第2話 プロ野球選手になるやつはどんなやつでも天才

『起きて~。朝だニャン! 起きて~。朝だニャン!!』


 エロ可愛い声で、目を覚ます。


 ブルブル震える俺のスマホのアラームを止めた。


 カーテンの隙間すきまから差し込む陽の光を見て、朝が来たことを理解する。


 午前7時、いつも起きている時間だ。


 うわぁ……学校かよぉ……。


 絶望すると同時に昨日の出来事、正確に言えば3時間前の出来事を思い出した。


 ラスボスが倒せない。


 寝不足で頭がぼけーっとする。まふだも重い。


 そして布団が気持ち良すぎる。なんでこんなに気持ち良いんだ。まさに悪魔の誘惑ゆうわく


 このまま学校をサボってしまおうか、そう思って目をつむる。


 …………心がモヤモヤする。


 よっぽどのことが無い限り学校を休まないという条件で、俺は親から一人暮らしを許されている。


 そのことが引っかかってモヤモヤするのだ。


 俺は舌打ちしながら、立ち上がった。


 変なところで真面目なのが、俺のダメな部分だな。


 大急ぎで準備を終えた俺は、無防備むぼうびな姿で寝ている菜月さんに毛布をかけ、いつもより10分早く家を出た。


 道中、何度か意識を失いかけたが、なんとか学校へ到着。


 いつもより30分も早く着いた。


 教室にはまだ誰もいない。


 あー、やばい。ふらっと眠りそうだ。しょうがない。ここは寝て授業の時に目を覚まそう。


 ふと、クラスの掲示板に貼られた時間割が目に入る。


 げっ、一時間目体育かよ。


 俺が通う横浜市立金沢第一高等学校は一時間目のあとにHRホームルームを行う。


 一時間目に移動教室のある授業だと少し早く登校しないといけないのが辛いところである。


 で、今日は体育だから移動か。……ん、そういえば今月はソフトボールか。


 ラッキー!


 俺のチームはちょうど一人余る。で、余って試合に出ないのは俺だ。


 いつもは退屈だったが、今回ばかりはありがたい。


 思う存分ベンチライフを堪能たんのうしよう。


 トイレで手早く着替えた俺は、グラウンドにあるベンチへと向かった。


 ベンチは無論空いている。運良く朝練をやっている部活もない。少なくとも20分は心地よく眠れそうだ。


 ジャージを顔の上に被せて目を閉じると、すぐに意識が飛んだ。


 ※


「プレイボール」


 野球部の男子が気怠けだるげに叫ぶ。


 ピッチャー、なんと俺。


 いったいどうしてこうなった?


 さかのぼること7分前。


 授業が始まる1分前に、ゴツい体育教師に起こされた俺は、あくびをみ殺すことなくグラウンドをランニングし、準備体操し、チームに分かれた。


 現役野球部・ソフトボール部なしの俺達4組と戦うのは、現役野球部+運動できる人間が集まった5組。


 過去2回戦ったが、2回とも大敗。


「次こそは!」と意気込む様子は微塵みじんもなく、4組は厭戦えんせんムードに包まれている。

 

