラは月に願いを込めた。
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