第16話 蘭子は、いつもこんな感じだそうです
「
「そうだよ」
彼女が頷いたタイミングでバナナオーレが置かれた。
「これじゃないとなぁ」
満足そうに言いながら、綿子はスマホをいじり始めた。
途中、「うっとうしい」とか言って、左手首にあるヘアゴムでポニーテールにした。
うわっ、内側の髪を金髪に染めている。
なんか不良っぽい。
お嬢様学校って、染めるのOKなのか?
つか、その前に誰これ? 綿子先生? もしかしてこっちが本性?
「綿子……だよね?」
「だからちげぇって。蘭子。さっきは綿子。今は蘭子」
「はぁ……」
なんだか、頭がこんがらがってきた。
「ボンクラだからアンタに会いたくないって反対したのは私、それでもアンタに会いたいって言ったのは綿子」
「はぁ!?」
混乱する頭の中で、馬鹿にする言葉だけはしっかり知覚出来た。
「なんだボンクラとは」
「ボンクラじゃねぇか。だってこの間の票、どうだったんだよ」
「……5票」
「ほらな、ボンクラじゃねぇか!」
蘭子は馬鹿にするように笑った。
「30万票も投票されて5票しか獲得出来てねぇんだぞ!」
「……数字に表れないモノもある。今回は1人につき1票だからな。確かに読者の中の1位ではないのかもしれない。だが、2位の可能性はある」
「でも、綿子は12万票だぜ」
「ぐっ……」
確かに。単純計算で、12万もの人が蘭子の作品を1位に選んでいる。
「なんか責任を逃れようとする嫌な大人みたいなこと、言うんだな」
「そ、そんなことはどうでもいい! それよりお前、いったいどうした? さっきまでと別人だぞ」
「あ? あぁー……」
蘭子は急にバツの悪い顔をし、「ちっ」と舌打ちした。
「綿子のやつ、コイツが好きだからって隠しやがったな」
ボソッと呟いたあと、俺の方を向いた。
「ウチら、人格が2つあるんだよ」
「人格が2つ?」
「二重人格ってやつ。ドゥーユーアンダスタン?」
わざと日本のイントネーションで言ってきた。腹立つ奴だ。
いや待てよ。
「あ、もしかしてそーゆー設定?」
電波かな。
「んなわけねぇだろ。病気だ、病気。何なら試してみるか?」
「どうやって?」
ぐっ、と蘭子が拳を握る。
「パンチだよ。綿子は気弱だからペチってぐらいだけど、ウチは腰が入ってるから痛いぜ。ドカッて感じでな」
「やめとく」
勘弁してくれ。暴力を用いてくる奴は菜月さんだけでいい。
「ちぇ、せっかく殴り
蘭子は心底残念そうにした。
それにしても、売れっ子作家にこんな一面があるとは。世の中、まだまだ広いもんだな。
綿子の方とは仲良く出来そうだが、蘭子とは仲良く出来なさそうだ。蘭子も俺と仲良くしたくなさそうだし。
「なぁ、綿子とチェンジする方法は無いのか?」
「知ってどうすんだよ」
「だって俺と話したいのは蘭子じゃなくて綿子の方だろ? だったら綿子に代わってやれよ。バナナオーレ飲み終わったらでいいからさ」
それに蘭子に生意気な口を利かれると、クソガキっぽい顔もあって無性に腹が立つ。
「なるほどな。確かに代わってやりてーんだけどさ、わかんねーんだ」
心底めんどくさそうな顔をして、バナナオーレを飲む綿子。顔は綺麗な文学少女って感じなのに、悪どそうな人相のせいで台無しだ。
「なんだよ。二重人格とは長い付き合いなんじゃないのか?」
「長くてもわからないことぐらいあるだろ。ま、今日はもう戻らないかもな。だから帰っていいぞ」
しっしと羽虫を追いやるように手を払う。
「まぁ、飲み終わるまで待つよ」
コーヒーを飲む。苦さの中にほんのり甘さを感じた。味覚は戻ったようだ。
そのまま会話することなく、時間が過ぎていく。
蘭子はスマホを忙しなくいじっている。もしかしたら小説でも書いているのかもしれない。なんせ、一気に9話投稿したんだ。暇さえあれば書いているんだろう。
せっかくだから、コツでも訊いてみるか。
「なぁ、どうしてそんなに早く書けるんだよ」
「小説のことか?」
ちらっとこっちを見、俺が頷くのを確認すると再びスマホに目を落とす。
「浮かんできた瞬間に書き殴るからな。ガーってやるンだよ。短期集中ってやつ。だから話しかけんな」
「へいへい」
ムカつくが、蘭子はこーゆー人間なんだろう。いちいち腹を立てていたらキリがない。
暇を持て余した俺は、ポケットからスマホを出した。
お、鹿島から連絡がきていた。何だろう?
