第3話 因数分解を覚えたら、時を越えられるんですか?

 2時間目開始のチャイムが鳴ると、すぐに日直が号令をかける。


「気を付け、礼」


 俺は頭を下げたあと、そのまま流れるように机にした。


 1時間目のソフトボールだが、負けた。ボロ負け。


 俺のルール無視の全力雄叫おたけびストレートが、名も知らぬ生徒に打たれ、それが見事に場外ホームラン。


 5組の連中は笑いつつもルールをやぶった俺をめた。同じクラスの奴らからは笑われた。吉田はグローブを顔に当てて苦笑していた。


 ”ルールを無視した挙句あげく打たれたポンコツ雄叫びクソ野郎”、というのが今の俺のあだ名となっている。


 これなら全力を出すんじゃなかった、と後悔こうかいするのも一瞬、すぐにソフトボールの疲れが俺におおいかぶさってくる。


 今となってはどうでもいいや。考えることはラスボスサタナエルを倒すことだけ……。


 ・


 ・


 ・


「起きろ!」


 ガタッと体が大きく揺れる。少しして、机がられたのだと気づいた。


「おい、こっちを見ろ!」


 声が上から降ってくる。寝不足による頭痛の時にガラガラ声は辛い。


 険しい顔をしながら見上げると、そこには数学教師の富田とみたが俺よりさらに険しい顔を注いでいた。


 にらめっこか。

 

 時刻は11時半過ぎ。どうやら寝ている間に3時間目に突入していたらしい。


 まずったなー。


 こいつ一回説教モードに入ると長いんだよなぁ。しかも今日は元気な日だし。


「何寝てんだ。早く教科書とノートを出せ」


 仕方ない。謝ってさっさと終わらそう。


 机の中から教科書とノートを出した。それと同時に、文庫本がぼとっと落ちた。


「やべっ」


 俺が拾うより速く、富田が拾った。


「なんだこれは? だつらくゆうしゃ?」


 俺の著作物だった。


 本を開いた富田は、次第しだいに顔をニヤニヤさせる。


「脱落するのはこの勇者だけでいい。お前は脱落するな」


 周りがクスクスと笑う。


 いじらんでほしい。あとそれ、脱落した勇者が成り上がる話だから。


 富田は本についたほこりを手で払ったあと、俺の机に置いた。


「ありがとうございます」


 俺は本を机の中に押しんだ。


 全く、今日はなんて日だ。


 ソフトボールではじをかき、自分の本に恥をかかされ、今は自分の著作物に追い込まれている。


 心の余裕よゆうがない。


「たるんでるぞ。いったいどうしたんだ?」


 まだ続くのかよ。しつこいぞ。


「昨日、夜更よふかししてしまって。」


「夜更かしって、勉強か?」


「いや……あ、まぁ……そんなところです」


 ちなみに俺がラノベ作家だということは公表していない。作家だと学校で知っているのは、幼馴染一人だけだ。


「へぇー勉強ね。何の科目だ?」


「苦手な数学です」


 反射的に答えた。


「数学か。偉いな。ほどほどにしとけよ。体壊したら元も子もないからな」


 そう言うと、富田は教壇きょうだんへと戻っていった。 


「はい」


 俺は小さくため息をつき、頬杖ほおづえをついた。


 全く、今日は厄日だ。


 サボるべきだったな。


 あー、電波の届かないおだやかな南国に行きてぇなー。大金付きで。


「じゃ、次の問題は……滝藤、お前が解いてみろ」


「えーっ!?」


 思わず叫んだ。


「えー、じゃない。ほら、教科書P32の(3)だ」


 開いてみる。げ、因数分解か。しかも複雑なやつ。


 うーー………む、ダメだ。解けない。


「すみません。わからないです」


「おいおい、勉強したんじゃないのか?」


「いやぁ……」


 言葉にまる。


「因数分解も解けないようじゃ、あの勇者のように落第らくだいするぞ?」


「……脱落なんですけど」


 覚えとらんのかい。雑なイジリすんなよ。バカにしやがって……。


 なんか、だんだんムカついてきた。


「脱落か、まぁなんでもいい。さ、早く答えてくれ」


 俺は黙って問題をにらむ。しかし解法が浮かばない。本当に高校1年生の問題か? 

