第15話 綿子は、いつもこんな感じだそうです

 東急東横線の中で、綿子先生が書いている小説『大学生から始める寮長生活~男子禁制って、オレ男なんだけどっ!?~』を読んだ。


 1週間ごとに1話更新でいいという話なのに、すでに9話まで公開されていた。俺なんか1話ですでに行き詰まっているんだが……。


 で、読んだ感想だが、めちゃくちゃ面白かった。


 根暗な男子どもおれたちが熱中するわけだ。おかげで電車を乗り過ごしてしまった。


 男性読者をターゲットにしてあるだけあって、5人のヒロイン全員がとても愛らしい。


 クサいけどこういうやり取りしてみたい女子との会話、アホみたいに可愛いヒロイン達のハーレム、そしてご都合主義だが燃える展開と、ライトノベルの王道を突っ走っていた。


 そう、この小説には冴えない男子おれたちの夢がつまっている。


 読んでいてワクワクする。


 そういえば、俺もこういう青春を夢見て、背伸びして進学校に入ったんだ。


 現実は厳しかったけど。


 マジで億劫おっくうだった今日の会合かいごうも、読んでいくうちに楽しみになってきた。


 会うのが楽しみだ。


「次は〜井之頭公園~」


 井の頭線の車内アナウンスが独特の声とイントネーションで伝える。


 さて、綿子先生はいったいどんな人間だろうか。


 菜月さんから話を聞く限り女性だという。


 理想は美人大学生。綿子先生の書いた小説と同じ、年下男子に甘えさせてくれるスタイル抜群の女子大生を所望する。


 が、現実はそんなに甘くはない。


 まぁ、話が合えばいいや。


 電車がとまり、ドアが開く。


 胸の高鳴りを茉莉に選んでもらった服で包んで、俺は一歩を踏み出した。


 すると、駅のベンチに座っていた一人の少女が俺を見るなり、とっさに前髪を整えた。


 忙しなく席を立ち、俺の方へ向かってくる。少女の目は、完全に俺の目を捉えていた。


 なんだ? 美人局つつもたせか? 


 甘いな。


 俺はケツの青いガキはタイプじゃないんだな。週刊プレイボーイとかに載る大人の色気を持った人間が好みなんだ。


 胸中に呟いた言葉とは裏腹に、胸が高鳴る。


 情けないことに身体は正直だった。


 この世に心が読める異能が存在してなくてよかったと、本気で思った。


「あの……えと、雨宮キタロー先生ですよね?」


 か細く、可愛い声。


「え? あ……はい、そうですけど」


 ファンか? 


