第27話 あの背中の向こう側へ
あの人と同じ景色を見たい。
障害物競争を必死に走る彼を見て、
子どもの頃から、嫌な思いばかりをしてきた。
特に男子からは、心無い発言もたくさん浴びせられたり、イタズラされたりした。
かっこいい顔立ちをした男子もいた。
テレビに出てくるかっこいい人達と、現実は違うんだなと理解した。
ある日、私に酷い発言をした男子を先生が指導した。
その時に彼が言ったのは、
―――太ってるのは悪いことじゃん。
私に嫌悪の目を向けてきた。あんなに強い眼差しを受けたのは初めてだった。
その夜、私は母に聞いてみた。
「太ってることってダメなことなの?」
母は首を横に振った。
「いいんだよ。和子は和子のまま、ありのままで」
母は肯定してくれたが、そのままでいいと言ってくれたのは母と芸人と一部のコラムニスト以外にいなかった。
中学校へいっても、悪口を言われ続けた。幸いだったのは、先生と校則が厳しかったこと。
校則でお金やスマホの持ち込み禁止は、私にプラスに働いた、と今では断言できる。
学校生活は苦痛で仕方がなかった。
ドラマや映画に出てくるような〇〇くんが体験する華やかな出来事は一切起きなかった。
いつしか私は、こう思うようになった。
色々なレベルの人が公立にはいるから、いじめられている。
偏差値の高い高校に行けば、心優しい人や豊かな見識を持った人と出会えるはず。
ありのままの姿を認めてくれるはず。
私は苦手な勉強を全中学校生活に取り組み、横浜市内でも有数の進学校である金沢第一高等学校に合格した。
むしろ、悪化した。
買い物には行かされ、代金は払ってもらえず。逆らったら物が無くなったり、聞こえるような声で陰口を言ってきたり。
もう限界。
こんなことを味わうなら、受験勉強なんて頑張らなければよかった。
結局、どこに行っても悪い人はいるんだ。
高校受験に成功しても、人間関係は1ミリも変わらなかった。
全てが嫌になる。学校から逃げ出したい。
そんな時、彼が校舎裏に現れた。
「なぁ、変わってみないか?」
滝藤さんが語った話は、今の私の在り方を否定する話だった。太っているのが悪いかのように。
―――この人もか。
彼なら、ありのままの私を認めてくれると思ったから。
悪いのは太っている私ではなく、容姿を悪く言う人達なのに。
心の底から落胆したが、滝藤さんの話に乗ってみることにした。
私に悪口以外の言葉をかけたり、後先考えず行動してくれたりする男子は今までいなかったから。
1ミリだけ近づいてきてくれた彼の話なら、乗ってもいいや。
すると、私の灰色の世界が少しずつ色付いていった。
滝藤さんに教えてもらって、
鹿島さんと友達になって、
早川さんに料理を教えてもらって、
吉田さんと一緒にトレーニングして、
皐月さんと化粧品を買いに行った。
楽しかった。
勉強を頑張ったからこそ、出会えた奇跡。
初めて、自分の努力が本当の意味で報われたと思った。そして報われた瞬間の
そして今、
見ている生徒達は、みんな笑っている。
笑わられているのではなく、笑わせている。
私も、笑顔になってた。
肩から上が真っ白になった滝藤さんが、私の方を見て、清々しい表情で親指を立てた。
—―――あぁ、
今なら断言できる。
ありのままの
理想の自分になるために、一生懸命努力したい。
「滝藤のやつ、見せつけてくれちゃったねー」
隣で鹿島さんが笑った。そしてワクワクしながら、
「これはやるしかないね、和子!」
「そうですね」
心がうずうずする。周りを気にせず、思いっきり楽しみたい。
「楽しもうね」
私はこくりと頷いた。
「負けません!」
「私こそ」
それを最後に、私達は互いのスタート位置へ向かう。
心臓が高鳴る。鼓動が馬鹿みたいにうるさい。
でも、この鼓動は発表授業のようなただただ辛い緊張ではない。
楽しさを多分に含んだ、心地よい緊張。
始まってほしい。でも、永遠に始まってほしくない。
「位置について」
手に足に、力が入りすぎる。
「よぉー……い」
しっかり前を向く。
誰の目も気にしない。悔いのないよう、一生懸命走る。
私を救ってくれたあの背中に追い付くために。
そして、肩を並べた先に見える景色を知るために。
パンッ!
私は全力で走った。
可動域の少ない腕と足で網をガムシャラに
今にも押し
跳べないハードルを片っ端から
ついにマシュマロ食いまで到達。
桶の中を
が、迷っている時間は無い。
小麦粉の海へ、思いっきり顔を突っ込んだ。
ドシャャーン!!
顔中が小麦粉塗れになった。しかも、マシュマロは口に含められず。薄目を開けて見る。なんとマシュマロは桶の端っこに移動していた。
再び桶に顔を突っ込み、マシュマロを口に含む。気力を振り絞ってゴールした。
結果はビリっけつの5位。
それでも満足だった。満足感が溢れていた。こんなに楽しいとは思わなかった。
ゴールに着くと、1位の鹿島さんが待っていた。顔中、小麦粉塗れで真っ白くなっていた。
「あはは、酷い顔」
「鹿島さんこそ」
私達は笑い合った。
鹿島さんは、とってもキラキラしていた。
5位が並ぶ列には、滝藤さんがいた。鹿島さんよりも酷かった。小麦粉の雨でも降ったのかと思うくらい。近づくだけで笑いが込み上げてしまう。
「なに笑ってるんだよ〜」
ムスッとしている。だけど、笑ってしまう。
「言っとくけど、篠木も同じくらいだからな!」
「ぜったい、滝藤さんの方が酷いです」
「なんでそんなに嬉しそうなんだよ」
そう言いつつも、滝藤さんも嬉しそうにしていた。
全ての走者が走り終わり、退場した。
「おつかれさん、さっさと洗いにいこうぜ」
近づいてきた滝藤さんが、蛇口のある場所を指差す。
たしかに顔周りが気持ち悪い。
「待って待って」
鹿島さんがスマホを持ってやってきた。そういえば、走る前に知り合いの体育祭委員にスマホを預けていた。
「せっかくだから写真撮とろうよ」
「写真なんかいるか?」
「こんは顔になることなんてそうそう無いんだからさ。思い出だよ、思い出。和子もそう思うでしょ?」
「うん、欲しいです」
「篠木もか。しょうがないなぁ……」
「きまりだね」
鹿島さんがスマホをセットした。
「いくよー!」
どっ、どうすればいいんだろう!?
