第17話 俺の妹は、どうやら変わってしまったようです

 仕事としてライトノベルを書き始めた中学2年生の春に、早川菜月さんの力を借りて俺は実家を飛び出した。それから一度も実家には帰っていない。


 正月ぐらい帰ってきなさい、と母親に言われたこともあったが拒否した。


 なぜ中学生の俺が家を飛び出したのか。実家暮らしという、衣食住に困らない生活を送れる場所を抜け出したか。


 父親が、縁を切りたいほど大嫌いだからだ。


 家庭をかえりみないず仕事に打ち込むくせに、子どもの夢は簡単に否定する父親を、俺は心の底から軽蔑けいべつしている。出来れば、二度と顔を見たくない。


 生活は安定していないが、精神は飛び出す前より、飛び出した方が安定した。


 家出して良かった。


 ただ、飛び出して後悔したこともある。


 2歳下の妹・秋帆に寂しい思いをさせてしまったことだ。


 顔は父親と母親の良いとこ取りをした、可愛い顔だった。小学生の時は、誰々が妹のこと好きだ、という話をよく聞いた。


 飛び出したときの妹は小学6年生だった。一般の家庭ならばすでに兄や父を性別の違う汚い生物だと思う頃だろう。


 しかし、秋帆は違った。


 小学6年生になっても「お兄ちゃんお兄ちゃん」と俺の背中を追いかけ、何でもかんでも俺と一緒のことをしたがる、お兄ちゃんっ子だった。


 俺が絵を書き始めれば自由帳に絵を書き、料理をしようとすれば一緒に台所に立つ。


 同級生はもちろん、上級生や下級生から数多くのラブレターを貰っていたくせに、一切振り向くことなかった。


 だから、俺が実家を飛び出る日はわんさか泣いた。


『お兄ちゃん行かないでぇ! お兄ちゃんは私が守るからぁ……もう、泣いて困らせたりしないからぁ……お風呂も一人で入るからぁ……』


『そういうことじゃないんだよ』


『お願い……行かないでぇ……』


 秋帆の泣き声を背に、俺は走って家を後にした。


 あの時は、自分のことで手一杯だった。


 今だったら、出て行くにしてももう少しマシな別れ方をしただろう。少なくとも、泣き崩れる秋帆を無下に振り切ることはしない。


 その後、何回か実家から電話がきたが、一度も電話を取らなかった。


 秋帆の声を聞く勇気が出なかったから。


 そんな俺が、今日やっと実家へ帰る。しっかりと制服を着て、茉莉から貰ったいた


 すべて菜月さんの命令だけど。


 現在、日曜日の午前8時59分。ちょっと早すぎたかな。


 2年ぶりに見る実家は、拍子ひょうし抜けするくらい何も変わってなかった。30年ローンで買った一戸建てが古びてなくて、少し安心した。


 実家の敷居をまたいだとき、妹との思い出がよみがえる。


『お兄ちゃん、見て見て! お兄ちゃんが大好きなハンバーグ作ってみたの!』


『このゲーム難しいよぉ。どうやってクリアするの?』


『お兄ちゃんと結婚するのは、私だからね。やくそく!』


『おかえり! お兄ちゃん』


 つーんと、目頭めがしらが熱くなる。


 くそ、なんの涙だ。まるで秋帆が死んだみたいじゃないか。


 あいつは元気に生きてるというのに。というか、出て行ったのは俺だったのに。

 

 時刻は9時になった。


 俺は目にまったしずくぬぐい、ドアノブに手をかける。


 心臓がドクンドクンという。


 馬鹿か俺は。2年ぶりとはいえ、会うのは血のつながった家族だぞ。緊張する理由はないはずだ。


 そういえば、秋帆ももう中学2年生か。


 どんな顔しているんだろうか? いや、きっと年齢相当のあどけない顔をしているんだろうな。いや、もしかしたら綺麗な顔になっているのかもしれない。

 

 モテているのは確定だとして、彼氏はいるのだろうか。いたら嫌だなー。なんと言ったって、中学生に先越されるのは嫌だ。


 ……きっと、俺のことは嫌いになってるだろう。


 少なくとも、あの頃の甘えた秋帆はいない。もしかしたら口をきいてくれないかも。

 

 だが、お母さん別として、秋帆には嫌われても粘り強く関わっていこう。


 覚悟を決めて、ドアを開けた。


「た、ただい―――」


 玄関先にい私服姿のギャルと目が合う。


 瞬間、時が止まった。


「ごめんなさい。家、間違えたみたいです」


 俺はそっとドアを閉めた。


 いけない、いけない。


 入る家を間違えてしまった。


 俺のうっかり者め。


 ―――馬鹿か、間違えるわけがない。


 ここは横一列一軒家であるが、違う形をしている。よって、よっぽどの間抜けでない限り、間違えることはない。


 ただ、誤字ごじ脱字だつじを見落とす天才である俺のミスって可能性も捨てきれないので、もう一度表札を確認する。


 うん、滝藤って書いてある。間違いなくここだ。


 再度ドアノブに手をかけ、ガチャリと開ける。


「た、ただいま~……」


 すると、先ほどのギャルがジト目で俺を見る。対する俺は、目を丸くするばかり。


「なにやってんの、クソ兄貴?」


「く、クソ……?」


 肩までかかるシルバーアッシュの髪。毛先は緩くウェーブがかかっている。


 スタイルは、俺の記憶にあるより女性らしくなっている。


 荒れなど知らないすべすべの白肌に、発展途上の曲線。


 ちらっと見えたが、指にはネイルがしてあった。


 そして、まだ大人になれきれていない、あどけない顔。


「キモっ……。何ジロジロ見てんの」


 プイッと、ギャルがきびすを返して奥へと去っていく。


「キモって……」


 いや待て。


 このギャル、俺のことを兄貴と言ったぞ。クソがついていたけど。


 立ち尽くしていると、左の階段から母さんが降りてきた。


「おかえり! あ、ちゃんと制服着てきたのね!」


「………うん」


 嬉しそうに寄ってくる、2年前と何も変わらない母さん。


「やだ、少し身長も伸びたんじゃない」


「いや、母さん。あれ誰」


 ギャルが入って行ったリビングにつながる扉を指差す。


「やだ、秋帆じゃない。忘れちゃったの?」


 俺の思い出の中にある純粋じゅんすい無垢むくな秋帆の姿に、ピシッ、ピシッとヒビが入り、


「あ、でも…………」


「まぁ、ちょ~~~~~~っと変わったけど」


 パリンと割れた。


「いや、変わったというか………………」


 …………………………グレっちゃった。


 俺が飛び出して行っちゃったから、妹グレちゃったよ。


 俺はその場でスマホを出し、菜月さんのメッセージを送る。


『俺の妹は、どうやら変わってしまったようです』

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