第14話 本当はスイート・スイート・ガール
椅子が動く音と生徒の声で教室が騒がしいなか、俺はゆっくり帰り支度をした。教室からある程度人がいなくなったのを確認した後、廊下に出た。
すると、廊下に背もたれていた一人の女子がこっちを向いた。
「行こっか」
茉莉が、控えめな笑顔を俺に向けた。
「ああ。ありがとな、付き合ってくれて。今日は頼むわ」
二人並んで歩く。
「今日は巻いてるんだな」
「うん」と、セミロングの髪のふわっと巻かれた毛先を触る。少しだけ照れながら、俺の方を向いた。
「今日は巻いてみた。どうかな?」
「似合ってるよ」
「ありがとう」
静かに笑う茉莉。
だから今日の教室はざわめいていたのか。
茉莉はいつもストレートで、左側のみを耳にかけるヘアスタイルだ。
それを今日だけ巻いてきたとなれば、教室がざわめくのも無理はない。
誰かと遊びに行くんじゃないかって。
俺と行く時くらい、楽にしてくれていいのに。
「で、今日はどこに行くんだ?」
「みなとみらい」
※
日ノ出町に降りた俺達は、みなとみらいまで徒歩で向かい、『MARK IS みなとみらい』というおしゃな長方形の建物へと入って行った。
「ここなら値段が高い物も安い物もあるからね。男性の服もたくさん売っているし」
「へぇー……」
灰色の基調とした解放感ある内装は、落ち着きを持たせる。
――――それにしても。
茉莉の周りを見る。男も女も茉莉の顔を見ていた。
おいおい、ちょっとモテ過ぎやしませんかね?
通りすぎる男子校生の中には、
「めっちゃ可愛くね!?」
「クラスに欲しい」
聞いてもない感想を口々に発していた。
なかには、「あの校章、金高じゃん」とか学校を特定してくる
こりゃあ、文化祭は大変なことになるな。
その発言に一切反応することもなく、楽しそうな雰囲気を出して歩く茉莉は、ある意味すごい。
だったら俺も変に触れる必要はない。
ということで昨日見た漫才が面白かった話をしようと口を開いた時、
「隣の彼氏は
すれ違った際に言い捨てられた。
言ってくれるじゃないか、学ラン野郎。
髪型だけの雰囲気イケメンのくせして偉そうに。
「喜太郎の顔、かっこいいのに。
茉莉が勝手にフォローした。
こういうことを恥ずかしげもなく言えるところは、菜月さんに似ているな。
「一度、お前の目を通して俺を見てみたいよ」
「鏡、貸そうか?」
「そういうことじゃなくて……まぁいいや」
暴言を吐いた人物の顔は覚えた。文化祭に来た時に精一杯復讐してやるとして、今は買い物に集中しよう。
「何着買う予定?」
「とりあえず、土曜着る服だけいいや」
「わかった。靴は喜太郎が持っているコンバースのでいいと思うんだけど、どう思う?」
「茉莉が言うなら、靴はいらないかな。無理矢理とは言え、菜月さんのお金だし、余計な物は買わない方向で」
「うん、わかった」
茉莉に連れて行かれたのは、一階の店だった。
あまり遊びに行かない俺でもわかる。高校生が着なさそうな、値段が高い服ばかり売ってる。
「私ね、喜太郎は下は高い物を買って、上は安い物をたくさん着回す方がいいかなって思ってる」
下とはパンツのことで、上はトップスのことだろう。
「なんで?」
「下って上に比べて種類少ないし、合わせ方が難しいから。だったら一点良いのを買って大事にした方がいいと思う。それに、良い物を一切身につけていないのよりかは、一点でもこだわり持って身に付けている方がファッションに興味あるふうに見えるし」
「へぇー。それ、時計じゃダメかな?」
いま、身につけている頑丈なデジタル時計を、茉莉に見せる。防水だし、見やすいし、傷つきにくい。安物なので、仮に傷がついても精神的ダメージは少ない。
ただ、菜月さんが付けている銀の腕時計が大人びていてとてもかっこよかった。ファッションに興味ない俺も、欲しいと思ってしまった。
「高校生なら身の丈に合った時計がいいと思う。時計って良くも悪くも目立つから」
たしかに。
5組の長嶋のデカい銀の腕時計とか、悪目立ちしていたな。柄の悪さが出ていた。
「でも、喜太郎が時計好きなら時計にしよう」
「いや、茉莉に賭ける。茉莉の言ってることの方が正しいと思うし、茉莉に言う通りにする」
「そう、じゃあ気合入れないとね」
1階での買い物は続行となった。
店にあるパンツを吟味した。
「無難なのは黒のスキニー。落ち着いたのなら紺のジーンズ。挑戦するなら白のパンツかな。喜太郎はどれがいい?」
「うーん、無難なのがいいな。白とか合わせ方わからないし」
「わかった」
そう言うと、黒のスキニーパンツを2着と、紺のジーンズを1着持ってきて俺を試着室にぶち込んだ。
「着たら開けてね」
俺は返事して、手っ取り早く着替えて茉莉に見せる。
じーっと見た後、茉莉は頷いた。
「うん、似合ってる」
「そ、そうかな?」
「うん」
茉莉が微笑みながら頷く。その笑顔はちょっと反則じゃないか?
