第15話 2021年5月23日(日) 世界が変わって見えるとき

私が本格的に婚活を始めるつもりでいることを伝えると、母は目に見えて嬉しそうだった。


母はこれまで私にほとんど何も言わなかったけれども、年齢を重ねるにつれてやはり内心では気になってきたらしい。

だから、この話をした途端、知り合いの誰それは結婚相談所で知り合ったやら、アプリで知り合って結婚したといった話をとても楽しそうに話し始めた。


もちろん、喜んでくれるのであれば、それに越したことはない。

私が望んだとおりの反応だ。

問題はこれからは期待外れにさせないように、行動をしてなるべく早く結果を出していかなければならないということだ。

とりあえず6月には婚活アプリに登録等の準備をすることは伝えておいた。


そんな話を1時間程してから、私は風呂に入って床についた。

それからタブレットでネットニュースを見ていた時、ちょうど午前1時頃だろうか。

ゴホゴホという咳込みの音が耳に入ってきた。

この家には私と母しかいないので、これは間違いなく母のものだ。


私の実家の寝室としている部屋は、母の寝室としている部屋のちょうど対角線上に位置する。

しかし、日本家屋なので基本的に仕切りは障子やふすまであるため、防音性はほとんど無いに等しい。

携帯のアラームどころか振動音すら素通りするレベルだ。


婚活の話をしたことで一時、意識が緩んだが、この咳を聞いたとき母が病気であることを再認識せざるを得なかった。

もちろん、この咳だけで命がどうこうなるわけではない。

しかし、突発性間質性肺炎における命に係わる急性憎悪が患者に発生する可能性は、年10~20%。

ゲームを嗜む人間なら直感的にも理解できると思うが、当たるときは当たる数字だ。

決して楽観できるものではない。

ただ、このとき、私が心配になって母の元に行ってもできることは何もない。

どうしようもないことを心配されることを母は好まない性分なので、「大丈夫?」と声かけることさえ向こうの重荷になってしまいかねない。


だから、私はベッドの中で早く咳が収まることを祈る他なかった。


この時は幸い3分ほどで落ち着いたが、自分にとってもとても辛い3分だった。

その後、私はすぐに眠りに落ちたが朝起きると睡眠時間はそこそことれたはずなのに、疲れはイマイチ取れてない気がした。


朝食を取った後、母から午前中に買い物などで少し外出することを伝えられた。

私は実家で畑の作業をするため、家に残ることにして母が車で出かけるのを見送った。

こんなことは今までにも何度もあり、珍しいことではない。

しかし、外で母を見送った後、玄関に入り、ふと高い天井を見上げた瞬間、私の頭の中に強烈に働く意識があった。


誰もいない家。

暗い部屋。

積もる埃。


今のまま母がいなくなると、この家は間違いなくこのまま埃にまみれて朽ちていく。

一時は8人も住んでいたこの家が無人になり荒れていく。


これを明瞭にイメージしてしまうと同時に、私はとても大きな喪失感を覚えた。

働きながら私一人ではこの家を支えることはできない。

一人で住むには大き過ぎることのだ。

祖母が亡くなってから、母が何とか管理していきたが、それはいざという時のサポートとして私がいたからできたのだろう。

しかし、私には今の時点で支えはない。

だからといって母や祖母との思い出のある家を取り壊そうとは思わない。


なら朽ちていくのを防ぐためにはどうすればいいのか?

自分の支えになってくれる人と家族を作り、共にここで暮らす。

これしかないが、私以外に実現できる人間も、しようとする人間もいないだろう。


この考えに至ったとことで、私にとって実家という存在の捉え方が変わったことが自覚できた。


これまでは、私にとってこの家は、気の向いたときに帰るものだった。

しかし、これからは違う。

この古い家は、私が自分の家族と暮らしたいと強く願う場所なのだ。


だから婚活においては、このことを十分に考えて、相手に納得してもらえるように話をしなければならない。

難題である。




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