 

 一応、ペーパーテストでこの学校に受かったんだが……。もしかしたらマグレかもしれない。マークシートだったしな。


 いくら問題を睨んでも答えが出てこないので、富田を睨んだ。眠さと苛立いらだちのせいか、富田の顔がサタナエルに見えてきた。


「なんだその目は」


「すみません。考えてみましたが、わかりません」

 

「おいおい、これがわからないと本当に落第だぞ」


 富田の馬鹿にした顔と声音に、カチンときた。


「因数分解くらい、覚えておけ。ほら、これはだな―――」


 その後、富田は嫌なイジリをまじえつつ、俺に色々とをしてきた。因数分解は基礎だから誰でも出来る。義務教育でも習うからセンスある中学生は出来る。社会でも因数分解の論理を使って仕事を上手く運べる。必要なのは因数分解を理解しようとうする意欲だ。因数分解因数分解因数分解—――


 ―――――プッツン


「……ですか?」


「あ?」


 俺は立ち上がり、富田と対峙たいじする。


「因数分解を覚えたら、時を越えられるんですか?」


「え?」


「因数分解を覚えたら、時を動かせるんですか?」


「滝藤、何言ってるんだ?」


「因数分解を覚えたら、売れる作品を作ることが出来るんですか!? どうなんですか!?」


 必死の形相ぎょうそうで富田に食いかかる。


「大丈夫か、滝藤? 頭でもおかしくなったか?」


「そりゃあおかしくなりますよ! 寝不足で色んなモンに追い詰められて心に余裕がないなか、因数分解因数分解ととなえられたら、誰だっておかしくなりますよ!!! そう思いま――――いだっ!」


 詰め寄ろうとしたところで、足をガツっと蹴られた。俺にこんなことする奴は一人しかいない。幼馴染しか―――


 俺を蹴ったのは山根だった。そういえば昨日席替えしたんだった。


 いやここは幼馴染だろ! 


 つか、お前休んでたんじゃないのかよ!?


 俺の心を読んだのか、山根は眼鏡をクイッと上げて黒板を指差す。


 黒板の遅刻のところに山根という苗字が書かれていた。


 こいつ、遅刻してきたのか。


 驚愕きょうがくする俺に山根はドヤ顔をする。


 さっきからなんだこいつ? 数回しか話したことないのに、どうしてこんな友達ヅラすんの? そのドヤ顔にソフトボールぶちかましたろか。


「―――っ!?」


 ふと冷静になり、周囲を見渡す。クラスメイト全員が引いていた。


「……ちょっと、頭冷やしてきます」


 教師の返事を待たずに教室を出た。幸い、教師は追ってこなかった。


 その後、校舎の裏側でしばし休み、正気を取り戻した。


 数学の授業に戻るのは気まずいので、カウンセラー室で時間をつぶした。


 3時間目の終了を告げるチャイムが鳴った。


 教室に戻る時が来た。


 うーん……勇気出ないなぁ。


 4時間目始まるギリギリに教室に戻ろう。


 ブルっとスマホが振動する。山根だったら殴る。


 ディスプレイに映し出された差出人さしだしにんの名は幼馴染おさななじみ—――早川はやかわ茉莉まつり


 今すぐ一階連絡路の自販機前に来て、とのことだった。


 …………山根の方がよかったな。


 ※


喜太郎きたろう


「……なんだよ?」


 一階、自販機前。セミロングの茶色かかった黒髪が綺麗な女の子茉莉と2人きり。普通なら嬉しい状況なのだが……。


「あれは良くない」


「3時間目のことか?」


「そう」


 茉莉まつり淡々たんたんと続ける。


「富田先生にムカついても、あんなふうに激昂げきこうするのは良くない」


「でも―――」


「良くないよ」


「……おう」


「謝りに行きなよ」


「はい」


「私もついて行くから」


「お願いします」


 そして昼休み、職員室に連れ去られた俺は、富田に謝った。

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