第2話
来月、世界が滅びるらしい。
そう政府が発表した時はまるで映画のように民衆は混乱し、恐怖で泣き叫び、一部の過激な人々が暴動を起こしたりもした。けれど混乱は長続きせず、一ヶ月という微妙な猶予はやがて人類を落ち着かせた。というより、こんなことをするより大事なことがあるだろうと我に帰ったのだ。全人類、余命残り一ヶ月。みんな、平等に遺された余命を精一杯悔いのないように生きようとしていた。
けれど、私はそうはできなかった。
ぶわりと風が吹き、短く切り揃えた毛先を弄ぶ。地面に向けていた視線を上にあげると、そこにはのどかな田園風景が広がっていた。都会で生まれ育った私には縁のない光景だ。田んぼが物珍しくて、私は思わず足を止めてしまっていた。家らしき建物がひとつしか見えないけれど、もしかしてこの田んぼ全部があの家の人のものなのだろうか。
私の目の前に、真っ直ぐの一本道が伸びている。周りに高い障害物はないので地平線までよく見える。
ここはどこだろう。きっと、遠いところまで来てしまった。
さらに歩みを進めると、やがて道の駅のようなものが見えた。先程見た田んぼや畑で獲れたものを売っているのだろう、米や野菜が並んでいる。私の家の近くのスーパーは営業をやめてしまっていたから、ものを売っているということ自体がひどく新鮮だった。
ふらりと店の中に入る。財布は持ってこなかったので見るだけだ。
「いらっしゃいませ」
涼やかな声が聞こえて、思わず肩が跳ねた。店内に誰もいないと思っていたからだ。慌てて辺りを見回すと、店名が印刷されたエプロンをかけた少女がそこに立っていた。私と年はそう変わらないだろう。
「て、店員さんですか?」
そう質問をしてから何を言っているんだと我に返る。店のエプロンをつけているのだから店員に決まっているだろう。けれど、このご時世に働いている人なんて初めて見たから、思わずそう聞いてしまったのだ。
「はい」
少女は当たり前のように頷いた。
首からぶら下げられたネームカードを見る。夕日さん。
「夕日さん、は…どうして働いているんですか?」
「どうしてとは?」
「もう誰も働いてないじゃないですか。もうすぐ世界は終わるのに、どうして?」
「このお店がなくなると、食べ物が買えなくて困る人がいるでしょう。それに、ここは地域の方々の憩いの場なんです。このお店を守りたくて、働いています」
……すごいな、というのが正直な感想だった。この夕日さんは私と歳も変わらないだろうに、しっかりしていて。きっと、世界が滅びる日まで彼女はここで働くのだろう。それが、彼女が死ぬまでにやりたいことなのだろう。
羨ましいと、思った。
「失礼ですが、お客様はどちらから来られたんですか?」
「え?」
「小さい町ですのでこちらに住んでいる方の顔は把握しているんですが、お客様には初めてお会いしたので」
「ああ…M県です。あの山を越えた向こうの街に住んでます」
そう言って私が指さした先を見た夕日さんは、驚いたのかその切長の瞳を丸くした。
「今、電車もバスも動いてないでしょう。歩いてこられたんですか?」
「はい。足には自信があるので」
「こちらには何をしに?」
「……何かを、したくて」
私には将来の夢があった。オリンピックに出るという夢。私の両親は共に元プロバレーボール選手で、オリンピックに出たこともあったがメダルは獲れなかった。だからこそ、両親はその夢を私に託した。私もバレーは好きだったし、両親は私の憧れだったから、なんとかその期待に答えたかった。
私は両親から無事バレーの才能を受け継いだらしく、幼稚園の頃から始めたバレーはメキメキと上達した。中学校では全国大会に出場を果たし、スポーツ推薦で地元の強豪校に進学した。練習は厳しかったがやりがいはあったし、良い仲間にも出会えた。一年生ながらにレギュラーに選ばれ、そうしてこの夏、全国優勝を目標に地区大会に出場する予定だった。
けれど、世界は来月滅びるという。私も、チームメイトも、コーチも、両親も、人類全員、来月に死ぬという。大会は二ヶ月後。私の夢はぐしゃりと潰えた。生きていく意味を見失ったのだ。今の私はただ死を待つだけの人形だ。
そんな私を、両親は心配そうに見ていた。心配をかけたくはなかった。
だから、日課のランニングをすると言って、家を飛び出してきてしまった。当てもなくただひたすらに歩いて、山をこえて、辿り着いたのがここだ。
「私、人生に悔いなんてないんです」
常に精一杯生きてきた。悔しい思いなら何度もしてきた、けれどそこに後悔などなかった。全力を尽くして、それでも負けて、悔しくて、けれどそこにあるのはさらに努力を重ねるという前を見据える強い気持ちだけだ。
でも──努力をしてもその先にあったものは全て滅びてしまうのだ。そんなの虚しいじゃないか。
「死ぬまでにやりたいことなんて何にもなくて。けれど今すぐ死にたい訳でもなくて。ただ、世界が滅びる日をぼんやり待っているんです」
そんな私の話を、夕日さんは真剣な面持ちで聞いてくれていた。はっと我に返る。
「す、すみません、こんな話しちゃって──」
「ご家族はいらっしゃらないんですか?」
「いますけど…」
「なら、心配してらっしゃるでしょうから早く帰ったほうが良いと思います」
突然の言葉に目を丸くしている私に、夕日さんは微かに微笑んで言葉を紡いだ。
「別に、無理に何かをしようとしなくて良いと思いますよ。家族と遺された時間を大切に過ごすのだって、良い終末の過ごし方です」
「良い、終末…」
「はい。家族はお好きですか?」
両親の顔が脳裏に浮かぶ。
そうか。
バレーだけが私の人生だと思っていた。生きる意味だと思っていた。けれど、その隣には必ず、両親がいてくれたのだ。今すぐ死ぬならあの人達の腕の中で死にたい。一ヶ月後に死ぬのなら、手を繋いで一緒に死にたい。
「私、家族が大好きです!家に帰ります」
「はい!」
思わず泣き出してしまいそうだった。今すぐ駆け出したい。あの家に帰って、おかえりって出迎えてもらって、ただいまって言って、抱きしめてもらって、いつも通り夕飯を食べて、たくさん話をして過ごそう。たくさん笑い合おう。一緒に、終末を過ごそう。
夕日さんに深くお辞儀をすると、私は店を飛び出した。来た道は覚えている。
「良い終末をお過ごしください!」
走り出した私の背中にそう声がかかった。振り向くと、夕日さんが道の真ん中に立っている。思い切り手を振ると、夕日さんも手を振り返してくれた。それを見ていると、ある一つの思いが湧き上がる。
「ひとつ、やりたいことができました!」
突然の私の言葉に目を丸くする夕日さんに、ニンマリと笑う。
「私と友達になってください!」
「え」
「私、世界が滅びるまでにまた、夕日さんに会いにきます!足には自信があるんです!」
そう叫んだ私に、夕日さんもにっこりと笑い返してくれた。
「はい!またお待ちしています!」
終末バイトの夕日さん 祈 @inori0906
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