第43話 早川茉莉と滝藤喜太郎

 今日もお姉ちゃんに手を引かれて、図書館へ向かう。


 お母さんが行けと言うから。


 図書館はタダだよ、って。


 本当はお母さんと一緒にいたいのだけれど、お母さんは仕事で疲れ果てて寝ている。


 だから我慢する。


 ………少しさびしいけれど。


「じゃあ私、あっちの机で勉強しているから。本が決まったらすぐこっちに来るんだよ」


 図書館に着いてすぐ、お姉ちゃんが優しく言った。


 ”ちゅうかんてすと”というのがあって、その勉強をしないといけないらしい。


 私は頷き、いつもの本棚から、読めそうな本を選ぶ。


 ……………………今日はこれ。


 もう6回も読んだ本。タイトルを見ただけで、ストーリーが鮮明に浮かび上がる。


 本を読むのは


 読んでいる間は、時間がすぐに経った。


 時折寂しさがこみ上げてくるけれど、本がすぐに忘れさせてくれた。


 でも、最近は時間が経つのが遅い。


 本から目を離すことも多くなった。


 読むの、ちょっとめんどう。


 でも、読まないでぼーっとするのは嫌。


 だから読もう、と本に手を伸ばした瞬間、


「「あっ」」


 ピト、と私と隣の人の人差し指が合わさった。


 温かい指をたどっていくと、男の子と目が合った。


 多分、私と同じくらいの歳。


「あ、ごめん。いいよ」


 男の子が譲り、すぐに違う本を探し始めた。


「ねぇ、読んでいいよ。これ、6回くらい読んだから」


「えっ!? 6回も!?」


 ぎょっと驚く男の子に、私は本棚を見ながら、

 

「うん」


「ありがとう!」


 男の子は本を手に取った。


「君は、何を読むの?」


「どうしようかな」


「あ、ならこれ面白いよ」


 男の子が指差したのは、私も気に入っている本だった。


「うん」


「読んだことあるんだ。ドナウテロパワー!」


 男の子が主人公の技名を叫んだ。だが、残念なことに、


「ドナトゥロパワー、だよ」


「え、そうだっけ?」


 首を傾げるのも一瞬、言い間違いを気にすることなく話を続ける。


「うーん、じゃあ逆に読んだことのない本は?」


「ここにはない」


「え?」


 キョトンと、男の子が首を傾げる。


「全部読んだの?」


 私は頷いた。


「ここにある本は、全部読んだ」


「ホントに!?」


 頷くと、少年は目をキラキラさせた。


「すごいね」


「すごくない」


 図書館の本を全部読んだって、何も満たされない。


 本なんか読むよりも、お母さんと一緒にいたい。もっと話がしたい。


 きっと、あなたには私の気持ちなんて絶対にわからないだろう。


 だから、日々感じる虚しさを言葉に乗せて、男の子へ吐き捨てる。


「暇だから」


 私は本棚から適当に選び、男の子に背を向けた。


 この男の子の笑顔を見るのは辛い。


 さっさと離れよう。


「それ、ほんとうに読みたいの?」


 きっと楽しくなさそうな顔をしていたから、訊いてきたのだろう。


 でも私はそれを無視した。


 すると後ろから、こんな声が聞こえた。


「じゃあさ、これは?」


 男の子は、朗読ろうどくするような口調で、


「むかしむかし、あるところに、君とそっくりの女の子がいました」


 わたしは思わず足を止めて、振り向いた。


「その女の子は、ユウシャに選ばれました。オウサマに言われます。『悪さをする鬼を倒してくれ』。でも女の子は、剣を持ったことがありません」


 本を棚に戻した男の子は、身振り手振りで話し始めた。


「剣を持っても――――」


 男の子が急に無表情となり、


「『無理、持てない』。重くてすぐ手を離しちゃいます」


「私、こんな顔してない」


 講義する私を無視し、男の子は続けた。


「でもその女の子は、城の中にある本をすべて読み、もう全部! 全部の呪文を使えました」


 次第に声も大きくなり、ジェスチャーも大袈裟になる。


「ユウシャは1人で鬼ヶ島へ行き、鬼と戦いました。ファイア! ドゴォォォン! メラゾーマ! グガガガァン! バシュバシュドガーンッ! 鬼を退治した!」


「そのユウシャの名は―――――君の名前、なんだっけ?」


「………………まつり」


「そのユウシャの名前は、マツリでした。鬼を倒したマツリは、世界を救ったエーユーとなり、家族といつまでも楽しく過ごしたとさ。めでたしめでたし」


 満足そうに語りきった。あと、私の顔を覗き見る。


「どう? 面白い?」

 

