第33話 揉みしだく
一昨日の23時に『ヒロイン争奪戦』の続きを投稿したが、結果は振るわず、相変わらずのビリ。
『反省会だ』
菜月さんの着信を無視したら、18時半ごろにこのようなメッセージが残っていた。
今日は木曜日。茉莉は22時までバイトだ。
だから、俺を誘ったのだろう。
タダ飯を奢ってもらえる反面、深夜まで付き合わされる。
連載を打ち切られ、少しでも食費を切り詰めたい俺にとっては嬉しい提案だ。
しかし、ここのところ『ヒロイン争奪戦』関係で寝不足が続いた。
さっさと食事を済ませて寝たい。
どちらにするべきか。
迷っていると、ピロンとメッセが届いた。
『明かりがついているのは知っている』
え、こわ――――
『今、お前のアパートに足を踏み入れた』
『階段を登っている』
『逃さない』
次々と来たメッセの嵐が、急に止む。
息を呑んだ。
ピロン。
『今、扉の前にいる』
震えた手でスマホを持ちながら、ゆっくりとドアの方を見た。
数秒して、トントン、と優しくドアが叩かれる。
金縛りにあったように、動けないでいた。
カチャリ。
解錠され、ゆっくりとドアが開く。
「みーつけた」
※
ゴトンッ。
やや油ぎった黒いテーブルに、生ビールとジンジャエールのジョッキで置かれる。
「「乾杯」」
俺と菜月さんは同じペースで一気に飲み干した。
「マスター、おかわり! 2人とも!」
「あいよ!」
菜月さんの注文に、マスターが元気な声で応じた。
ふぅーと、互いにため息をついた。
白いブラウスに、ストライプが入ったグレーのパンツを着た菜月さんには、女子高生にはない魅力があった。
本当、容姿は完璧なのにな。
「菜月さん。あーゆーの、マジでやめてほしいんですけど」
「なんだよ、ただのサプライズじゃないか」
「いや、マジで怖かったんですけど」
「無視したのが悪い」
ゴトン、と同じ飲み物がテーブルに置かれた。
菜月さんはすぐにゴクゴクと飲んだ。対して俺は、ちびちび飲む。
このペース、今日は何かあったな。
最悪だ。これは長くなる。
「あんまり飲み過ぎないでくださいよ。明日もあるんですから」
「明日は有休だ」
「いや、あの、俺は学校あるんですけど」
「ジンジャエールいくら飲んだって、頭に残らないだろ」
ダメだ、話が通じる相手じゃない。
「マスター、ハイボール!」
「あいよ!」
2杯目のビールを飲み干したところで、菜月さんが真面目な顔になった。
「どうしたんだ、あの体育祭の話は?」
「どうした、とは?」
「内容だよ内容。せっかくの体育祭イベントだというのに、
「そうですかねー……」
でも、自覚するところではあった。
「今回なんか、整列させただけじゃないか」
しょうがないだろ。俺自身、ほぼ雑用で体育祭を終えたんだから。
障害物競争だって、半ばやけくそだったし。
「体育祭といえば、徒競走や綱引き、騎馬戦にリレーなど、熱いものがあるじゃないか」
「でも、そんなの書いてもウケなくないですか?」
「……確かにそうだな。整列よりはマシだが」
菜月さんは、机にハイボールが置かれると同時に、すぐに手に持って2分の1ほど飲んだ。
ペース早ぇ。
そして品がねぇ。
勘弁してくれよマジで。やばくなったら茉莉を呼んで持って帰らせよう。
「それにヒロインの好きな人相手探しもいらなかったな」
「そうでしょうか? 謎をぶち込むことで、先の展開が気になるじゃないですか」
「全然描写されてないヒロインの好きな人が謎? ないない。そもそもヒロイン自体が謎すぎて
ヒロイン自体が謎。それも仕方ない。
だって元となる現実の鹿島梨沙子が謎だらけなんだから。
「あと、単純に普通だ。毒にも薬にもならないエピソードだった。印象だけでいえば、あのメロンパンのやつの方があったな」
そこまで言う?