その後、残り2着も試着した。そのどれもを「似合ってる」と褒めてくれた。
全て試着し終わると、茉莉が訊く。
「どれがよかった?」
「うーん、迷うな」
「じゃあ、一番着やすかったのは?」
「多分、最初かな」
「そう。じゃあ最初のパンツにしよう」
そう言って、茉莉が買わない2着を俺の腕から取って、棚に戻しにいった。
その間、俺は会計を済ませた。
ものの10分もかからず、下は決まった。
コートよりも高いパンツを買ったのは初めてだ。
続いて2階にある、比較的安い店に入った。
わいわい試着するのかと思ったが、茉莉の服を選ぶ目は真剣で、おふざけが入っていない。
コスプレ大会などはせずに必要だと思うものを選んで試着させる。必要最低限で済ます、というものだった。
服を俺の体に重ねては、元の場所に戻す。
相変わらず真面目で丁寧だ。
茉莉は独り言を一切発しないタイプだから、店にいる間は俺がずっと「うっ」とか「あっ」とかうろたえた声だけが残っていた。
「決まった」
茉莉が選んだのは、落ち着いたベージュの大きめなトレーナー、カーゴのシャツジャケット、そして水色のストライプシャツだった。
それを持って店員に引き渡し、俺はまたもや試着室にぶち込まれた。
こんなに試着するのか。俺はMサイズで間違ったことが無いから、普段は試着せずにレジに行ってしまうんだけど。
まぁ、言うことを聞くか。さっとワイシャツを脱いで最初に渡されたベージュのトレーナーを着る。
カーテンを開けると、茉莉が納得するようにうんと頷いた。
「似合ってる」
「さっきからそれしか言っていないぞ。本当に似合ってるのか?」
「うん、とっても」
あんまりにも真っすぐな瞳で言われるもんだから、気恥ずかしくて目を逸らしてしまった。
「そ、そうか! ありがとう! じゃあ、次着替える」
カーテンを閉めた。
さっきから俺は何をドキドキしてるんだ。
茉莉は前から俺のことを無駄に褒めちぎる、甘やかし幼馴染だったじゃないか。顔だってほぼ毎日見ている。連絡だって
それにしても、さっきの茉莉の表情を思い出す。髪型が変わったせいか、新鮮で見慣れない可愛さだった。
うん、髪型が悪い。髪型が悪いんだ、髪型が。
続いてシャツジャケットを着て、カーテンを開ける。そこでもやっぱり似合っていると良い表情で言ってくれた。
「本当は下に白Tを着るのがいいんだけどね。それでも似合ってる。かっこいい」
「ちょっと褒めすぎじゃない? 周りの目もあるしさ」
「本当のことだから。さ、最後の着て」
カーテンを閉め、最後のストライプシャツを着た。
「うん、これも似合ってる」
うん、そう言うと思ってたよ。
「さて、3つ着たけど、どれにすればいい?」
「これから暑くなるし、ストライプのシャツが使いやすいかも」
「そうか。ならシャツにしようかな」
「私もそれが良いと思う。じゃあ、着替えてて待ってて。買わない物は私にちょうだい。あと、ついでにお手洗いに行ってくるね」
「わかった」
俺は服を脱ぎ、
無関係なのに嫌な顔1つ見せず付き合ってくれた茉莉には、何かお礼したい。
本当は茉莉に好みを聞く買うのがベストだが、茉莉は奢られるのを
悩んでいる時間は無い。
直感で黒と白のシュシュを選び、手早く買い物を済ませた。
もちろん、シュシュのお金は自腹である。
シュシュだけはプレゼント用に包んでもらうよう、男の店員にお願いすると、
「さっきの彼女にですか?」
「彼女だったら、よかったですけどね」
「あ、そうなんですか。でしたら、頑張ってください」
「ありがとうございます」
品物を受け取った俺は、すぐにバッグへ入れた。
※
一通り買い物を済ませた俺達は、建物を出た。時刻は午後5時。そろそろ電車に乗って帰ろうかと思った時、ふと広場にある真っ赤の店が目に入った。