 言葉が出なかった。


 今まで読んできたどんな本よりも内容が無かったけど、どんな話よりもワクワクした。


 本に書かれているように、世界だったらどれだけ楽しかったかと考えたことがあったけれど、まさか本当に登場するとは思わなかった。


 ワクワクした。


 楽しかった。


 毎日感じていた、冷たくて重いしこりが、あっという間になくなった。


「よくわかんなかったけど、面白かった」


「よっしゃあ!」


 男の子は心底嬉しそうにはしゃいだ。


 その笑顔を見て、私も嬉しくなった。


「そうだ! 俺、この辺に住んでいるからさ。また、聞かせてあげるよ!」


「ありがとう」


「うん! じゃあ、また今度!」


 男の子が本棚に置いた本を持って、去ろうとする。


「ねぇ、待って」


「ん?」


 男の子が振り返る。


「あなたの名前は?」


「キタロー! タキトーキタロー」


 キタロー、きたろー、きたろう。


 忘れないように、心の中で大切に呼ぶ。


「よろしくね、きたろう。待ってる」


「うん!」


 ※


「—――――ん」


 若干の光を感じて、目をゆっくり開けると、見慣れない天井があった。


 少し遅れて、ちゅんちゅんという音が聞こえる。


 ふと横を見ると、小幸はウサギのぬいぐるみを、喜太郎は毛布を抱いてぐっすり寝ている。


 そっか、泊まってたんだっけ。


 2人の寝顔を見て、私は頬が緩む。

 

 心が温かい。


 こんなに温かく感じたのは初めて。


「きたろう」


 初めて名前を呼んだ時のように、呟いてみる。


 心がとても温かくなった。


 あの日から、図書館に行くのが楽しみになった。


 喜太郎は真面目だから、ちゃんと3日ごとに来てくれていた。


 あの頃が人生で一番、楽しかったかもしれない。


 余韻よいんを味わっていると、梨沙子のリュックが目に入った。


 楽しそうに話している梨沙子と喜太郎の映像が、リュックの上に投影される。


 私といる時には見せない表情、言動、行動。


 一般人から見たら、カップルに見えるかもしれない。


 きゅー………。


 胸が苦しくなる。息が少しだけ乱れる。


 鏡を見なくても、表情が暗いとわかる。


 駄目だ。


 この気持ちに蓋をしちゃ、無かったことにしちゃ駄目。


 絶対に泣く。


 そんな結末は、精一杯足掻いてからだ。


 布団から出て、台所へ向かう。


 喜太郎の好きな味付けをしよう。


 今まで色んな理由をつけて、積極的に関わってこなかったが、それも今日でさよなら。


 覚悟を決めた。


 —―――私は、喜太郎と結ばれたい。


 それから小幸が帰るまでの間、私は出来る限り喜太郎と小幸のそばにいた。


 バイト終わり、スーパーに寄って、喜太郎の家で食卓を囲む。


 1Kだから広くはないけど、不便だと感じなかった。


 むしろ、距離が近くて温かみを感じる。


 そんな幸せの日々はあっという間に過ぎ――――


「ありがとな、喜太郎くん」


 茜色に染まるアパートの前、小幸の父、滝藤誠一郎さんが喜太郎と私に礼を言い、小幸の母がそれに続いた。


「いいえ。楽しかったですよ。それに、小幸とも仲良くなれたんで」


「なかよくなんかなってないですぅ~」


 つーんと顔をそむける小幸の態度に、小幸の父が笑う。


「確かに仲良くなったみたいだね。喜太郎くんのところに預けて正解だったよ」


「だから、なかよくなってないですっ!」


「こら小幸、強がるんじゃありません」


 小幸の母の滝藤律子さんが優しく叱ると、ややしゅんとした。


「さて、そろそろおいとまさせてもらうよ」

 

「はい、誠一郎さん。元気で」


「そちらこそ。今度はウチに遊びに来なさい。茉莉さんも、ぜひご一緒に」


「ぜひ、よろしくお願いします」


「茉莉ちゃん、ぜったいだよ!」


「うん」


 念押しする小幸に、私は精一杯の笑顔を浮かべて頷いた。 


「ついでに、キタローもきていいですよ」


「そりゃどうも。茉莉と仲良く来てやるよ」


「…………ほんとはイヤですけど、茉莉ちゃんにわるいムシがつかないよう、まもっておいてくださいですぅ。」


「どこでそんな言葉覚えたんだよ……」


「ツキアウまでは、ゆるしてあげますから!」


「なんでお前が許可するんだよ」


 最後にそんな嬉しい言葉を述べた小幸は、両親に手を引かれて帰っていった。


 3人の背中を見ながら、私は訊く。


「付き合うまで許してくれるって。どーする?」


「……どーもしねぇって」


 残念。


 喜太郎の中ではまだ幼馴染から抜け出せていない。


 でも、いつかは必ず喜太郎を射止めてみせる。 


「さ、部屋に戻ろうぜ。腹減ったよ」


「うん」


 先に踵を返す喜太郎の真横に並び、一緒に部屋へ戻った。

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