很可怜的东西 03
「やはり深層は臭いますわね。先生、しばらく近寄らないでくださいまし?」
「頼まれたって近寄らないネ」
「アンタは降ろしてもいいのよ、愚蠢」
太白と坏杯を出迎えた月嫦は、最奥のシートに深く座り、組んだ長い足を見せつけながらミニトマトをつまんでいた。
ちなみに、時季外れのミニトマトはひと粒数千円は下らない。
エアクリーナーが静かに回り、車内に入り込んだ毒霧と、二人の衣服に付いた塵を車外へ排気し始める。
「迎えとはらしくねぇな、大姐。まだ何も掴めちゃいねぇぜ?」
「大龍首のご指示ですわ。思い上がりもほどほどになさって?」
軽く牽制しあった後、太白は慣れた手つきで備え付けの冷蔵庫から紹興酒を取り出す。坏杯には缶ビールを渡してやった。
酒精を喉に流し、人心地ついたところで、本日の成果を報告する。
「翔義安……そんな弱小組織が、果物の栽培なんてできますの? 少数とは言え、流通させる程度には物量があったということでしょう?」
月嫦は手ずから美容関係の商品を開発、販売しているだけあって、流通規模については太白よりよほど具体的に把握できているようだ。
「近辺の栽培可能な農地は、すべて三大会の所有ですわ。土地もなく作物を作ることはできまして?」
「水生栽培も考えたがな。坊主」
二本目のビールを開けようとしていた坏杯に水を向けると、めんどくさそうに眉をひそめた後、スライドプルを開けひと口呑んでから、
「そんな大量に水使ったら、大赤字ヨ。作物が育つほどキレイな水、アホほど高いネ。水売った方が儲かるヨ。この国で水生栽培するの、暇人かアホだけ」
バッサリと否定した。
栽培に関しては、坏杯はこの場の誰よりも詳しい。
その彼が言うのだから、どこかの施設で秘密裏に水生栽培がされている可能性は低い。
もっと別の栽培方法なのだろう。
「現物があれば、ワタシわかるかもヨ? 土のもの、水のもの、海のもの。皆特徴あるネ」
「人参果の現物か……。今となっちゃ、そいつは翔義安にしかねぇだろうなぁ」
今日、太白と坏杯が悠游館に出向いた情報は、すでに裏社会には出回っているだろう。
裏社会とはそういう業界だ。
誰かの行動が、どこかでは損になり、どこかでは得になる。
それらを見極め、忖度し、より取得が大きくなるように振舞う。
その為には、速度こそ重要だった。
大黄瓜に嗅ぎつけられたと知った以上、翔義安が新たな販路を拓くことはしばらくないだろう。
であれば、出荷が止められた人参果は、翔義安の管理下にある。
どの程度保存できるものかはわからないが、今人参果を入手する方法は、翔義安に出向くしかなさそうだった。
「では、明日はそのちっぽけな組に行きますのね」
「おぅ。アンタも来るかい? 人参果が食えるかも知れんぜ?」
「お断りですわ! せいぜい、妾のために頑張ってくださいまし」
「ジイサン。ワタシ明日は畑出るヨ。ジイサンも診察所開けるとイイネ」
もはや取り繕うことさえしない月嫦の態度に、坏杯が嫌味で応酬する。
いつも以上に反発した空気を醸し出す両名に、太白はため息とともに肩を鳴らしたのだった。
深層街を抜けたリムジンは、空楼公路に乗り都心部へ向けて飛ばしている。
霧を抜け、高層ビルの間を縫うように渡されたハイウェイは、ある時は螺旋を描き、ある時は粘菌のように腕を伸ばして道同士を繋げている。
ビルを閉じ込めた飴細工、いや偕老同穴の網目ような迷路を、自分が乗るには場違いなほどに豪奢な空間で酒を飲みながら移動している。
「まったく、人生何が起こったって不思議はねぇなぁ」
自らの置かれた状況を、太白は楽しさ半分、面倒くささ半分の表情で噛み締めた。
やがて、瓶に詰められた紹興酒が空になる頃。
リムジンは大黄瓜本部ビルのエントランスに到着した。
どういうわけか、先に月嫦の住居から周る手はずになっていたらしい。
「妾はここで失礼を。運転手には言ってありますから、先生の診療所までお送りしますわ。アンタはどこへなりとも行きなさい」
「何でワタシだけ送ってもらえないネ? ほんと性格ブスヨ!」
「まぁ、山に戻るよりは俺んとこ泊まったほうが明日楽だろ? 今夜は抑えとけ」
最期まで坏杯を虚仮にした態度を貫いた月嫦は、ドレスのスリットから覗く完璧な脚線美を見せつけながらビルへ消えていった。
「今夜はやけに棘生えてたな。月経周期はまだのはずだが」
「ジイサン、あのアバズレの生理知ってるとか、キモイネ」
「いいか、坊主? 医者ってのは滅私の気持ちを忘れちゃならねぇんだよ。自分の精神を護るためにもな」
運転手は特に指示も待たず、下北京の旧繁華街へハンドルを切る。
数十分後、診療所に直接乗り付けることはせず、二区画手前で停止した。
近隣の住人に威圧感を与えたくない、太白の意図を汲んでのことだ。
「ありがとな。アンタも安全運転で帰れよ」
降車時、そう声をかけると、運転席との仕切り窓の向こうでひらひらと手が揺れていた。
音もなく走り去る高級車を見送り、診療所の鍵を開ける。
悠游館といい勝負ができるほどの、古い建築物だ。
さすがに木造ではないが、大昔の映画に出てきそうな診療所だった。
看板はなく、玄関の戸にただ「藥物治療」とだけ書いたプレートがかけられている。
エアクリーナーなどないので、ハンドサイズのクリーナーで簡単に衣服を払うと、太白は大きく息を吐きながら、椅子に腰かけた。
腰と足が悲鳴を上げている。
リムジンのソファが上等すぎて気づかなかったが、相当疲労が溜まっているらしい。
本当はシャワーで塵を払いたいが、その気力もなかった。
坏杯は診察用の寝台に横たわり、すでに寝る態勢だ。
「坊主、寝る前に茶淹れてくれねぇか? ほれ、前に教えた……」
「六君子と菊のお茶ネ?」
「そりゃ食べ過ぎの時だ。黄耆と人参のやつだよ」
「おお。思い出したヨ」
飛び起きた坏杯が、勝手知ったる様子で棚から乾燥した漢方を取り出しては、急須にぶち込んでいく。ポットで適当に沸かしたお湯を注いで、自分の分だけさっさと湯呑に注ぐ。
残りは太白の分なので、薬効が溶け出すまでじっくり蒸らしてから、杯に注いで口に含んだ。
坏杯を見ると、いつの間に取り出したのか自分の薬茶に乾燥した生姜や唐辛子を浮かべている。
こんな深夜に目が覚めやしないかと思ったが、以前贈答品のエナジードリンクをがぶ飲みした後に熟睡していたのを思い出し、杞憂だったと思い直した。
薬茶を飲み干すと、奥の住居にある寝室へ向かう。
既に坏杯は寝台で鼾をかいていた。
歯磨きはした方がいいんだがなと思いながら、太白も寝台に入り、一瞬で意識を手放した。
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