第29話 独りじゃない


 校舎裏。


 私はこの場所が大好きで、大嫌いだった。


 狭いので、人が集まってなにかをやるのに適した場所じゃない。


 ベンチや自動販売機はなく、日陰すらないこの場所に人が来ることは限りなく0に近い。


 だからこの場所は、独りきりになれる、学校で一番大好きな場所。


 でも、この場所から教室に戻る時は、虚しさしか残らない。


 振り返っても誰もいない。


 思い出も無い。


 思い出すのは、食べ終わったビニール袋と革靴、そして寂しいという思いのみ。


 独りで食べながら、心の中で助けて欲しいと叫んでいた。


 お金を取られるのはもちろん、怯えながら通う学校生活は嫌だった。


 でも、助けてと言える勇気がなかった。


 先生に相談する勇気がなかった。


 両親に本当の事を話す勇気がなかった。

 

 ここは私の負が詰まった、孤独な場所。


 だからこの場所は、学校で一番嫌いな場所。


 そんな一番嫌いな場所で、一番大切な人と出会った。


 その人は私を助けてくれるだけじゃなく、立ち上がり方を教えてくれた。


 誰かと一緒に頑張ることの素晴らしさを教えてくれた。


 ここは私が生まれ変われた場所で、大切な彼との最初の思い出が詰まった場所。


 だから、私はこの場所が大好きになった。


 そして今、大好きになれた場所を、真っ黒に汚されてしまっている。


 校舎の壁に、地面に顔をつけられて、屈服した。


 私よりも細くて綺麗な女子が、上から私を嘲笑あざわらう。


 この場所は大嫌いになった。それと同時に、弱い自分まで大嫌いになった。


 こんな思いをするんだったら、彼と出会わなきゃよかった。


 こんな場所なんて、行かなければよかった。知らなければよかった。大人しく教室の端っこで食べていればよかった。


 この場所は……………………大嫌いだ。


 うつむき、立ち上がることを止めようとした瞬間、


「変われたじゃんか」


 滝藤喜太郎が現れた。


 —―――ああ、どうしてあなたは、助けて欲しい時に、気付いて来てくれるんだろう。


「オマエの彼氏がやってきたぞ」


 時任の冗談に滝藤さんは、


「おい、こんな人気のない所で、何してるんだ?」


 いつもより低い声に私は少し驚いた。


 顔にはいつもの優しい雰囲気は感じられない。


 私のために、本気で怒ってくれている。


「見てわかんない?」


 時任が悪びれもせずに続ける。


「遊んでんの」


「遊びにしては、一方的だな。篠木は遠目からでもボロボロだってわかるのに、お前ら3人は汚れていない」


 言いながら、私のもとへやってくる。すると、取り巻きの1人が逃げようとする。


「逃げんなよ。やましいことしてないんだったらさ。むしろ、怪我人を見過ごしてこの場を去る方が問題だぞ?」


「そうよ」


 滝藤さんの言葉に続いたのは、時任だった。


「それとも、私を置いていく気?」


 時任がドスを利かせ、ギロリと睨む。私も反射的にビクッとなった。


「い、いやっ……!」


 あの有無を言わせない声と目。友達に向ける目じゃない。


 恐い。


 あの目と声は、トラウマとして私の心にずっと残っている。


 取り巻きの1人は完全に逃げ場を失った。


 女子3人が逃げないことを確認すると、滝藤さんは私に声をかけてきた。


「立てるか?」


 優しい声音に、目がつーんとする。


 涙をこぼさないように、心配かけないように、弱く頷いた。


 立とうと腰をあげようとするが、力が抜けて思うように立てない。


「無理するなって」


 滝藤さんは私の腕を持って、ゆっくりと立ち上がる。


 明らかに滝藤さんより重いはずなのに、まゆすら歪ませずにしっかりと持ち上げてくれる。


「1人でよく頑張ったな」


 その言葉に、私は涙があふれ出た。


 こらえるとか、そんなこと言える状況ではなかった。


 嬉しさと安心で、保っていた心がぐちゃぐちゃになる。


 時任と一定の距離が取れたところで、滝藤さんは私を地面におろす。


 本当は立ちたかったが、気力が無かった。


「あとは任せてくれ」


 そう言うと、滝藤さんは女子3人と対峙した。


「こんな危険な遊びは、先生に報告せざるを得ないな」


「すれば? 無実を証明するだけだから」


「でも、これを見せたら、無実だと証明出来ないんじゃない?」


 滝藤さんはポケットからスマートフォンを出し、大音量でムービーを流す。


 私からは画面が見えないが、音を聞く限り先程のことが流れていた。


 時任の罵声も、それを見て漏れた女子2人の嘲笑ちょうしょうも、すべて先程聞いたものだった。


「な?」


 決定的なイジメの証拠。


 なのに、時任は冷たい表情でスマホの画面を見て、呆れながら、


「そんくらいでビビると思っての?」


「お前はビビってないようだが、後ろの2人は違うみたいだぜ」


 時任が後ろを見ると、1人は青ざめて絶句していて、もう1人は焦りながら時任の肩を掴む。


「あ、あれはマズいよ。奪って消さないとっ!」


「バックアップは済んでいる。取り返しても、もう遅い」


「なっ!? ねぇ沙良、だったら力づくでも――――」


「なにビビってんの?」


 肩を掴んできた取り巻きの1人を、ピシャリと突き放した。


「あと、痛いんだけど?」


「ごっ、ごめん……っ」


 パッと手を放して、うつむいた。時任の恐怖に完全に抑えられていた。


「教師でもSNSでも、好きなところにバラまけば?」


 不敵な笑みを浮かべながら、私の方を見る。


 ―――ゾクリ!


