第8話 といっても私、恋愛経験ないんだよね

 コーヒーの渋い香りとクリームの甘い香りがただよう、おしゃれな内装。


 午後4時ごろの店内は若い客でいっぱいだ。活気であふれている。


 そう、俺は今、スターヴァニタスコーヒー、りゃくしてスタヴァにいる。


 本来なら絶対に入らない場所であったが、取材のために意を決して飛び込んだ。


 まず驚いたのが店員の可愛さ、かっこよさ。


 なんだあれは? 


 下手なアイドルより可愛い子がいるぞ。


 しかも、女子高生とは違った、大人びた雰囲気がある。


 オシャレなエプロンの似合っているし。


 あんな子がいれてくれたコーヒーならさぞかし美味しいだろう。


 とにかく、スタヴァはレジに並ぶだけで楽しくなる。


 次に驚いたのは、メニューの意味不明さ。


 トールとかグランデとか、初めて聞くんですけど。え、何語?


 学校の教科書だとスモールとかラージとかで習うんだが。


 それにカフェのはずなのにフラペチーノとかいう、どんな飲み物か全く想像できないメニュー名がずらりと並んでいる。


 それに料金も高い。フラペチーノとか俺の昼飯代を余裕で超える。


 だが、スタヴァに入ったからには、フラペチーノとやらを頼んでみたい。


 しかし、これを頼むと明日の昼飯は学食の『ごはん・味噌汁・漬物』(税込80円)のみになる。それはしんどい。


 迷いに迷った末、俺の昼飯代とほぼ同じ値段のアイスコーヒーを頼んだ。


「こちら、お釣りになります。……お勉強ですか?」


 綺麗な茶髪をローポニーテルにしている店員が話しかけてきた。


「えっ? あ……はい、そうですね」


 ある意味ね。


「そうですか!」


 すると白いマジックペンでアイスコーヒーの入ったプラスチックカップに何かを書き、手渡してきた。


「頑張ってくださいね」


 お姉さんが年下の彼を応援するみたいな、温かみのある笑顔で手渡してきた。


「あ、ありがとうございます」


 受け取ったカップを見ると、そこには”ファイト!”と書かれていた。


 ああ、なんて良い店員さんなんだろう。笑顔が最高だし、惚れちゃいそうだ。


 痛い出費だったが、そんなこと気にならなくなるくらい良い気持ちだ。


 心をほわほわさせながらレジを後にした俺は、運良くお目当ての高校生カップルの隣の席に座ることが出来た。


 新品同様の英語の教科書を広げ、聞き耳を立てる。


「今日の小テスト、手応えあったな」


 彼氏が自信満々に言うと、彼女が苦い顔をした。


「えーうそぉ。私、微妙だった。最後の問題わかんなかった。トモに教えてもらったところは出来たけど」


 トモ、というのが彼氏の名前らしい。愛称を呼ぶ時に、ちゃんと愛がこもっていた。


「なら良いじゃん。今回は再テスト組に入るなよ」


「なったら勉強付き合って。ついでになぐさめて」


「いいよ」


 甘いベールに包まれていた。


 微笑ほほえましいなぁ。俺もあんなやり取りしてみたいなぁ。


 バレないようにそーっと彼女の方を見る。ちょこんとした可愛い女子高生だ。


 彼氏に笑顔を振りまいている。この女子高生が、笑顔のまま彼氏の前に手を出した。


「ケータイ」


「ん?」


「ケータイ見せて?」


「……いいよ」


「………………………………………ねぇ、なんでめぐみとメッセしてるの?」


 途端とたん、空気が凍る。


 ちょっ、超恐いんですけど……!? 


「いや、あっちから……」


「今度勉強教えてあげるって言ってるけど?」


「クラス一緒だし。教えるくらいいいだろ」


「ホントマジ口だけだね。他の女の子に優しくしないで、って言ったじゃん」


「いやそれは……」


 口ごもる彼氏。何故か俺まで追い込まれた気分になった。


 ど、どうなんの……? 