 俺達4組チームは10人。俺は大体ピンチヒッター。普段なら開幕かいまくうでを組み、ケツでベンチを温める。


 今日はやる気を出して、全身を使ってベンチを温めようと横になった瞬間、


「滝藤、お前ピッチャーな」


 サッカー部の高身長イケメン・吉田よしだ昴流すばるに言われた。クラスで一番モテるとうわさのうらやま――――にくい男だ。でも性格めっちゃいい。


 俺のような陰キャラにも分けへだてなく話す、裏表のない人物だ。


 なお、友達ではない。


「は?」


「ほら」


 グローブを投げ渡された。


「え、なんで? 山根は?」


 山根とは俺と同じ属性のクラスメートである。話したことも数回しかない。


 腹が立つのは、俺よりやや背が高いこと。


「休み。だからお前がピッチャー。ほら早く、行くぞ」


「え、えぇ~」


 吉田に連れられるなか、俺はマウンドに立った。


 ウチのソフトボールのルールには、速い球を投げてはならないという特殊ルールがある。


 一昨年、ソフトボール部の生徒が調子に乗って剛速球ごうそっきゅうを投げたらデッドボールとなって大事故を招いたから、というのが体育教師の説明だった。


 結果、ピッチャーは遅い球しか投げられないことになった。速い球を投げればボールとなる。


 そのため、ピッチングスタイルは基本的に”打たせて取る”だ。


 ただ、ゴロではなくフライを。


 当然、遅い球は遠くに打ち上げられる。


 なので、フライをキャッチ出来ないボンクラ選手がピッチャーとなる。


 そして選ばれたのが、万年ベンチの俺と言うわけだ。


「プレイボール!!」


 2回目の試合開始宣言。先ほどより大きくさけばれた。


「早く投げろー!」


「滝藤、ボサッとすんなー!」


 両チームとも俺に野次を飛ばす。うるせぇな。少しくらい回想したっていいだろ。


 まだ本領を発揮していない太陽を見上げ、肩を回す。


 相手バッターは名も知らぬ細い男子。


 くそー、どうなっても知らねえからな。


「おらっ!」


 ふわっと優しい球。


 カキーン! 


 ええっ!? 打たれた!? あのガリガリ男子に!?


 大きな放物線を描き、そのまま、そのまま、ホームラン! 


 球はグラウンドに設置された防球ネットをえた。


 打った選手は全速力でグランドをける。


 なぜ全速力なのか。それは体育のソフトボールにおいて、ホームランという概念はないからである。


 防球ネットを越えた打球は大抵、グラウンドに隣接する体育館のどこかしらに当たってどこかしらに落ちる。外野はダッシュで球を取りに行き、大急ぎでホームに返す。その時、走者がベースを踏んでいなければアウトにすることが出来るので、全速力となるのだ。


 何とか球を見つけてきた吉田。ソフトボール部顔負けの遠投も間に合わず、俺達4組チームは初手から1点取られた。


 チームメイトからドンマイドンマイ、となだめる声がかけられるかと思いきや、


「滝藤、次、早く投げろー!」


 催促さいそくの言葉を浴びせられた。


 緩い球を投げるので、当然一回の攻撃が長引くことは予想される。


 そのため、攻守交替は3アウトか、打者一巡だしゃいちじゅんした時。


 さっさと投げろと言ったのは、さっさと打者を一巡させろという意味だろう。


「はぁ……」


 投げ出してやりたい。


 眠さとメンタルダメージによって浮かんだ額の汗をぬぐう。


「汗かくほど投げてねぇだろ!」


 いま野次やじったやつ誰だ? お前とは背負ってる重みがちげぇんだよ。こっちは魔王を倒すという責務を背負ってんだぞ。


 気合を入れ、投球フォームに入る。


「おらよっ!」


 先程と何ら変わらない緩い球。


 もちろん打たれる。


 続く、3人目も打ってきた。


 しかし打球は伸びず、現在、ベースは2・3塁。大量得点のチャンスとなっている。


 4番打者は野球部の坊主イケメン・長嶋ながしま雄吾ゆうご。俺にとっては覚える必要のないモブキャラのはずだったが、まさかライバルになるとはな。


 188㎝と高身長。こいつは打ってくるな。


 ……いやまぁ、今のところ全打者に打たれてるんだけどもさ。


 たのむぞ、と外野を振り返ると、案の定、後ろの下がっていた。


 何なら一人、場外に飛ぶと見越みこして、グラウンドの外で待機している。それはちょっとひどくない?


 心に多少のしこりを感じたまま、球を投げる。


「うおらっ!」


 カッ……キーン!


 ボールはもちろん場外へ。結果、3点追加となった。


 しょうがないが、こうもバンバン打たれると心がキツイな。


 結局、3アウトどころか1アウトも取ることが出来ず、打者一巡。8点ビハインドで俺達4組の攻撃となる。


「はぁー」


 大きくため息をつき、グラウンドに置かれたベンチに座る。もう疲れた眠い死ぬ。


「俺何番?」


 近くにいた吉田にく。


「6番」

 

