第22話 作ろうぜ、最強の美少女②

 ちゅんちゅん、というスズメのさえずりがよく聞こえる、しんと冷たい空気が肺に入ってくる。


 人々の会話が全く聞こえない静かな早朝は、想像以上に心地よい。


 我らが通う学び、横浜市立金沢第一高等学校の裏手にある公園に、俺達はいた。


「はい、おはようございまーす」


「お……おはようございます……」


 俺の熟年顧問がしそうなトーンの挨拶に、ジャージ姿の篠木は消え入りそうな声で挨拶を返した。


「声が小さい! はい、おはようございまーす!」


「おっ……おはようございますっ」


 喉から絞り出していたが、それでも一般教師の授業で出す声より小さい。


「まぁ、いいだろう。調子はどうだ?」


 グゴゴゴォォォォ。


「……………お腹は元気なようだな」


「すみません。朝食を食べてないもので」


「そうか。ちゃんと俺の言ったことを守ってくれたみたいだ。偉いぞ」


 一瞬、地震が起きたのかとビビっちゃった。


「ねぇ、滝藤。私まで呼ぶ必要あった?」


 鹿島が不機嫌そうな声を出した。篠木と違い、俺と鹿島は制服である。


「なんか面白そうとか言って首を突っ込んできたのはお前だろ」


「これは想定外だって」


 昨日の篠木の件について鹿島に協力を申し出たところ、快諾かいだくしてくれたのだ。なんなら、「私に出来ることなら何でも言って」とか、気前の良いことを自発的に言っていた。


 そのくせ、いざ頼られるとボヤくとか、本当にいい性格してるよ。


「いいじゃないか。早起きは三文の徳っていうしさ。最強の美少女を作るには運も必要なんだよ」


「あの……最強の美少女ってなんですか?」


 篠木が首を傾げる。そうだった。篠木にはまだ作戦名を伝えてなかった。


「あのな、今日から始まる篠木改造の作戦名は、”作ろうぜ、最強の美少女”だ」


「びびび、美少女って……そんなっ……私がっ!?」


 自分の方に指を差す篠木に、俺と鹿島が頷く。


「さっき、LINEグループも作っといた。今んとこ、ここの3人だけだが、これからも増える予定だ」


「え、どうして増やすんですか?」


「そりゃあもちろん、篠木にプレッシャーを与えるためだ。挫けそうでも、世間体を気にしてやめないだろうって」


「ひえええっ」


 すげー怯えた顔をした。篠木、意外と反応よくて面白いな。


「そういえば、自己紹介がまだだったよね。鹿島梨沙子です」


「あっ、えっと……篠木しのぎ和子かずこ、です」


「”子”つながりだね。和子って呼んでいい? 私のことは梨沙子って呼んでね」


「俺のことも名前で呼んでくれていいぞ」


「…………はい、鹿嶋さんに、滝藤さん」


 おいおい、と俺と鹿島は目を合わせて苦笑した。


「まぁ、梨沙子のことは追々名前で呼べるようにしておいて」


「え、滝藤が名前呼びするの?」


 鹿島がマジで嫌な顔している。


「まだ駄目?」


「駄目。梨沙子ポイントがまだ足りない」


「なんだよ梨沙子ポイントって」


「私と仲良くするごとに上がるポイント。これを一定数上げると名前を呼べるようになる」


「なんで今日知り合った篠木は名前呼びOKで、俺は駄目なんだよ。俺の方がお前と関わってるじゃねぇか」


「それは、和子が女子だからね」


 なんじゃそりゃ。基本的に女子にはフレンドリー、男子は警戒ってか。


 閑話休題かんわきゅうだい


「いいか? 篠木が目指す体はこれだ」


 鹿島を指差す。


「ここまで痩せたらモテる」


 すると、鹿島が右手を頭に乗せ、左手を腰につき、体をくねらせる、典型的なグラビアポーズを取った。


 本業の方と比べると貧相であるが、身体の線は綺麗だ。健康的な細さ。


 一方、篠木のジャージ姿はパツンパツンだ。申し訳ないが、例えるなら人参詰め放題とかの袋のようにぎゅうぎゅう詰めである。


「一応、くびれあるからね。大した運動したないけど」


 自慢気に、そして嬉しそうに言う。早朝だから、テンションがおかしくなっているのだろうか? 