 数秒の沈黙のち、


「帰る」


「えっ」


「帰る」


 女子高生は立ち上がった。


 テーブルには彼女が飲んでいた何とかフラペチーノが半分以上残っていたが、バックだけ持って席を離れた。


「いっ、いやいや、待ってよ」


 彼氏の制止をシカトして、スタスタと無言で店を出て行く彼女。


 彼氏の方は大きなため息をつきながら、2つのカップを持って店を出て行った。


 ……べ、べべべべ勉強になるなぁ。現実はあまりにも残酷だぁ。


 とりあえず、スマホに今のやりとりをメモする。


「何してんの?」


「うわっ!」


 鹿島が目の前にいた。先程さきほど立ち去った彼女と同じ飲み物を持っている。


「ここいい?」


 頷くと、鹿島はすとんと座った。


「本、ありがとね」


「あ、ああ、別にいいよ」


 びっくりした。まさかこんなところで鹿島と会うとは。


 辺りを見回す。俺達と同じ高校の制服を着た人間は見当たらない。


 おそらく鹿島も一人でこのスタヴァに来たんだろう。


 でも、なんで俺のところに座るんだ?


 店内は混んではいるものの、一人席はまだ二席ほど空いてるぞ。


「それより、何しに来たんだ?」


「借りた本を読みに」


 鹿島はショルダータイプのスクールバッグをポンと叩いた。


 今朝、いつもより早めに学校に着いた俺は、鹿島のロッカーに本を入れた。


 学校で俺と話す姿を見られるのは嫌だろうから、誰にも見られないよう細心の注意を払って入れた。


 本もちゃんと紙のブックカバーをかけた。


 友達にあんな厨二病ちゅうにびょう全開の本を読んでいると知られたら、鹿島の印象が悪くなるからな。


 特に4巻は、ジェシカが際どい格好をしているので、カバーつけずに読むのは度胸がいる。


 俺なりの配慮をしてやったというのに、どうしてコイツは分けへだてなく接してくるの不思議でしょうがない。


 周りの目が気にならないのか?