 まぁすぐに出番が来るだろうが、あまりにも疲れた。ベンチで仮眠を取らせてもらおう。


 青空広がるベンチに横たわって眠る。


 目を閉じる瞬間、1番バッターが外野フライでアウトになる光景が見えた。


 ・

 ・

 ・


「起きろ……おい、起きろ」


「んあ?」


 ゆさゆさと体を揺らされる。目の前にはやはり面倒見の良い吉田。


 目を閉じてから起こされるまで体感3秒。


 体がめちゃくちゃだるい。


「もう俺の番か……」


 ノロノロと立ち上がった俺に、吉田が差し出したのはグローブ。


「何言ってんだよ。守備だよ守備」


「は?」


「3アウトチェンジだ。ほら行くぞ」


「待て待て、俺まだバッターボックスに立ってないんだが?」


「外野フライとダブルプレーで交代」


 いったいどうなってるんだ、俺のクラスの打線は。おかしいだろう。このポンコツさが脱落パーティを思い出させる。嫌なことを思い出させやがって。


 マウンドに立つ。すると、遠くから可愛い声が聞こえてきた。


「4組ガンバー!」


昴流すばるー、頑張れ!」


「5組に負けるなー!」


 なんと、クラスの女子が試合を見に来ていた。


 そういえば隣のグラウンドでは女子が長距離走をやっていたな。みんな体操着をまくってタンクトップのようにしたり、髪をくくっていたりしているなど、さかり散らした男子高校生には刺激の強い恰好をしている。


 俺含め、男子全員が女子の方を見ている。


「4組いいよなぁ。女子がアタリ過ぎる」


 5組の誰かがつぶやいた。


 俺が属する1年4組は、近年まれに見る美男美女クラスだからである。


 何人もの先輩方が見に来たり、意味もなく4組前の廊下に男子や女子が集まり、ワイワイ騒いで存在をアピールしたりしてる。


 おかげで俺のような陰キャラは居心地が悪い。


 見物に来た4組女子には、女子バスケ部のルーキー・御代みしろかえでや、グラビアアイドル級のスタイルを持つ新井あらい沙耶さや、学校1位の人気をほこ皐月さつき立花りっか。その他の4組女子も可愛かったり、愛嬌が良かったりする。


 いやぁ、恵まれてるなぁ、ホント。誰も俺のこと見てないけどね。


 あれ、幼馴染おさななじみの姿が見当たらないな。まぁ、アイツは男子の試合を見に来るようなヤツじゃねぇか。


「あれ? ウチらのクラス負けてんじゃん」


「0-8はやばくない?」


「どうしたー、情けないぞー!」


 うるせー、と外野。


 なんつー青春を過ごしてるんだ。俺も小声でうるせーと言ってみた。リア充になれた気がした。


 嬉しい野次に包まれるなか、野太い声が俺の耳をつらぬく。


「ピッチャーがヘボいからじゃね?」


 あ?


 見なくてもわかる。こんな発言するのは、4組の女子の中で一番かつ唯一太っている沢尻さわじり真由まゆしかいない。


「あんな根暗がピッチャーやってりゃあ負けるわ」


 なんだと……?


 あのデブめ。ボールぶつけてやったろか?


 はらわたえくり返りそうになるなか、ルールにのっとったボールを投げる。


 もちろん打たれ、ボールは高く飛びあがった。しかし、女子に見られて緊張したのか、飛距離は伸びず、残念ながら吉田にキャッチされる。1アウト。


 おおー、と女子が盛り上がる。吉田の奴、ここぞというときに強いんだよなぁ。


「ピッチャー、何やってんだよー! すっとろい球投げてんじゃねぇよ!」


 勘違かんちがいブスの沢尻が野太い野次を飛ばす。


「そーゆールールなんだよ!」


 吉田がフォローする。ありがたい。


「それにしても遅すぎ!」


 はい?


「言い過ぎだよ真由」


 周りの女子が発言を制止するが、それを振りほどく沢尻。


「もうちょい考えて投げろよ! 内角高めに投げるとかさ! 相手バッターが詰まるような球投げろってんだ、このタコッ! やる気ねぇなら帰れ!」


 内角高めだと? このデブス……!


 ボールを強く握りしめる。


 女子達の前で罵倒ばとうして俺の面子めんつつぶしやがって。


 やってやろうじゃねぇか!


 こうなったらルールなんて関係ねぇ。全力で投げてやる。


 俺は思いっきり肩を回して投球した。


「どらぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!」


 カキ―—――—―――…………ン。

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