メロンパンパンパイナッポウとかいう、出オチ小説より、俺の方が下かよ。
納得いかないと思った俺は、
「そんなに言うんなら、菜月さんは何を書けばいいって言うんですか?」
「お色気だろ、やっぱり」
ハイボールを飲み切ったあと、菜月さんはおかわりした。
「はい?」
「エロだよエロ」
「エロ!?」
「男性の読者が求めているのはエロだよ。ヒロインの着替え覗いてしまうとか、ハプニングでヒロインの胸を揉みしだくとか」
揉みしだくって、ハプニングの域を超えているんだが。
というか、もうこれ完全に酔った勢いで言ってるよ。
最悪だ。
仕事の話しないのはいいが、菜月さんが酔っ払うとそれはそれで面倒なんだよなぁ。
すぐに昔の自慢話するし。
「いや〜、読者もそんなに甘くないと思いますよ」
「何かっこつけてるんだ。お前だってそーゆーの好きだろ」
「そりゃあ、興味はありますけど。でも、無理ですって。着替えなんて覗いたことないし、胸なんて触ったことありませんから」
「ほう」
嬉しそうに菜月さんが笑い、胸を突き出した。
「せっかくだ。触ってみるか?」
アルコールのせいか、菜月さんの頬にはほんのり赤みがかかっており、目は少しだけとろんとしていてエロい。
こ、これはー……マジで触っても問題ないやつだけどー……。
「いやいや、酔ってるからってよくないですよ」
「私は大真面目だぞ」
「ちょ、ちょっとマスター! これやばいですって!」
「ははは……………」
マスターは苦笑いして、他の客と会話を始めた。
完全に見捨てやがってマスター。
俺が有名人になってもサインやらないからな。
「ほら、こんなチャンス、何度もやってくるわけじゃないぞ」
ほれほれ、と腕や脚の細さにしては豊満な胸を揺らしてくる。
触りたい気持ちはあるが、こんな酔った勢いではダメだ。
「結構です! 初めては、未来の恋人に
割と真剣な表情で言うと、
「お堅いな~」
菜月さんは突き出した胸を引っ込め、
「冗談だって、ムキになるなよ」
少しだけしゅんとして、テーブルに置かれたハイボールに口をつける。
「ちょっとちょっと、一旦こっちを飲んでください」
俺が飲んでいたジンジャーエールを差し出した。
菜月さんはじーっとジンジャエールを見た後、俺からひったくって一口飲んだ。
「味気ないな」
「でも、楽になるでしょ」
俺はマスターの方へ向き、
「マスター、ジンジャエールとお水ください」
「あいよ」
菜月さんに目を戻すと、またハイボールを飲んでいた。
はぁー、とため息をついた俺は、菜月さんが口をつけたジンジャエールを飲み切った。
「色々あったんでしょ? 今日はとことん付き合いますよ。俺も色々ありましたしね。久しぶりに菜月さんと愚痴を言い合いたいです」
おかわりしたジンジャエールを店員から受け取り、そのまま菜月さんのほうに向ける。
「そうこなくちゃな」
菜月さんは笑顔を浮かべ、ハイボールの入ったグラスを俺が持つグラスにコツンと当てた。
結局、互いの
帰る頃にはすでに菜月さんはふらふらだったため、タクシーを呼んだ。
俺達を見送るために、マスターが店の外まで来てくれた。
「菜月のツケにしておくよ。それよりも災難だったな。明日学校なのにさ」
「何言ってるんですか。おかげで気分転換出来ました」
実際、メロンパンパンパイナッポウより下なのと、自分の現状に対する不満と、体育祭の愚痴は聞いてもらって助かった。
否定してくれないし、リアクションもいいし。
おかげで胸のつっかえは、すっかり消えた。
弱音を全部吐ける相手は、菜月さんだけなのだと改めて知った。
「今日はご馳走さまでした。さぁ菜月さん、乗りますよ」
タクシーの後部座席に優しく乗せようとすると、
「私も…………気晴らしになったぞ………」
怪しい
「それはよかったです」
菜月さんを後部座席に乗せると、菜月さんは目を瞑ってドアに寄りかかった。