「俺といるとうわさされるぞ?」


「噂って、どんな?」


「そりゃあ…………」


「付き合っているって?」


「あんな奴と一緒にいるって」


自己肯定感じここうていかん低いね。暗い男はモテないよ」


「うるさいなぁ」


「……で、滝藤は何やってるの? 勉強?」


「勉強」


「はいダウト」


 俺の顔めがけてびしっと指をさした。


「だって今開いているページ、学校でやってないところだし」


「予習だよ」


「はい、ダウト」


 今度は、はぁーと大きくため息をついた。そしてジト目で俺を見る。


「この前も似たようなやり取りしたよね? 何か隠しているよね?」


 スゥー、と俺は息を吸った。


 ……さて、どうしようかな。


 どこまで話すべきか。全て隠さず話すか、一部だけ話すか、嘘をつくか。


 うーん、まぁいっか。全部話そう。


 どうせ話したって減るもんじゃないし、こいつにカッコつけても、もう手遅れだ。


「今、新しい小説書いてるんだ」


「へぇー」


 鹿島は嬉しそうに驚き、興味津々そうな顔を俺に向ける。


「どんな?」


「……今のところラブコメ」


「ラブコメ? 恋愛ものってこと?」


 うん、と俺は頷いた。顔が急激に熱くなってくる。


「へぇー、意外」


 本気で驚いていた。馬鹿にした雰囲気は一切ない。


「俺もそう思う」


「なんでよ」


 鹿島はあきれながら笑った。


「滝藤が書きたいと思ったんでしょ?」


「出版社からの依頼。引き受けたはいいけど、恋愛なんてしてこなかったし、付き合ったこともないからさ。ストーリーが浮かばなくて行き詰まってる」


「あー、だからストーリーを考えるためにカフェにいたんだ。わかるー。家にいるとなぜか勉強に集中出来ないもんね」


「違う違う。カップルが何を話してどんなことをするのかを観察するためにカフェに来た」


「…………え、マジ?」


「マジ」


 鹿島は引いていた。やば、と顔に書いてある。


 冷静になって考えてみると、確かにやばいかもしれない。


 人の会話を盗み聞きにカフェに入るって結構アブナイ人間だよな。


 しかも俺なんて共学の高校にいるんだから、この手の話は聞き放題だというのに。


「想像力なくても、小説家になれるんだね」


「今は無職だ。編集者に言わせると、物語を書いていない小説家は無職らしい」


「厳しい世界なんだね」


「全くだ。だから今、こうして観察しているんだが……」


 さっきのやり取りが書かれたメモを鹿島に見せる。


「あー……」


 鹿島は苦笑いした。鹿島の表情から察するに、あの彼女の行動はよくあることらしい。


 信じられない。


 俺としては、スマホを見られるというのはかなり抵抗がある。


 見られて困るものはないが、なんとなく見られるのは嫌だ。自分の頭の中がのぞかれるような気がして。


「……えっと、彼氏さんがかっこよすぎて不安なんだと思うよ?」


 求めてないのに謎のフォローが入った。


「とまぁ、こんな感じでカップルを観察していこうと思っていたのだが、すでに限界を感じている」


 さっきのカップルが座っていた席には、すでに大学生らしき人物が一人で座っていた。


 パソコンを開いてキーボードをカチャカチャしている。


 運任せで効率が悪いし、金と時間もかかる。


「限界というか、人としてどうかと思うよ」


 俺は鹿島の鋭い指摘を無視して言う。


「どうしたもんだが……。何か良い案ない?」


 うーんとうなるもすぐに、「ない」と断言する鹿島。


 だよなぁ……。


 良い案なんて浮かぶわけがない。

 

 次の方法を考えながらコーヒーを飲んだ。氷が解けたせいで薄くなっていた。


「―――ないけど、私でよければ手伝ってあげる」


「え?」


 今なんて言ったんだ、鹿島は? 


 手伝うと言ったか? 


 何を? 


 どんなふうに?


「手伝ってあげるよ。本をもらったお礼もしなきゃなぁって思ってたし。だから手伝ってあげる。ラブコメ作り」


「手伝うって、どうやって……?」


「わからないけど、カップルのすることが知りたいんでしょ?」


 鹿島が恥ずかしそうに目を逸らした。


 頬は少しだけあかく見える、気がする。


 心臓が高鳴った。


 もしやもしや……ラブコメによくある展開の1つ、『擬似カップル』を組んでくれるってことか?


 そして、カップルが実際にやるようなアレやコレやをして、ゆくゆくは本物のカップルになる……。

 

 そーゆーラブコメみたいなのを期待しちゃっていいんですか?


 いいってことですか!? 


 期待しちゃうよ!? 鹿島さん!?!?


「い、いいのか?」


 恐る恐る尋ねると、鹿島はまぶしい笑顔で、


「うん。もちろん」


 きた――――――――――――!!!!


 心の中で大きくガッツポーズした。


 これだよ俺が求めてた青春は!!


 こんな青春したくてラノベ読んでたんだよ俺は!!!!


 しかも相手はクラスでも人気の鹿島。


 いやぁ、背伸びしてスタヴァに入ってよかったー。


 入った時は料金高くて後悔したけど。


 小説書いていてよかったなぁ。


 傷付いた心は未だえてないけど、これから鹿島にいやしてもらおう。


 そういや、恋人同士ってまず何から始めるんだろう。


 呼び方を変えるところからかな?


 鹿島の下の名前はたしか、梨沙子だったよな。


 よ、よし、呼んでみるか。


 き、緊張すんぜ。


「り、梨沙—―――」


「といっても私、恋愛経験ないからさ。だからまずは友達に訊いて回ろう」


「はい?」


「うん?」


 ふたり顔を見合わせる。


「いま、何か言った?」


「い、いや、何も。それより梨――――鹿島は、なんて?」


 ああ、と無垢むくな表情で続ける。


「友達に訊いて回ろうよ。取材ってやつ。私、付き合ったことないから恋愛に関する話はできないけど、友達には付き合ったことある人が何人かいるし、盗み聞きより効率が良いと思うんだよね」


「たしかに……そうだけど……」


 そうだけど………そうだけど…………っ!


「早速、明日からだね」


 …………。


「……助かる。締め切りがもうすぐだから」


「それはよかった」


 高鳴っていた心臓はもうない。


 不意に肌寒さを感じた。


 店内のクーラーが強くかかっていることに、今気付いた。


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