『すっご! 絶対高いでしょ?』
『いくらだと思う?』
『800円』
『999円+Tax』
『やばwww ウルトラスペシャルより高いじゃん!』
『これを頼むと、学食のウルトラスペシャルがいかにウルトラスペシャルか分かるぞ』
『wwww』
鹿島とのやり取りを楽しむこと10分、ついにウルトラスペシャルを越えるコーヒーを飲み終えた。
前を見ると、蘭子も丁度バナナオーレを飲み終わっていた。
「まだ蘭子だよな?」
こちらを見ずに、無言で頷く。はい、蘭子です。
「お互い飲み終わったし、もう帰ろうぜ」
「おう、ごちそーさん」
蘭子がバッグを持って席を立とうとする。
「待て待て」
「なんだよ? サインならやんねーぞ」
めでたい奴だな。こんなに罵倒されて欲しがるわけないだろ。
「ごちそーさんって、蘭子も払うんだよ」
「いやいや奢りだろ、お・ご・り」
「はぁ!?」
思わず前のめりになった。
「なんで俺より売れてるのに俺が払わなきゃならねぇんだよ!」
「ったりめーだろ。ウチは後輩で女子だぜ。中坊」
「こういう時だけ後輩振るな。せめて口の利き方をなんとかしてから言え」
「しかも先輩と違ってバイトが出来ない」
「バイトより稼いでんじゃねぇか。あと、先輩って付けりゃあいいってわけじゃ無いぞ。敬意を持て」
何なら、普通の社会人より稼いでいるぞコイツ。本は売れるわ、アニメ化されるわ、グッズはジャンジャン出てるわで。
マジ、ぶん殴っても文句言われない。
「俺は奢らないぜ。綿子ならいいが、お前のような礼儀知らずに奢る金はねぇよ」
「ウチらは二重人格だけど、ウチらの財布は二重じゃねーんだわ。ウチに奢ることは綿子にも奢るってことになる。逆に言えば、割り勘するってことは、綿子にも払わすってことだぜ」
「うっ……」
「ビジネスじゃなくてマジで
「……じゃあ、こうしよう! 綿子が頼んだブリュレコーヒー代は俺が出そう。バナナオーレはお前が払え」
「うわ、ダサぁ……」
すると、蘭子がスマホのディスプレイを見せてくる。
「あー、
「ぐぬぬぬ……」
それは俺の尊厳に関わる。
だが、奢るのは嫌だ。電車賃だって馬鹿高かったんだ。それに、カフェやら買い物やらで今月は金を使い過ぎている。これ以上の出費は許容出来ない。
どうにかして得する方法は――――はっ!