俺も一緒に乗り込み、運転手に早川家の行き先を伝えた。
23時半。茉莉はまだ起きているだろうか。
『バイトお疲れ。今から菜月さん送っていくけど、まだ起きているか』
メッセージを飛ばすと、すぐに返信がきた。
『ごめんね。ありがとう。待ってる』
「茉莉にLINEか?」
菜月さんがスマホを覗く。
あれだけ長くいたら居酒屋の匂いが染み付くらはずなのに、菜月さんからは良い匂いがした。
というか、アルコールと良い匂いが混ざって、色っぽい匂いとなっている。
「あ、起きてたんですか? 寝てていいですよ」
「茉莉のことは好きか?」
真面目な口調で、表情で訊いてきた。
「どうしたんですか急に。そりゃあ好きに決まってますよ。幼馴染ですし」
「恋愛対象としては?」
「それは………」
どうなんだろう。
幼稚園の頃から一緒にいて、小中高も同じ。
思い出を振り返っても、半分は茉莉との思い出ばかり。
でも――――
「そんなふうに見たことがなかったんで、わからないです」
率直な思いを伝えた。
想像したことがなかった。多分、あまりにも忙しかったからだろう。
家族って感じになっていたのかも。
昔は菜月さんや妹の秋帆と一緒に、よく遊んだから。
「そうか」
そう呟くと、菜月さんは安堵にも似た息を吐いて俺の肩に寄りかかってきた。
「な、菜月さん?」
横を見ると、静かに寝ていた。
あんなに豪快に酒を飲むのに、寝るときは本当に静かだ。
眉毛は長いし、顔にシワやシミもない。
やっぱり、綺麗なんだよなぁ。
そういえば、なんで菜月さんはあんなことを聞いたんだろう。
…………いや、考えるのは
あとで直接聞けばいい。
そんなことよりも、タクシーのメーターの方が気になる。
果たして俺が払える運賃で着いてくれるだろうか。
※
「ごめんね、喜太郎。お姉ちゃんが」
早川家の玄関で、茉莉が申し訳なさそうな顔をする。
「い、いやぁ……別に」
2つの意味で顔が引きつっていた。
1つは菜月さんの重さ。痩せているとはいえ、大人である。普通に重たい。
もう1つは運賃だ。持ち金ギリギリのところで早川家に到着した。
それはよかったのだが、俺が乗って帰る金は余ってなかった。
ここから30分ほどかけて徒歩で帰宅+手痛い出費。
先を想像するだけで気が重くなる。
早川家にあがり、菜月さんを寝床まで連れていく。
早川家は敷布団。
あらかじめ茉莉が廊下に敷布団を敷いてくれたおかげで、部屋まで運ぶことなく済んだ。
菜月さんはぐでー、とそのまま静かに寝た。
さて、気合入れて帰るとするか。
「ねぇ喜太郎」
「なんだ?」
「泊まってく?」
無愛想な表情で訊いてきた。
「いや、いいや。制服、家にあるし。服の匂いもキツいからな」
「そう……」
残念そうな顔をした。
「菜月さんをよろしくな。あんま飲み過ぎんなよって伝えといてくれ」
「送ってく」
玄関にあるクロックスを履いて出てくる。
「いやいや、危ないだろ。俺よりも、菜月さんの側にいてやってよ」
「………わかった」
無愛想に頷く茉莉。
「じゃ、また明日学校でな」
「うん、また」
胸の前で軽く手を振って、俺を見送った。
去った後で、思い出す。
昔はよく早川家に泊まっていたな。
家が嫌すぎて、菜月さんや茉莉に甘えるように家に押しかけていたな。
一人暮らしを始めてから、泊まる回数は少なくなっていったけど。
久しぶりに、茉莉の卵焼き食べたくなってきた。
甘くて美味しんだよな。
『茉莉のことは好きか?』
ふと、さっきタクシーで言っていた菜月さんの言葉がよぎる。
『恋愛対象として』
空を見上げながら考える。
星が両手で数えきれないくらい見えていたが、答えは1つも落ちていなかった。
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