 いやしかし、俺は顔を公表していない。


 もしかして、顔写真が流出してるのかな。


 ……なんか怖くなってきた。


「よかった。来てくれた」


 そうつぶやいた少女は礼儀正しくお辞儀する。


「こんにちは。綿子です」


「………………………えっ?」


 目の前にいる黒髪ロングの少女は、俺よりも幼かった。


 ※


 綿子先生の案内で、井の頭公園と吉祥寺の間にある、お洒落なカフェへ入った。


 カフェにしてはそこそこ広い店内であったが、すでにたくさんの客がいて、わりと騒がしい。


 客は高校生—―――いや、大学生らしき女性ペアやカップルがほとんど。しかも着ている服がお洒落。身につけているアクセサリーもお洒落。もう、全部お洒落。


 悪くない。


「ふむ」


 多分、ドリンクめっちゃ高いと思う。スタヴァより高いと思う。


 席に座るなり、若い女性店員がメニューとおしぼりをテーブルに置く。


 メニューから禍々まがまがしいオーラを感じる。


 嫌な予感がする。開けるのが怖い。


「ここ、私、よく行くんです」


 照れているのか、声のボリュームはやや小さい。


「へぇー、友達と?」


「その……恥ずかしながら……1人で」


「そうなんですか。中学校って寄り道オッケーなんですね」


 カフェに向かう道すがら、綿子先生から聞いた情報によると、中学3年生だそうだ。


 この近くにある小学校から大学まである私立早乙女中学校に所属している。


 早乙女中学校は、いわゆるお嬢様学校で、偏差値もバリバリ高い。そして親の所得もバリバリバリ高い。


 ただ、綿子先生が着ている服は、そんなに高そうに見えなかった。


 左腕には時計ではなく、ヘアゴムを着けていた。


 意外と庶民的なのかもしれない。


「はい。電車通学の人もいますから。……あ、すみません。緊張してしまって、自己紹介が遅れました」


「いや、さっき綿子っておっしゃってましたけど?」


「綿子は……ペンネームなんです。本名は綿貫蘭子と申します」


「へぇー。綿貫蘭子の左右をとって綿子、なんですね」


「は、はい、そうなんです。あ……安直あんちょくですよね?」


「綿貫蘭子の左右をとって、綿子です。安直かなと思いましたけど……」


「それだったら俺も同じですよ。俺、滝藤喜太郎って言うんですけど、キタローは本名のまま使ってて、雨宮は作家を検索する際にア行だったら一番上にくるかなってよこしまな想いでつけましたから」


「そうだったんですか」


 綿子先生がクスリと笑う。


「あ、でもそうしたら、なんて呼べばいいですかね?」


「わ、綿子って呼んでくださると、う、嬉しいです」


「わかりました。俺のことは好きに呼んでください」


「で、では、きっ……いや……すみません、雨宮先生で……」


 し目がちな綿子先生の頬と耳は、真っ赤だった。年相応で可愛い。


 うん、雰囲気は悪くないな。


 会う前は、気難しいオッサンだったらどうしようかと不安だったけど、よかった。


 これなら仲良くなれそうだ。


「……あ、すみません話し込んじゃって。メ、メニューをどうぞ」


「ありがとうございます」


 メニューを開く。


 アイスコーヒー 750円(税抜き)


 俺は、目の前にいる綿子を見た。


「お、オススメはですね。ブリュレコーヒーです。私、今日はこれを飲みに来たんです」


 メニューに目を落とす。


 ブリュレコーヒー 999円(税抜き)


 パタン、とメニューを閉じた。


「あ、あの、どうしました?」


 綿子が不安そうな顔を浮かべる。


 駄目だ、コイツとは仲良くなれねぇ。金銭感覚が違い過ぎる。


 このブリュレコーヒー、この前俺が売ったPS3のゲーム7本分じゃねぇか。


 小学校の頃、必死に貯めて買ったゲーム―—―思い出—――より高いコーヒーって……。


 なんか、夏休みをゲーム三昧で過ごした小学校生活が急激に色せてきた。


「あ……あの、決まりました?」


「いや……まだ」


 メニューを再び開ける。ドリンクは3ページある。


「種類が多くてさ、なに頼むか迷っちゃいますよね」


「わかります。すべて美味しそうですよね」


 高いの間違いではないかと思うのだが。


「とりあえず、俺はもうちょっと悩もうかな。とりあえず、綿子先生は注文するでしょう?」

 

 挙手して店員を呼んだあと、そのまま水を飲もうとテーブルに手を伸ばす。


 ……あ、あれ? 水がない。


「どうしたんですか?」


「水がないな~って思いまして」


「あ、あのですね、水は有料なんです」


「有料!?」


 そんな店、聞いたことないぞ。


 慌ててメニューを開き、水の在り方を探す。


 …………あった。ドリンクページの1番最後に、小さく。


 アルプス水 220円(税抜き)


 下にはこんな説明文も追加されていた。


『産地直送。アルプスを感じる水を、ぜひご堪能たんのうください!』


 舐めてるのか?


「お待たせしました。ご注文を承ります」


 やべ、店員が来ちゃった。


 なげいている暇は無い。考えろ、俺。考えるんだ。


「えーっと」


 水の次に安い飲み物を探す。


 あった! ブラッドオレンジジュース590円(税抜き)が。


 …………たっけぇ。


 え、なに? 売れるとこんな飲み物も缶ジュース感覚で買えるのか?


「ブリュレコーヒーをください」


 飲み物を頼んだ綿子が、こっちを見てくる。


 どうするんだ俺?

 

 ブラッドオレンジジュースにするか?