 背筋に嫌な汗がつーっと流れる。


 学校にバレて停学になろうが、SNSで叩かれようが、そんなことは関係無い。


 徹底的にいじめる。


 そんなことを宣言された気がして、私は身を縮こまらせた。


「なるほどな。じゃあこれならどうかな?」


 滝藤さんがパンパンと手を叩くと、校舎の角からもう1人現れた。


「沙良、本当だったんだね。和子をいじめていたなんて」


 鹿島さんまで来てくれた。


「よくも……私の大切な友達をいじめてくれたね」


 目と眉に怒りを露わにして、時任とその取り巻き2人を睨んだ。


 1人の友人として、本気で怒ってくれている。


 知り合ってまだ2週間も経っていないというのに。


「大丈夫、和子?」


 地面に座りこんでいる私に、鹿島さんは駆け寄って、目線を合わせた。


 唇が震え、涙が溢れ出る。


「は、はい……っ」


 嬉しさだけじゃない。萎み、枯れ果てたはずの心に、勇気がみなぎってくる。


 私はまだ、立てる。


 手を地面について、立ち上がろうとする。


 上手く立てないでいると、左腕に鹿島さんが、右腕に滝藤さんが支えてくれて、私は立つことが出来た。

 

 なんでも1人で立ち向かわなくていい。


 1人では俯いてしまっても、2人なら前を向ける。


 3人なら、立ち向かうことができる。


 ―――私は、独りじゃない!