普段、写真を撮らない私はあたふたしてしまう。じ、時間がない。とにかくカメラへ向いてピースしよう。
「はい、チーズ!」
パシャリ!
3人、スマホに映る写真を
「2人とも、写真撮られるの下手すぎない?」
鹿島さんは良い顔の角度に、ピースを添えていて、とっても可愛くてスリム。
対する滝藤さんは笑顔を作ろうとして、かえって微妙な笑顔になっていた。あと目が少しだけ違うところに向いている。
ちなみに私は、まっすぐピースしただけなので、体型がズドーンと全面に出ていた。とっても太い。
「なんか、ぼけーっと口が開いてるみたい。しかも、なんか絶妙に角度ズレているし」
「お前みたいにポンポン写真撮らないから、わかんねぇんだよ」
「撮らなくても、カメラの場所くらいわかるでしょ」
「でも、いい写真です」
私がそう言うと、2人が目を合わせて、言い合いをやめた。
「まぁ、俺ららしい写真ではあるな」
「そうだね」
私達は、談笑しながら顔を洗いに行った。
その道中、「タオルを取ってくる」と滝藤さんと鹿島さんは1年4組の観覧席へ寄った。
滝藤さんは「めっちゃ汚れてんじゃん!」「滝藤、ナイスファイト」と男子達に笑われ、鹿島さんは「めちゃくちゃ頑張ってたね」「お疲れ様!」と女子達に
2人とも、本当にキラキラしているなぁ~……。
羨ましそうに見ていると、
「おつかれ、頑張ってたな。篠木」
「よっ、吉田さん……」
長身の吉田さんが話しかけてくれた。いつ見ても本当にかっこいい。ジョニーズに応募したら、面接するまでもなく採用される。
「結果はアレだったけど、前に見た時より生き生きしてたぜ」
「うん」
早川さんも声をかけてくれた。
「これ使って」
綺麗にたたまれたタオルを私に差し出す。
「いや、そんなっ! 悪いですよ!」
「大丈夫、使ってないから」
半ば強引に手渡された。受け取った瞬間から、フローラルの良い香りがする。なんだろう、心がフワフワしてくる。
「あ、ありがとうございます。大事に使わせてもらいます」
「そんなかしこまらなくても。同い年なんだし」
「いえいえ、そんな。汚いし、洗って返します」
「汚くないから。使ったらそのまま返して」
極めて普通のトーンで言われた。
そんな言葉が、とっても嬉しかった。今まで言われたことがなかったから。
目頭が熱くなる。
「じゃあ、そのまま返しますね」
「うん」
早川さんはぶっきらぼうに頷いた。今まで出会った中で感情の起伏が一番少ないが、ちゃんと温かい人だということは知っている。
「あ、よかったよ、和子!」
皐月さんまで来てくれた。
「すみません。せっかくの化粧を台無しにしてしまって」
「大丈夫。またやってあげるからさ。それより、さっきの走り凄かったよ!」
皐月さんが目を輝かせている。
「あ、ありがとう、ございます……」
………なんだ。
「茉莉も楽しそうに見ていたくらいだから、相当だよ」
この学校には、こんなに温かい人もいたんだ。
視界がじわりと
ダメ。目をうるうるさせちゃダメ。
心配かけちゃう。この人たちは、心配してくれる。
「お待たせ!」
一通り話し終わった鹿島さんが、滝藤さんと一緒に戻ってくる。
「行こうぜ。早く小麦粉から解放されたい」
「そうですね」
滝藤さんの呼びかけに私は大きな声で返事し、2人の背中を追いかけた。
いつか、喜太郎や梨沙子って気軽に呼べるようになるのかな。
自信を持って、呼べるようになりたいな。
そのためには、頑張らないといけない。
そんなふうに意気込んでから3日目の昼休み、事件が起きた。
その日は滝藤さんが小テストの再試でいない時だった。
基本的に昼休みは席取りのために誰も待たずに学食へ行く。
いつも通り、食堂へ向かおうとした時、
「篠木」
後ろから声をかけられた。嫌な汗が、背中からつーと流れる。
振り向きたくない。でも、このまま無視して教室を出れば、後で酷い仕打ちが待っている。
だから振り返る。
…………ああ、やっぱり。
声をかけてきたのは、私に嫌なことをしてくる女子3人だった。
「ねぇ、購買でパン買ってきてほしいんだけど」
リーダー格は、嫌な笑みを貼り付けている。
心臓がバクバクなる。緊張で、足がすくわれそう。
頷いてしまいそうなその時、
—――変わってみないか?
滝藤さんの言葉が耳を打つ。
…………そうだ。
変わるって決めたんだ。ここで自分の想いを伝えないで、いつ変わるんだ。
ここで言い返さなかったら、一生滝藤さんや鹿島さん達に追い付けない。
リーダー格の女子を強く見据える。その目に、リーダー格は顔をしかめた。
「嫌です」
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