 好きだけど、今日は気分じゃない。


 じゃあ、水? ギャグっぽく頼んでみる?


 それはダサすぎる。


 チンケな作家だが、後輩に舐められたないというプライドくらい持っている。


 財布か、好みか、プライドか。


 メニューをバタンと閉じる。


「――――俺も、ブリュレコーヒーで」


「かしこまりました。ブリュレコーヒー2つですね。ありがとうございます」


 店員が軽くお辞儀して、厨房の方へと去っていった。


 決め顔で頼んでやったぜ。


 悔いはねぇ。これが俺の最善だ。満足だ。


「ど、どうしたんですか雨宮先生。悲しそうな顔をしてますよ」


「ちょっとね、最近観たアニメの最終回がね」


 どれだけ言い聞かせても、本心は偽れないらしい。


「そ、そうですか」


 綿子がちょっとだけ引いていた。


 特に会話も無いまま待っていると、ブリュレコーヒーがきた。


 目の前に置かれた瞬間、焦がした砂糖の甘くてちょっぴり苦い匂いがした。


「良い匂い」


 こんなに高いの頼んだんだ。せっかくだから、写真を残しておくのも悪くは無い。


 ポケットからスマートフォンを出して、写真を撮る。ついでに鹿島に自慢するか。


 俺は『こんなコーヒー見たことないだろう』と鹿島に送り、スマホをポケットにしまった。


「い、良い匂いですよね」


 俺は頷いた。温かいうちにコーヒーを飲む。


「うん、美味しい」


「そうですか」


 綿子がはにかんだ。


「喜んでもらえて何よりです」


 いや、喜んではねぇよ?


 今でもマックでコーヒー飲んでおけばと後悔しているから。


 綿子がカップに口をつける。


 あちっ、と可愛く舌を出した。


「単刀直入に訊いちゃうけど、綿子って俺のファンなんだよね?」


 ブリュレコーヒーを俺に頼ませたんだ。もう呼び捨て&タメ口で話してやる。つか、俺の方が先輩なんだから、先輩風吹かしたっていいよな。


「は、はい。早速なんですけど、サイン頂いてもいいですか?」


 赤色の手帳と”脱落パーティ”1巻、サインペンを俺に渡してくる。


「別にいいけど、メルカリに売っても一銭もならないぞ」


「う、売るなんてとんでもない! 宝物にさせていただきます」


「それはそれで重いな……」


 とりあえずサインをして、綿子に返す。

 

「わぁぁぁぁぁ! ありがとうございます!」


 綿さっきまでの小声が嘘のように、大きい声を出して喜ぶ。もしかして、今日一番の笑顔だったんじゃないか?


「あの、私、雨宮先生のファンなんです。大ファンなんです。”脱力パーティ”は今出ている巻は全て3つ買いましたし、いま投稿されている『ヒロイン争奪戦』も読ませていただいてます。あれ、とても面白かったです。票も入れました」


 あ、投票者がここにいた。これで5票中4票が見つかった。


「あ、ありがとう。俺も綿子の作品読ませてもらった。めちゃくちゃ面白かった。なんか、男心をくすぐるのが上手いなって思ったよ」


「そ、そうですか。えへへ、ありがとうございます」


 先程のオドオドしていた感じはなくなり、完全に壁を取り去ったのかもしれない。


 つか、さっきまでは憎悪の眼鏡を通して見ていたから気付かなかったけど、結構可愛い顔しているんだよな。目はぱっちりしているし、唇はぷるっとしているし。


 メイクはしていないことが、逆に可愛さを際立たせている。


「私、雨宮先生の小説を読んで、小説を書きたいって思ったんです」


「え、なんで? こんなストーリーなら私の方がもっと書けるって思ったから?」


「い、いやっ! そんなわけないじゃないですか! 滅相めっそうもありませんっ!」


 綿子は手をぶんぶん振った。なんか、子犬っぽいな。手とか、俺の手で包み込めるほど小さいし。


「主人公のヤマトが、好きなんです。あの、どんな人でも、その人の強みをしっかり把握して、生かしてくれる。あと、どんな人に対しても馬鹿にしたり、悪口を言ったりしないところが特に大好きなんです。極めつけは、どんな時でも果敢かかんに立ち向かうところも好きなんです」