「なぁ、まだ時間ある?」
「うん、あるけど……」
「じゃあ、あそこでクレープ食べようぜ?」
頷くのを確認してから、俺達は赤い店に向かった。
二人で看板にあるメニューを見る。
「何にする?」
姿勢をやや下に向けて悩む茉莉。少し逡巡のち、
「イチゴクリームパフェにする」
一番値段が安いパフェを選んだ。
「はぁー」
思わず
モテるくせに男と遊ばないから、甘え方も知らないんだよ。
そんなんじゃ、せっかくの容姿が
「本当はこれが良かったんだろ?」
指差したのは、最初に選択したパフェより300円ほど高いストロベリーラズベリーチョコアイスパフェ。
「なんで……?」
「目が一瞬釘付けになっていたからな」
「……隠し事出来ないね」
「付き合い長いからな」
そう、と
「でも高いから」
「何言ってんだ。ここは俺が奢る。買い物に付き合ってもらったお礼だ」
「大丈夫。自分のは自分で払うよ」
バッグから財布を取り出そうとする。
「たまには良い
でも、と反論するうるさい茉莉を無視して、ストロベリーラズベリーチョコアイスパフェとバナナチョコクリームパフェを頼んだ。
「ありがと……でも、そんなことしなくてもいいのに。私だって、少ないけどバイトしてるのに」
「そこは素直にありがとうだけでいいんだぞ?」
申し訳なさそうと思ったのも一瞬、すぐに頷いて、もう一度言った。
「ありがとう、喜太郎」
今度はちゃんと笑顔を見せた。普通の人から控えめな笑顔だと思うんだろうけど、俺はこの笑顔が茉莉の中で満面の笑みだということを知っている。
この笑顔を見られただけで、奢った
クレープを受け取り、近くにあったベンチに座って食べる。
「久しぶりに食べたけど、美味いなこれ!」
「うん」
茉莉も本当に美味しそうに食べている。確かに茉莉が食べているストロベリーは美味しそうだった。
視線に気付いた茉莉が、俺の方にパフェを向けてくる。
「食べる? 美味しいよ」
間接キス、という感覚は茉莉には無いんだろうな。
俺はその好意に甘え、茉莉が持っているパフェを一口貰った。でも一応、茉莉が食べたところとは違う部分を食べた。
「美味しいでしょ?」
「ああ。美味しい」
顔が熱くて味がわからない。
「喜太郎のも少しちょうだい?」
「……ああ、いいよ」
俺はクレープを向けた。
すると茉莉はクレープを持つ俺の手を引き寄せ、俺の食べた部分をあむっと食べた。おいおい。
「喜太郎のも美味しいね」
「ああ。2つとも美味しいってことは、他のも美味しいんだろうな」
「私、焼きリンゴクリームに興味ある」
「俺は、甘辛そぼろ&サルサが食べたいな」
「じゃあ、次もまた行こうね」
そう約束を取り付けて、茉莉は俺が食べた部分を食べた。
そのまま2人でクレープを食べていく。
「そういえば、アキには高校の制服を見せた?」
俺はクレープを食べ、ゆっくり
アキ、とは2歳下の俺の妹で、本名は
—―――駄目だ、思い出すな。
「見せてないな」
胸の痛みを誤魔化すように、クレープを頬張った。クリームの甘ったるさが苦い思い出をまどろませてくれる。
「見せなきゃダメだよ。
「母さんは菜月さんと通じてるだろ。入学式に茉莉と校門の前で撮ったモノを送ってるはずだ」
聡美とは俺の母さんで、よく菜月さんとやり取りをしている。たまに電話することもあるくらいだ。譲二は俺の父だ。
「送ってないって。制服は実物を見てこそ、ってお姉ちゃんが」
菜月さんめ……。綿子先生には余計な写真を送るくせに、肝心な写真は送らないとは。
「そうかもしれないけど……茉莉だって知ってるはずだろ」
思った以上に語気が鋭くなってしまった。
家出した理由は、大人から見ればちっぽけな、それこそ幼い理由だ。ただの反抗期で済ませてしまえるだろう。でも、俺にとっては大事なことなんだ。
