第32話 仮免許

「あの、今日伝えたいことがあるんです」


 汗がすっかり収まった篠木が、覚悟を決めた顔を俺と鹿島に見せる。


 マンションに差し掛かるほど沈んだ太陽が、俺達と公園を茜色に染める。


「なんだ、改まって。推しのアイドルが変わったとか?」


 俺が訊くと、


「違います。いや、まぁある意味そうとは言えますけど」


「ある意味?」


「あっ、いや、そんなことは関係なくてですね!」


 顔を真っ赤にしたが、すぐに引っ込めて先程の真剣な表情に戻る。


「えっと、今日で”作ろうぜ、最強の美少女”を集まるのを最後にしたいです」


 はっきりと断言した。


「このまま、おふたりに甘えちゃダメだなって思ったんです。高校生という貴重な時間を、これ以上私に割かせてはいけないって」


「……もしかして迷惑だった?」


 鹿島が不安そうに訊くと、篠木は首を横に振った。


「迷惑だなんてそんな、一度も思ったことはないです」


 篠木は公園を懐かしそうに見て続ける。


「3人で集まって朝や放課後、とても楽しかったです。運動なんて大嫌いでしたが、いつのまにかちょっとだけ好きになっていました。どれもこれも、おふたりのおかげです」


 篠木の顔には、感謝の念で溢れていた。


 目には一点の曇りもない。俺が知る誰よりも輝いている。


「なぁ篠木、俺達は別に迷惑だなんて思っちゃいない」


 篠木は優しいから、これ以上時間をとってしまってはいけないと、遠慮しているかもしれない。


「好きでお前と一緒にいるんだ。もしお前がよければ、最後まで見届けさせてくれないか」


 篠木は嬉しそうな顔をするも、頷く気配はなかった。


「いえ、それはやっぱり甘えてしまっています。それではダメなんです」


「和子……」


 篠木は、落ち着いた口調で続ける。


「今日のお昼、時任さんに言われたんです。『独りじゃなにも出来ない』って。確かにその通りだなって、その時思ったんです」


 すごい。


 時任に言われたことを、嫌いな相手だからと流すのではなく、意見として受け入れる強さも持つのか。


「今度は、1人で頑張ってみたいんです。1人でも頑張れる人になりたいんです」


「……そうか」


 篠木の意志は固い。なら明るく背中を押してやるのが務めだろう。


「思ったより早かったが、卒業だな。お前はもう美少女だよ」


「いっ、いえっ、それはまだまだです!」


 篠木が顔を真っ赤にして否定した。


「まだ卒業ではありません。ブヨブヨのままですから。ダイエットをやりきって初めて卒業です」


「じゃあ、仮免というやつだね」


 鹿島がよくわかんないこと言っていたが、突っ込まなかった。


「辛いことがあったらすぐに言えよ? 力になるからな」


「はい。1人でダメそうな時は、頼らせてもらいます!」


 俺と鹿島は頷くのを見、篠木は選手宣誓するみたいに、背筋を伸ばす。


「えっと……今はまだブヨブヨだけど、2学期には必ず完成体を見せられると思います」


 完成体って……。


 一瞬、完全体って聞こえちゃったよ。


「だからー……えっと」


 モジモジしていたが、篠木は意を決して、


「乞うご期待しててください! 喜太郎くんに、梨沙子ちゃん」


 顔を真っ赤にさせて言った。


 俺と鹿島は目を合わせる。


 再び篠木に目を向けて、


「期待してるぜ、篠木」


「私を超えるプロポーションになれよ」


「はい。難しいですけど、頑張ります」


 篠木は良い笑顔だった。


「たしかに細さは難しいと思うが、胸だけならもう勝ってるぜ」


「は!? 何それ!? 超失礼!!」


 はたこうとしてくる手を寸でで避け、そのまま立ち上がって逃げる。


「事実だろうが!」


 鹿島も追ってきた。


「ん〜〜〜事実ではないっ!」


「今ちょっと迷ったろ! 自覚してんじゃん!」


「違う!」


「走ると化粧落ちんぞ!」


「うるさいっ! 和子も笑ってないで、ヤツを捕まえて!」


「ちょっと疲れてしまって」


「たまには自分の力で掴んでみろ!」


 俺達3人の笑い声を、沈みゆく太陽が見守るように優しく包んでいた。


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