あった。1つだけ。この状況を打開する方法が。
俺は握り拳を
「男気じゃんけんで決めよう!」
「は?」
蘭子がポカンとした。
「男気じゃんけんで決めようぜ!」
「何それ?」
「知らないのか? 男気を見せるじゃんけんのことだ」
「と、男気が無い人間が言っているが?」
「くっ……」
「それに、ウチは女で、アンタは男だ。男気を見せるのはアンタだろ」
「そんなことはどうでもいいんだ!」
蘭子の的確なツッコミは無視して、このままゴリ押す。
「じゃんけんで勝った人間が奢る。いわば、男気を見せつけることが出来るというじゃんけんだ。これで白黒つけようじゃねぇか」
冷ややかな目を向けてくる蘭子をスルーして、俺は財布を出した。
「あー、払いてぇ!」
「じゃあ払えよ」
「そういうことじゃねぇよ! 男気じゃんけんには前振りがあるんだよ。払いてぇ払いてぇって、男気を見せたがるパフォーマンスが。さあ、蘭子もやれ」
「めんどくせー」
そう言いつつ、蘭子はレシートを持って、ペラペラと揺らす。
「あー払いてー」
棒読みなうえに表情が無であったが、見逃すとしよう。
「さ、じゃんけんするぞ」
拳を前に出す。すると、蘭子も前に出した。いざ、拳を前に出すと、好戦的な表情で拳を前に出した。
ゴネた場合はプライドを
賭け事は好きらしい。
「掛け声は?」
「『男気じゃんけん、じゃんけん、ポン』だ」
「上等!」
「「男気じゃんけん、じゃんけん――――!」」
パー。
チョキ。
「ぃよっっっっしゃぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
俺は歓喜した。
男気じゃんけんの勝率を上げる方法はある。
まず、日本人は大抵何かを迫られた時、”待つ”を選択する。そちらの方が心理的負担が少ないからだ。
加えて、俺はじゃんけんの掛け声を少しはやく言うテクニックを使った。
人は急な出来事に対して、身体が動かないということがある。人間は”動くか”、”受け止めるか”という判断を急に迫られた時、人間の本能は受け止めるという判断をすることが多い。
交通事故において、素早く動けば助かることがあるのに、動かなかったというのは、その本能のせいだという。
この性質を利用するために、俺は掛け声をはやく言った。
じゃんけんの掛け声時、蘭子の手は丸くなっていた。『最初はグー』の影響だろう。
ここから俺は、蘭子が出す手を予測した。
このように考え抜いた結果、俺は勝った。
そう、勝ってしまった。
つまり、支払うのは俺だ。
蘭子がにへら、と心底嬉しそうに笑う。
おかしい。グーを出すよう誘導したはずなのに、バーを出してきやがった。
「そんなに喜ぶなんて、やっぱり払いたかったんじゃん」
このやろ〜〜〜。
ゲームのルール上、笑顔を作ったが、俺は蘭子を
「情けねぇな。お前の中で唯一良いのは服のセンスだけだな」
俺のことを褒めたようだが、今着ている服を選んだのは茉莉だ。結局、俺の良いところを見つけられなかったようだ。
「へへへ、サンキュ」
蘭子はレシートを裏面にして俺の前にビタンと置く。
恐る恐るめくると、『バナナオーレ 859円』と記入されていた。
悔しさを噛みしめ、レジへ向かう。
会計をしている間、蘭子は「お先」と待つことなく店の外へ出た。
すっからかんになった財布を握りしめ、外で待つ蘭子のもとへ向かった。
「覚えてろよ」
「な、何をですか?」
「俺に金を払わせたことだよ」
「や、やややっ、やっぱりそうだったんですね。すみません!」
ガバッと蘭子が頭を下げた。
いや違う、この子は綿子だ。そういえば、ポニーテールを解いている。
「いいい今払います。いくらですか?」
慌てて財布を出そうとする綿子を、俺は慌てて止める。
「いや、いいんだ。賭けで負けたんだからな」
賭けで負けた以上、男らしく払う。それがルールだ。ここで綿子の甘い誘いに乗って割り勘にしてしまったら、蘭子に完全に敗北したことになる。それは嫌だ。
「……賭け、ですか?」
綿子はイマイチ理解が追いついていない顔をしていた。
「蘭子の時の記憶はないのか?」
「……実は……はい。すみません」
なるほど。
日記やメモ帳なんかで互いの人格の時に起こった出来事を書いて、補完しているんだろうな。
「いや、頭下げなくていいから。まぁ、でもその低姿勢を蘭子も見習ってくれるといいんだけどな」
「はい……」
力なく頷く綿子。負い目を感じるような、落ち込んでいるような、そんな暗い表情をしている。
「あ、あの…………変ですよね? 私達のこと。普通じゃないですよね」
「まぁ、うん。変だね」
正直、電波なんじゃないかって、今でも疑っている。
「変………」
変、という言葉を聞き、綿子の表情がさらに暗くなった。