「す、すごいです」


「うぇ……」


 俺は逆にテンションが低いから、鹿島のポーズを通常よりも幾分冷めた目で見てしまっている。


「鹿島さんのスタイルを目指せばいいんですね」


「そうだ。だからといって、胸まで削る必要は無いぞ」


「おい」

 

 隣から響くドスの利いた声が、鼓膜にささる。


 横を向くと、鹿島が物凄い形相ぎょうそうで俺を睨んでいた。この眼力は菜月さんレベルだ。


「そーゆーところが、梨沙子ポイントをマイナスにしてるんだよね」


 あっそ。


「というか、脱いだら凄いんだから、私」


「で、今日からやるのはランニングだ」


 鹿島のくだらない話はスルーして説明に入る。


「今日から毎日最低30分、ランニングしてもらう」


「さ、30分……この公園の周りを、ですか?」


「ああ、俺たちの目が届く範囲で走ってもらう。歩いたりした時に喝を入れられるからな」


 篠木は公園を見渡し、唾を飲み込む。


「大丈夫だ。最初は自分のペースで走ればいい。とにかく、足を止めることなく走れ」


「う…………」


 篠木の顔はめちゃくちゃ引きつっている。


「さぁ、早く走るんだ。せっかくの早起きを無駄にするな」


「ねぇ、滝藤は走らないの?」


「あ、俺? 走るわけないだろ」


 鹿島がうーんとうなる。え、何?


「それって情けなくない?」


「な、情けない?」


「和子は走ってるのに、滝藤が走らないって、なんか情けない。滝藤も走りなよ」


「なんで俺が走らなきゃいけないんだよ! 俺は痩せる必要がないだろ」


「でも、海に行ける体でもないでしょ?」


 痛いところを。確かに、筋肉はないし、腹も割れていない。


「それに、言い出しっぺじゃん。和子も滝藤と一緒に走った方が頑張れるでしょ?」


「え、うん」


「なら、走りなよ。最初はペースメーカーという意味でもさ」


 篠木が凄いピュアな目で、俺を見てくる。


 耐えろ俺。変なプライドを持つな!


 障害物競争の件で後悔した気持ちを忘れたのか?


 気を強く持ち、確固たる意志で断れ!


「でも俺、運動着持ってきてないし」


「はい、ダウト。今日、体育あるから体操着ある」


 しまった。だが、まだ終わらんよ。



「さぁ、どうする滝藤?」


「滝藤さん……」


「………………」


 で、俺は公園のトイレで体操着に着替え、篠木と一緒に走った。


 俺ってなんて良い奴なんだと酔っていたのも、5分経つと引き受けたことへの後悔と俺をハメた鹿島への怒りでいっぱいになり、さらに5分経つとキツイの3文字以外考えられなくなった。


「和子、がんばれー! 滝藤、ペースダウンしてるぞー!」


 うるせぇな。


 つか、鹿島も体操着持ってきているのに、走りに参加しなかった。「これ以上痩せたら、骨だけになる」とか、訳のわからないことを言っていた。


 ともかく俺は、篠木の前を精一杯走っていた。


 でも、ダメだ。キツイ。倒れる。


「滝藤ー! しっかり走れー! それでも監督かー!」


 うっぜ。めっちゃ腹立つ。


 篠木は大丈夫か、と心配になって後ろを向いた。


 めちゃくちゃ死にそうな顔をしている。必死に空気をかき集め、手足を動かして前に進んでいる姿は、溺れているように見えた。


 ―――50分後。


「ぜぇ……ぜぇ……」


 気合で50分間走りきった。俺は膝に手を付き、全身で息を吸った。


 体が重く、特に足が鉛のように重い。汗が止まらない。タオル持ってきてないぞ。


「和子、よく頑張ったね。滝藤はもう少し気合を見せてほしかったな」


 涼しい顔しやがって鹿島のやつ、ぜってーいつか地獄に落としてやる。


 …………あれ、篠木から反応が聞こえない。

 

「ご…………ご飯を…………」


 篠木が大の字で地面に寝っ転がって、今にも気を失いそうにしていた。


 お腹がグゴォォォォォと咆哮ほうこうしている。


 俺と鹿島は慌てて篠木の口に鮭おにぎりをつっこみ、特茶で流し込んだ。

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