「知ってるよ。知ってるうえで言ってる」
優しい声音。でも、しっかりと
「喜太郎だって、私のこと知ってるでしょ」
言葉は出さなかった。出せるはずがなかった。
茉莉の――――茉莉と菜月さんの境遇は知っている。2人は俺とは比べ物にならないほど、辛い過去を経験している。
最低だ、俺。茉莉にこんなこと言わせるなんて。
そう思ったものの、何を言えばいいか分からない俺は、とりあえずクレープを食べた。空気も重い。クレープ食べ終わるまでに答えをだせばいい。
そう思ったのは甘い考えで、ついに答えが出ないままクレープを食べ終わってしまった。茉莉も食べ終わった。
とりあえず謝ろう。さっきの語気の鋭さはよくなかった。
「あの……ごめ―――」
「はいこれ」
ふと、茉莉の手が俺の前に出てくる。受け取ったものは、ワインレッドのシュシュだった。
「なんだこれは?」
「アキにプレゼント。これで会いに行く理由ができたでしょ」
「お前なぁ……」
珍しくドヤ顔した。もちろん控えめだが、破壊力抜群だった。
「試着してた時にお手洗いに行ったでしょ? ごめん。あれ
くそー、やられた。まさかこんなことしてくるとは……。菜月さんの嫌なところが似てしまったな。それにあの控えめなドヤ顔、不覚にも見惚れてしまった。
「悪いけど私、バイトで忙しいから喜太郎が渡してね。もちろん手渡しで」
「くっ……」
「これで会いに行く理由は作ってあげたよ」
はっきりとした返答をしないでいると、
「ワガママだと思うけど、私、喜太郎とお姉ちゃんとアキの4人でまた仲良く遊びたい…………ダメかな?」
今度は申し訳なさそうな顔をしてきた。ここまでされて、はい無理ですと言える人間はどれほどいるのだろうか。
「……わかった。ここまでされちゃあ、会わないわけにはいかないな。それに、このシュシュは俺が使えるものでもないし」
「ありがとう」
「はぁー………」
大きく溜息ついた。
「ごめんね。色々あると思うけど――――」
「そうじゃないって」
俺はバッグから
「え、これって?」
菜月は驚いた様子で、俺を見た。
「今日付き合ってもらったお礼。言っとくけど、資金提供してくれた菜月さんにじゃないからな。好意で付き合ってくれたお礼だ」
「……開けていい?」
頷くと、茉莉は丁寧に紙の小包を開ける。中から出てきたものは、
「シュシュ……」
「ああ。茉莉の髪に合うんじゃないってな。早川家の家事担当だろ? その時に髪が邪魔にならないようにって買ったんだけど……はぁー、まさか被るとは」
「でも、色は違う」
「そこは良かったよ」
「いつ買ったの?」
「上の階で買った時、ちょうどレジの近くにあって。そこで買った。本当は別れ際に渡そうと思ったけど、今渡しちゃう」
すると、茉莉の顔に喜びの表情が広がる。
「このシュシュ、つけていい?」
「いや、今日の髪形良いからさ。気に入ったなら腕につけてくれよ」
「わかった」
茉莉は右手首にシュシュをつけ、大事そうに左手で触る。そして俺の方を向き、
「ありがとう」
今日一番の、とびきりの笑顔だった。あんまりに目が
「ま、さっきも言っとくけど家用に買ったやつだからな。間違っても学校に付けてくるんじゃねぇぞ」
「はいはい。家で付けますって」
今度は意見を言う子どもを優しく聞いてあげるお母さんのような笑顔を見せた。
今日はたくさんの笑顔を見れた。それだけで、俺は菜月さんに感謝した。
「……じゃあ、そろそろ帰るか」
「うん」
一緒のタイミングで立ち上がり、横に並んで帰った。小学生の時のように、仲良く談笑しながら。
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