そしてまた俺に頭を下げる。
「すみません。不快な気持ちにさせてしまって。嫌われるから、本当は隠したかったんですけど」
「なんで隠すの? 別によくね?」
「え……?」
綿子は首を傾げた。
「だって、変って言いませんでした?」
「言ったけど、変って悪いことじゃないでしょ」
「わ、悪いことですよ。しかも、不快な気持ちになったんですよね」
「なったけど、それは二重人格だからじゃない。蘭子の態度が気に入らなかっただけだ。だから蘭子が悪い。綿子は一切関係ない」
「いや…………でも、治したいです」
「治したいなら治せばいいけど、俺は治さなくていいと思うけどな」
「なんでですか?」
「なんでって、綿子も蘭子も互いに理解しあってるから、別に消す必要は無いかなって思っただけなんだけど。別に人格が2つあったっていいじゃん」
「えっ……?」
綿子がきょとんとした。
「よっ……よっ……!」
綿子が、少しだけキツイ眼差しを俺に向ける。
「よくないですよ!」
大声を出した。気に止まっていた鳥が驚いて飛んで行く。
「このせいで、周りの人から
「それは辛いけど、悪いことじゃないでしょ」
「だからっ! 悪いことですよ! 病気なんです! 二重人格は!」
綿子は理解に苦しんでいた。あんなに大人しかった人間が声を荒げて怒鳴るとは、今まで本当に悩んでいたことだろう。
今まで嫌なことや辛いこと、たくさん経験してきたのかもしれない。
綿子の言い分は分かるが、どうも本心で言ってるようには見えない。なんか言い聞かせている気がする。
「だって、蘭子も綿子の大事な人じゃん」
「―――――っ」
綿子が目を見開いた。綿子の中にいる蘭子も、目を見開いていた―――気がした。
「それは……」
言い
「それ、蘭子のものだろ? 普通、どうでもいい物は鞄にしまっておくか、そもそも持って行かない。けど、綿子はそれを左手首に持ち歩いている。それってさ、蘭子のこと、大切に思っている証拠だろ」
綿子はヘアゴムを触る。色々な感情を含んだ顔をしていたが、それを一言で表すとすれば、”愛情”だと思う。
「必要なのは治すことじゃなくて、理解してくれる人を探すことじゃないかな」
「雨宮先生……」
柄にもなく説教臭いことを言ってしまって、気恥ずかしくなった俺は、
「あ、でも、蘭子の先輩に対する態度は直した方がいいって伝えといてくれ」
恥ずかしさを
「あ、あ、ありがとうございます」
ガバッと頭を下げたあと、綿子はゆっくりと顔を上げる。
「やはり、ヤマトみたいなこと言うんですね」
「やまと……?」
誰だ? 芸能人か?
「”脱落パーティ”の主人公です。なんか似てます」
あぁー、と典型的なラノベ主人公の顔が頭に顔が浮かんできた。
「嬉しくないなぁ」
能力低いし、説教臭いし、セクハラするしで、現実世界にいたら嫌われることはもちろん、捕まっている可能性がある。
でも、綿子は微笑んで言う。
「私は、似てるって言われたら嬉しいです」
柔らかい太陽の日差しに照らされた綿子の笑顔は、あどけなかった。俺が思い描く理想の文学少女の笑顔が、そこにあった。
「ヤマトを好きになったきっかけは、ジェシカに対する言葉なんです。『魔法が使えない魔法使いってさ、めちゃくちゃ魅力的じゃん。これからどんな風に魔法が使えるようになるのか、楽しみでしょうがないぞ。だから、俺と一緒に冒険しようぜ!』っていう言葉が」
詰まることなく言えたのは、本当に好きなんだろう。
「でも、物語の中のキャラクターが言うのと、実際の人が言うのとで、こんなに違うとは思いませんでした」
綿子の頬が少し朱くなった。綿子の表情は、単なる尊敬からくるものか、それとも何か別の感情も――――
自分の顔が急激に熱くなるのを感じ、俺は考えるのを止めた。これ以上考えたら、舞い上がってしまいそうだ。
「そ、そうかな? まぁ、じっくり向き合えばいいさ。さ、今日はもう帰ろうぜ」
公園をぶらつくだけでも良いが、蘭子に負けたせいでジュースを買う金すら無い。
「はい……。あ、あのっ!」
歩き出そうとすると、綿子が勇気を絞り出すような声を発した。
「れ、れ、連絡先っ、交換していただけないでしょうかっ!」
スマートフォンを前に出して、深々とお願いする。綿子の表情は、もう一生懸命だった。
その姿がなんか、妙な光景過ぎて思わず笑ってしまった。
「―――?」
不思議そうな表情を見せてくる綿子。
俺はゆっくりとスマートフォンを出して、
「いいよ」
優しく答えた。
「あっ、ありがとうございます!」
綿子は、また深々とお辞儀した。
少し強い風が俺達の間に吹く。蘭子が「やめとけ」って言ってるような、そんな感じがした。
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