第28話 1ミリの勇気

「は?」


 リーダー格の女とその取り巻き2人が、私をにらみつける。


「なに、嫌って?」


 教室がこおりつくほどの冷たい声。


 思い出す。


 初めて屈服くっぷくさせられた時のくやしさとみじめさを。その時のリーダー格の女—―――時任ときとう沙良さらの暗く冷たい目を。


 足が震え、汗が流れる。


 今すぐ反抗的な発言を撤回して、言いなりになりたい。


 そうすれば、全てが丸く収まる。恐い思いもする必要はない。


 —――本当に?


 彼女の言いなりになった時はいつも、胸が締め付けられる。


 泣きたくなる。


 叫びたくなる。


 そして、最後はいつも惨めな気持ちになって、ベッドに横たわると思い出して胸を締め付けられて、眠れなくなる。


 それでいいの?


 そんな高校生活でいいの?


「……やです」


「あ?」


 時任が高圧的に訊いてくる。


 いいわけがない。


 恐い物から避けて言いなりになる3年間の方が怖い。


「いっ、嫌だって……いっ、言った………んです」


 震える声に、自分のこれまでの恨みと必死にかき集めた勇気を乗せた。


 数秒間、無言の睨み合う。


 心臓が早鐘はやがねを打つ。呼吸が荒くなる。


 それでも目をらしちゃいけない。


 屈しちゃいけない。


 私が思う理想の自分—――理不尽にあらがう勇気を持つ人—――になるために。


「……………………………………」


「……………………………………」


 数秒間、見つめ合う。


「はぁー……」


 時任は苛立ちがこもったため息をつき、


「あっそ。だったらもういいわ」


 顔に怒りを滲ませて、肩と肩がぶつかる寸前の距離で通り過ぎていき、時任は取り巻きと一緒に教室を出て行った。


「はぁー……」


 思いっきり息を吐いた。身体中の力が抜けていく。


 とりあえず、この場は勇気を保てた。


 でも、ここからが始まり。


 きっと、陰湿いんしつな仕返しをしてくる。


 いじめに負けてしまうか、いじめの証拠を集め、時任達を糾弾きゅうだんできるか。


 ここからが私の戦いなのだ。


 次の授業の教材をわざとバッグにしまったまま、貴重品だけを持って学食へと向かった。


 どんな被害を受けるか、検証してみよう。


 絶対に負けない。負けたくない。負けたら、私だけでなく滝藤さんの努力も無駄になってしまう。


 そう意気込んだものの、時任達の報復を恐れた私は、売店を通らないルートで食堂に向かった。


 遠回りになるけど、こっちの方が安全。


 周囲を見渡しながら、早歩きした。


 食堂が遠くに感じる。


 早く、早く、早く着いて!


 次第に息が荒くなる。


 ……2分ほど歩いてやっと、食堂が見えてきた。今日ほど食堂が大きく見えた日はない?


 早く不安から解き放たれたい私は、手に持った弁当箱を大事に抱えて駆け足で向かった。


「……っ!?」


 急に視界が揺らぎ、次の瞬間には地面が垂直に上がってくる。


「うわっ!」


 寸でのところで両手を付き、地面に顔が激突するのを防いだ。そのかわりに抱えていた弁当箱が地面を転がった。


 数秒遅れて、足がひっかけられていたのだと理解した。


 ちらっと横を見ると、物陰から細くて白く、傷跡のシミが少しある脚がすらりと伸びていた。


 その脚をたどった先に、


「……っ!」


 冷酷な表情した時任がいた。彼女とその取り巻きが、私を見下ろしていた。


「おーっとごめんね。ぶつかっちゃた」


 時任がおちゃらけたように言い、私の弁当箱をわざと蹴飛ばす。


 眠い目をこすって作った、発展途上の弁当が茂みの中へ消えていった。


 あまりにも酷い仕打ちに、理解が追いつかないでいると、取り巻きの1人が、


「あ、膝から血が出ているじゃん。洗いに行こ?」


 一滴も血を流していない私を無理矢理立たせて、学食とは反対方向へと連行した。


 心の準備が出来ていなかったことと、実際に手を出されたことで極限の緊張状態に陥った私は、言われるがままに連行された。


 連れていかれた場所は、人通りのない校舎裏。


 学校で一番好きな場所だ。


 学校の喧騒から遠ざかることができるし、人目を気にしなくていい。


 そして、滝藤さんと出会った運命の場所。


 そんな大切な場所が、彼女達に汚れていく。


「な、なんです―――」


 尋ねようと私が振り向いた瞬間、左腕を校舎の壁に思いっきり引っ張られる。


 咄嗟の出来事で反応できなかった私は、そのまま校舎の壁に激突。


「うっ……!」


 ひるんだすきに、左腕を背中側に回しながら私の後頭部を鷲掴わしづかみし、校舎に押し付けられた。


 右頬と左肩に痛みが広がる。


 白い壁についた土やほこりが、顔の右半分につく。


 だが、そんなことが気にならないほど恐怖が込み上げる。


 私の想像を遥かに超える報復が待っているのだろうか?