「リサっ……」


 鹿島さんの一連の行動に、時任の顔が一瞬険しくなった。


 でもすぐに、元の冷酷な顔に戻った。


 取り巻きの2人はもう、言葉を失ってただただ青ざめるだけだった。


 鹿島さんのような、学校の人気者まで敵になったら、そうなるしかないのかもしれない。


 両陣睨み合うなか、滝藤さんが切り出す。


「篠木、アイツらに言いたいことはあるか?」


「言いたいこと……」


 色々あるけど、一番はすでに決まっている。


「謝ってほしいです。そしてもう二度と、誰に対してもこんなことをしないって、誓ってほしい!」


 恨みはある。


 思い出せば身震いし、吐き気をもよおしてしまうほどのトラウマも抱えた。


 でも、必要以上に彼女たちを責めない。


 責めたら楽だし、心がすっとするかもしれないけど、必要以上に責めるのはいじめと同じな気がする。


 だから謝って、二度としないければいい。


 恨んで報復するよりも、前に進みたい。


 私の言葉に、時任は無表情のまま、取り巻き2人は苦い顔をした。負い目を感じているのかもしれない。


「もし、お前らがちゃんと篠木にやってきたことを真摯しんしに謝れば、俺から動画を流すことはしない。約束しよう」


「俺からって……オマエ以外は動画をあげられるし、データも人質のように残ったまま。謝り損だね」


 交渉する余地のない提案、と鼻で笑う時任に、


「ねぇ、なんか勘違いしてない?」


 ドスと睨みを利かせたのは鹿島さんだった。私と滝藤さんの前にずいっと出て、


「私の大事な友達をいじめて、怪我まで負わせて謝り損? ふざけないで!」


 鹿島さんの耳にガツーンと響く怒鳴り声に、取り巻き2人と私は身体をビクッとさせた。滝藤さんも少し体をビクッとさせていた。


 時任は身構えていたこともあって、眉を動かすだけだった。


「沙良、私こうゆうことが一番嫌いだって、前に言ったよね?」


「だから?」


「…………もう、沙良とは友達やめる」


「私は元から友達だと思ってない」


 手遅れになるほどヒートアップする前に、滝藤さんが鹿島さんを制止する。


 鹿島さんはハッとした表情したあと、落ち着きを取り戻す。


 鹿島さんに代理で怒ってもらうなんて駄目だ。ここは私が出ないと。


「……もしちゃんと謝って、反省してくれたら、私も動画を流しません」


「消しはしないんだ?」


「すみません。そこまでは……。でもいずれ信用出来たら、消します」


 私の言葉に、取り巻き2人が思案する息を吐いた。


 その息遣いを感じ取った時任は、苛立った表情で取り巻き2人の方を向く。


 時任の夜叉のような睨みに、2人の顔がおそおののいた。


 そんな2人に、


「誰にでも間違いはある」


 滝藤さんが語りかける。


「大事なのは、間違えたあとの行動じゃないのか? なぁ、そうだろう、若松わかまつ中学校出身の須曲すまがりあずさ


 滝藤さんは取り巻きの1人で、さっきいじめの現場から逃げようとした女子を名指しした。


「どうして私の……っ」


「知ってるよ。中学の時代は丸眼鏡で、勉強しかしてこなかった。その時はニキビもたくさんあったようで、”ブツブツ”と言われていたそうじゃないか」


「やめてっ!」


 須曲がヒステリック気味に叫ぶが、滝藤さんは無視して続ける。


「今は髪も染めて、化粧も頑張ったおかげで、中学の時とは別人になった。卒アルと同一人物とは思えないほどに可愛くなっている。おめでとう」


 須曲は苦い顔をしているが、滝藤さんは止まらない。


「でも、クラスだと小学校の頃からモテモテだったって声を大にして言っているそうじゃないか」


「へぇ……」


 時任の馬鹿にした目を須曲に向ける。


 須曲は気まずそうに目をを左に逸らした。すると、もう1人の取り巻きの女と目が合った。


 結局、須曲は目を下に向けて歯を食いしばった。


「嘘はよくないよなぁ。しかも、クラスの端っこで本を読んでいる人間を馬鹿にしてるようじゃないか。いくら自分が変われたからって、それはちょっとやり過ぎなんじゃない?」


「っ……」


あずさ……そうだったの?」


 須曲に非難の目を向ける取り巻きの女子。


「な、何よ! べっ、別にいいじゃない!」


「よくはないでしょ。なんか、幻滅……」


「そういうお前だって同じだろう、末吉すえよし中学校出身の込山こみやま佳衣かえ


 今度はもう1人の取り巻き女子に矛先を向ける。


「ヤンキードラマに影響を受けて、中学煮年生ぐらいかなら悪ぶっていたそうじゃないか。確かレディースに入ってたんだって? 名前は……知ったらと『昼の世界に戻れなくなる』だっけか?」


「…………っ!」


 込山の顔が耳の先までカーッと赤くなる。


「学校が落ち着いていたことをいいことに、黒髪をヤンキー風に巻いたり、ヤンキー座りしたり、先生に悪態ついたり。いつぞやか、喧嘩した傷だとかで、左手をグルグル巻きにして学校を来たんだってな」


「な、なんでそれをっ!」


「心配した教師がお前を保健室へ連れて行ったところで、お前の嘘がバレて周りから引かれたんだよな」


佳枝かえ……そんなことが……」


「うっ…………どうして……!?」


「裏ルートを通じてな」


「…………うぅ…………」


 恥ずかしさで言葉が出ない込山は、身もだえるのを必死に我慢していた。


「今は普通に戻ったようだが、心のどこかで自分は強い人間でありたいとでも思ったのだろう。だから、時任とつるんで篠木をいじめていたんだろう。違うか?」


 込山はただただ、うつむいていた。


「お前ら2人とも、目指す理想は違うが、篠木と同じじゃないか。自分のなりたいもののために努力している。お前らの目指す理想は間違っていると思うけどな」


 優しく問いかけたあと、滝藤さんは選択を迫る。


「自分の過ちを認め、こちら側につくか。それとも時任と一緒に沈むか」


 須曲と込山が、鋭く睨む時任を見て、怒っている鹿島さんを見て、そして私を見る。


 2人の顔には、悔悟かいごが浮かんでいた。


 あと一歩が踏み出せない。そんな2人に向かって、滝藤さんが言う。


「変わるなら、今じゃないのか?」


 その言葉を聞いた2人は歩き出し、私の前にやってくる。


「「本当にごめんなさい……」」


 頭を下げた。深々と。


 滝藤さんと鹿島さんが私を見る。


 私は、判断を下した。


「……恨みはあります。割り切ることは…………出来ない」


 下げた頭が、かすかに動いた。それでも頭を上げない。それが、2人の誠意なんだろう。


「でも、受け取ります。信じます。だから、2人とも頭を上げて」


 そう言うと、2人は頭を上げた。


「いいの?」


 不安そうに訊く須曲。


「だって……同じクラスになったんだから。せっかくなら、いがみ合うより笑い合いたい」


 私は努めて笑顔で言った。


 すると2人は泣きそうな顔で、


「本っ当にありがとう、篠木」


「ありがとう………ありがとうっ………」


 何度も何度も私にお礼を言った。


「いいの?」


 鹿島さんの問いに、私は頷いた。

 

「はい。信じてみます」


 そう決断した時、私の心は想像以上に晴れやかだった。


 きっと、理想の自分に近づける決断だったからだろう。


「そう」


 表情に少しだけ明るい表情で、鹿島さんは頷いた。


「じゃあ2人とも、もう行っていいぞ」


 滝藤さんが伝えると、2人は足早にここから離れた。


「さて、残るは時任、お前1人だ」


「………………」


 時任は底冷えする目を、私たちに向けるだけだった。

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