 嬉しそうな表情でまくし立てる綿子に、俺は思わずたじたじ。


「そしてそしてですね――――あっ……」


 苦笑いする俺の顔を見て、申し訳なさそうな顔をした。


「ごめんなさい。痛い子でしたよね」


「いやいや、嬉しいよ」


「えっ!?」


 綿子が驚愕きょうがくしていた。


 それもそのはず、俺が涙を流していたからだ。


「な、何か気に障ること言いましたか?」


 オロオロし始める綿子に、俺は首をゆっくり横に振り、涙をぬぐった。


「綿子—――いや、綿子先生。ありがとう。そんなふうに言ってくれるなんて」


 嬉しすぎる!


 レビューでたたかれ、編集者達に嘲笑あざわらわれ、アニメ制作会社から見向きもされなかった俺の小説を、同業者がここまで語ってくれるなんて。


 綿子なんて呼び捨てにしちゃ駄目だ。ちゃんと綿子先生と呼ばなきゃ。


 距離をちぢめるつもりはなかったけど、もっと知りたくなったな。


「そういえば、綿子先生ってどこの新人賞でデビューしたんだっけ?」


「雷撃小説大賞で銀賞でした。雨宮先生は?」


「いや、あの……実はまだ何の賞も貰ったことがないんだ。未だに……」


「えっ」


 ズン、と空気が重くなり始める。


「…………あ、もしかして、小説投稿サイト出身ですか? 実は私もサイト出身なんです。これ、オフレコにしておいてくださいね」


 口元で指を小さくバツにした。


「いやぁー、そこも出身じゃないんだよ」


「……では?」


「拾われたんだよ、今の担当に。三次選考で落ちた時に拾われて。しかもそれが知り合いで。もしかしたら、コネでなれたのかも。………ははは」


 ズーン、と空気が重くなる。


「ま、まぁ、デビューの仕方は人それぞれですか。それに、雨宮先生の”脱落パーティ”の価値は不変ですし」


「そう言ってくれると助かるよ」


 苦笑しながら、コーヒーを飲んだ。

 

 苦い。いつもより苦い。ブリュレが残っているから甘いはずなのだが、苦味しか感じない。


 綿子の表情が苦しくなっている。俺から振った話題とはいえ、ここまで空気が暗くなるとは思わなかったんだろう。


「…………そ、そういえば、さ、さっきも言ったんですけど雨宮先生の『ヒロイン争奪戦』も面白かったです。15作品の中でもダントツです」


「ありがとう。最下位だったんだけどね」


「さ、最下位ですか? ……何票だったんですか?」


「5票」


「ごっ………」


 ズド―――ン! 


 もう、修復不可能なレベルまで空気が重くなった。


 先程の和やかな会話が嘘みたいに、雰囲気が暗い。


 あーあ、ついに綿子もうつむいてしまった。


 いやー、きついっすわ。この場所マジできついっすわー。


 さて、さっさと帰ってゲームでもすっか。久しぶりにラチェット&クランクでもやって、ストレスを吹っ飛ばそう。


 そう思って、席を立とうとした瞬間、


「ほらな、言ったろ。こんな奴、大したことないってさ」


 低い声と粗暴そぼうな口調が、綿子の方が聞こえた。


 空耳だろうか、と思って綿子を見る。


 すると、ガッとコーヒーカップをつかんで、ごくごくと飲む。


「かー、苦過ぎ」


 粗雑にカップを置いたあと、手を挙げて店員を呼んだ。


「お姉さーん。バナナオーレ1つ」


 頼み終わった後、ドカッと背もたれに体を預け、脚を組んだ綿子が俺を見る。


 さっきよりも眼光が鋭くなり、人相も悪くなっている。


 え、なにこれ? まるで別人のようだ。


「あ、あれ、綿子……?」


 そう問いかけると、彼女はうんざりした顔でこう返した。


「あぁ? ウチは綿子じゃねぇ。蘭子だ」


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