 取り巻きの嘲笑いが聞こえるが、狭まった視界からは、時任の顔半分しか見えない。


 ―――――――恐い。


 動けない。抵抗出来ない。


 手足が思うように動かない。恐怖で体が震えている。


 それに左肩の関節がきまっていて、簡単に暴れたり出来ない。


「オマエさ、吉田や梨沙子とつるんで、カーストが上がったとでも思ってんの?」


「ちっ、違う……!」


「違くねえって。ここ1週間、オマエの調子の乗りようは異常だったよ。私達の命令聞く前にそそくさと出て行くし、吉田と一緒に練習したりさ。体育祭じゃあ、生き生きと走ってたじゃん」


「だよねー」「あれは調子に乗ってた」と、取り巻きが嘲笑ちょうしょうした。


「オマエとよくつるんでるあのキモいオトコの真似なんかしちゃってさ。アイツもマジでキモかったわ」


 キモい……だって……っ?


 プツン、プツン、と頭の中にある大事な理性の糸が切れていく。


 取り巻きの女子も「キモい」と時任に同調していった。


「あーゆーの、見てて超イタイよね。お前と同じようにさ」


 ドスの利いた声が、鼓膜を突き刺す。


 ポツリ、と涙が出てきた。


 悔しさと憤りで。


「…………して?」


「あ?」


「……どうして、そんなこと言うの?」


 不安と緊張で萎縮した喉を、強引に動かす。


「こっちは精一杯やってるのに、どうしてそんなことを言うの?」


「キモいキモい、マジでキモい。そーゆーの寒いから」


 時任は拒絶するように、背中に回った私の左腕を無理矢理上げる。


 メリメリと間接が痛んだ。


「いたっ、痛いっ……」


「キメーんだよ、そーゆーの。オマエもアイツも」


「やめて!」


 気付いたら叫んでいた。身に迫る苦痛も忘れて。


「何も知らないくせにっ、私の大切な人を……馬鹿にしないでっ!」


 見知らぬ私を、何の見返りも要求せずに助けてくれた。


 素敵な人達にめぐり合わせてくれた。


 全てを諦めていた私に、希望を見つけてくれた。


 彼と出会えて、初めて学校が楽しいと思えた。


 そんな彼を馬鹿にするのは、一番許せない。


 時任を睨む。


「謝ってください……っ」


「あーウゼぇー」


 三度、頭を校舎の壁に叩きつける。頭がクラクラしてくる。


「あ、謝って……! 謝って……くださいっ!」


「脅すだけ終わりにしようかと思ったけど、やっぱシメるわ」


 ぐぐぐ、と左腕を上げる。関節が悲鳴をあげる。それでも私は言う。


「謝ってください! あなたは間違ってる!」


「だからなに?」


「だから、謝ってください!」


 左腕をあげる力に思いきり、力が入る。


「い、いやっ! 痛いっ!」


 勝手に涙が溢れるくらい痛い。


「わっ、私がアナタ達に何をしたって言うの?」


「目ざわり。いるだけで不快なんだよね」


「そんなっ…………」


 すると、時任が私を横に思いっきり引っ張って転ばそうとする。


 顔が地面につく寸前、地面に手を付く。砂利が手に食い込んでヒリヒリする。


「うっ!」


 メリッ、と脇腹に細長い何かが当たり、私は地面に倒れて咳き込んだ。


 蹴ってきたのだと、すぐにわかった。


 憎しみに満ちた目で私を見下ろす時任と、ゴミを見るような目で見る取り巻き2人。


 体中のあちこちが痛い。暴力がこんなにも怖くて痛いことだと、骨のずいまで理解した。


「立ち上がりなよデブ。一発ぐらい入れてみな。パンチの重さだけは、オマエの方が勝ってんだからさ」


 立ち上がれない。


 体が恐怖ですくんでしまっている。

 

 涙が、止まらない。


 もう、どうしようもなく打ちのめされている。


 そんな私の姿を見て、時任は恍惚こうこつしていた。


「オマエは所詮、結局、一人では何もできないんだよ」


 嬉しそうに、私を否定してくる。


「今だってそうだ。体が震えて立てやしない。ビビッて何も言えない。あんだけ鍛えていたのに、結局使えない」


 激しい渦の目を、私に注ぐ。


「ハァッ……ハァッ……ハァッ……」

 

 息が苦しくなる。


 涙が止まらない。


 ダメだ。


 やっぱりダメだ、私。

 

 変わりたいと思っていても、根が臆病者だから恐怖に打ち勝てない。


 根本が負け犬なのだ。変えようがない。


 間違ってることを間違ってるって言うって、こんなに難しいんだ……。


 私はついに、時任を見るのを止めた。


 時任が足を後ろに引き、


「お前は一生、惨めに生きろ」


 私の顔めがけて蹴りを放とうとする。


 私は目をぎゅっとつぶった。


 ごめんなさい、滝藤さん。やっぱり私、変われませんでし――――




「変われたじゃんか、篠木」




 ――――っ!?


 時任は蹴りを止め、声のする方を向いた。私も、痛む身体で後ろを向く。


 校舎裏の角。


 そこにいたのは、1人の男子。


 私の大切な人―――滝藤喜太郎さんだった。

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